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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#32 都心北縁、台地末端の地域を歩く 〜桜や坂道をめぐって〜 (文京区・豊島区ほか)

 関東平野は決して一様に平らな大地ではなくて、洪積台地と呼ばれる、海岸線から続く低地と比べてやや高い平坦面を持つ地表面も多くを占めていることは、これまでいくつかの文章の中でお話ししてきました。とりわけ、現在の埼玉県から東京都、神奈川県の一部地域に展開する台地は河川の浸食によって複雑な地形を形成していて、武蔵野台地と総称される地形を形成しています。この台地は東京都心にも多くの傾斜をもたらしていて、その結果、さまざまな個性的な名前の坂道が形作られることとなりました。それらの坂道が織り成す多様な風景は時に四季折々の情趣を生み、「山の手」と「下町」に大別される地域性を育んで、地勢的な江戸らしさ、東京らしさを醸成しました。都心の北縁は北から南へせり出した本郷台や豊島台の末端にある崖によって地形的に画されていまして、神楽坂などの多くの坂道があって豊かな町並みが認められるエリアとなっています。2010年4月3日、満開を迎えたソメイヨシノの名所を辿りながら、こうした都心北縁の穏やかな地域を歩きました。

千鳥ヶ淵

千鳥ヶ淵の桜
(千代田区北の丸公園、2010.4.3撮影)
安藤坂

安藤坂の景観
(文京区春日二丁目、2010.4.3撮影)
播磨坂

播磨坂(環三通り)桜並木
(文京区小石川四丁目付近、2010.4.3撮影)
大日坂

大日坂の景観
(文京区小日向二丁目、2010.4.3撮影)

 千鳥ヶ淵の見事な桜を楽しんだ後、目白通りを北へ進み飯田橋へ出て、外堀の桜を遠望しながらさらに北へ歩き、白鳥橋交差点から東へ折れて安藤坂を上りました。安藤坂は伝通院門前から神田川までエル字型に続く坂道で、もともと広めの道でしたが明治以降早稲田と厩橋を結ぶ都電のルートとして整備された経緯を持ちます。坂の名は西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことに因みます。春日通りを進み程なくしますと小石川五丁目交差点を西端とする播磨坂桜並木が目に入ってきます。都道436号(千川通り)までの緩やかな傾斜の道路は環状3号線の一部として建設されたもので、現在はこの界隈有数の桜の名所として知られています。

 茗荷谷駅付近の小さな谷間と小石川から北西に分け入る谷間との間の小規模な大地を跨ぐような播磨坂は緩やかなカーブを描いていてとてもたおやかに桜を眺めることができます。茗荷谷駅西から拓殖大学の脇を通って閑静な住宅街を南へ進み、坂の途中に大日様のお堂があることから「大日坂」と呼ばれる坂道を下って、首都高速が頭上を走る神田川へと行き着きました。 

神田川

江戸川橋付近の神田川
(文京区関口二丁目、2010.4.3撮影)
神田川

江戸川公園先の神田川
(文京区関口二丁目、2010.4.3撮影)
椿山荘

椿山荘庭園
(文京区関口二丁目、2010.4.3撮影)
関口芭蕉庵

関口芭蕉庵
(文京区関口二丁目、2010.4.3撮影)

 神田川沿いを西へ進みますと江戸川公園へと行き着きます。付近の橋の名や地下鉄の駅名にも「江戸川橋」が付されています。この「江戸川」は、この付近の神田川がかつてこう呼ばれていたことによるものです。井の頭池を水源とする神田川は現在の江戸川公園内にあった大洗堰より分水し江戸市中の上水道として利用されていました(いわゆる「神田上水」です)。近世から近代初頭までの神田川流域は田園風景(早稲田田んぼ)が広がり、上水一帯には桜が植えられて市民の身近な遊興の地として親しまれていたようです。江戸川公園として整備された川沿いにも多くのソメイヨシノがたおやかな姿を見せていまして、宙空を高速道路が通過しコンクリートで固められた現代都市の河川となった神田川に少しばかりの情趣を与えていました。

 江戸川公園の桜の下を通り、椿山荘の庭園を一瞥しながら、胸突坂を目白通りへと上りました。緑豊かな台地の末端部を駆け上がる坂道は、自分の胸を突いて上がらなければいけないほど急な坂ということで江戸期に名がついた坂ですが、春のあたたかな日和の中で都会の喧騒を忘れさせる穏やかさが感じられました。坂の東側には早稲田田んぼの風光を愛したという松尾芭蕉が庵を結んでいた場所に建つ関口芭蕉庵(現在の建物は戦後の再建)や蕉雨園(田中光顕旧邸)があり、西側の永青文庫(細川下屋敷跡)とともに藩政期の面影も垣間見える一角でもあります。目白通りに出て、右手に東京カテドラル教会の尖塔を確認して西へ、住宅街然とした目白台から雑司ヶ谷方面へと歩きました。



胸突坂
(文京区目白台一丁目、2010.4.3撮影)
鬼子母神大門ケヤキ並木

鬼子母神大門ケヤキ並木
(豊島区雑司が谷三丁目、2010.4.3撮影)
鬼子母神堂

法明寺鬼子母神堂
(豊島区雑司が谷三丁目、2010.4.3撮影)
法明寺

法明寺
(豊島区南池袋三丁目、2010.4.3撮影)

 豊島区に入って間もなく目白通りから都電鬼子母神前駅へ向かう路地を進み、鉄路を渡ってすぐの鬼子母神表参道入口の商店街を通って参道を進みます。石畳の参道の両側は住宅街となっていて、都の天然記念物であるケヤキ並木も家々の軒先をかすめるようです。1578(天正6)年建立の鬼子母神堂(鬼の字は正式には上に点がない字体)は、区内最古という1664(寛文4)年)建立の本殿がやはり閑静な住宅街の中に鎮座して、大きく変遷した地域の歴史を感じさせました。その鬼子母神堂を飛地境内に含む法明寺は、江戸時代から桜の名所として知られる古刹です。池袋駅も至近となる地域性を反映し、高層建築物も多い中にあって、境内を埋め尽くすように咲き誇るソメイヨシノの美しさは本当にたおやかで、江戸の町を南に見下ろす台地上に在った往時を十分に偲ばせました。

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