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関東の諸都市・地域を歩く


#184(越生編)のページ


#185 境島村、世界遺産のある集落 ~関東平野の只中の田園風景~

 2021年5月31日、地元太田市にほど近い、伊勢崎市の境島村地区を訪れました。地名の「境」の文字は、2005年に旧境町が合併により現在の伊勢崎市の一部となった際、境町の地区名の頭に「境」の文字が冠せられたもので、もともとは「島村」という地名でした。さらには、この島村が境町に編入される前は島村、という村でした。現在は廃校になっている旧境島小学校の名に「村」の字が入らないのはこの辺りの事情が関係していそうです。その旧境島小近くの公園に車を止めて、この島村地区を散策します。

旧境島小学校

旧境島小学校
(伊勢崎市境島村、2021.5.31撮影)
利根川から赤城山を望む

利根川から赤城山を望む
(伊勢崎市境島村、2021.5.31撮影)
桑畑のある風景

桑畑のある風景
(伊勢崎市境島村、2021.5.31撮影)
田島弥平旧宅

田島弥平旧宅
(伊勢崎市境島村、2021.5.31撮影)

 現在は東西に流れる利根川によって南北に分断されている境島村地区ですが、大正期に利根川の河川改修が行われるまでは、この地域で幾筋も分流する利根川の中州の微高地に小集落が点在する土地柄であったようです。そうした様子が島村という地名の原点であるのかもしれません。まずは利根川の堤防上に出て、雄大に流れる「坂東太郎」と、その先の赤城山をはじめとした山並みを眺望します。南北に分断した地域の足として、かつては渡船(島村渡船と呼ばれました)が運航していました。2019年10月、各地に深刻な被害をもたらした台風19号による被災のため運休後、2022年4月に正式に廃止されています。

 島村地区では、河川の後背地で耕作地が被害を受けやすいことから明治以降に養蚕業へと転換し、繁栄を極めた歴史があります。とりわけ、1822(文政5)年に地区で生まれた田島弥平は、養蚕技法や養蚕に適した蚕室の考案などに大きな功績をなした人物です。田島弥平旧宅には、そうした島村における養蚕業の発展に寄与した当時の遺構が良好に越されていて、世界文化遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一つとなっています。

櫓のある住宅

櫓のある住宅
(伊勢崎市境島村、2021.5.31撮影)
境島村の集落景観

境島村の集落景観
(伊勢崎市境島村、2021.5.31撮影)


日本基督教団島村教会
(伊勢崎市境島村、2021.5.31撮影)
旧渋沢邸「中の家」

旧渋沢邸「中の家」
(深谷市血洗島、2021.5.31撮影)

 地区を散策すると、2階部分に「櫓」と呼ばれる小屋根を設けた、規模の大きい建物を多く認めることができます。それらにはしばしば立派な土蔵が付属していまして、島村における養蚕業がいかに莫大な利益をおさめたものであったかを実感します、地区の南端、埼玉県境にも近い場所には、国指定登録有形文化財の日本基督教団島村教会の洋風建築も残されていました。また、車を利用して程ない場所には、「日本資本主義の父」とも呼ばれた実業家・渋沢栄一の旧宅も存在しています。現在は茫漠たる関東平野の只中にある農村集落である境島村地区ですが、日本の近代化の流れの中でひとつの経済的な成功を成し遂げた潮流のようなものが、江戸に近いこの農村地域で花開いたことは、封建時代が瓦解し、人々がより自由に柔軟な発想で政庁の活路を見出そうとした素地が、潜在的に存在していたことを示すものといえるのでしょう、


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