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シリーズ・クローズアップ仙台

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#110 若林区・六郷周辺を歩く ~広瀬川の自然堤防上の集落と田園風景~

 2018年12月23日、市中心部から八幡へと向かった後に四ッ谷用水を辿り、地下鉄であすと長町へと移動したこの日の終盤は、広瀬川左岸の若林区六郷エリアへと足を伸ばしました。現在の若林区の南部に相当する六郷地区は、1941(昭和16)年に仙台市に合併したかつての六郷村の範域を基礎としています。中心市街地を渓谷状に流れる広瀬川も、このあたりでは流れも穏やかになり、沖積低地を広い河川敷を構成するようになります。以前にご紹介した旅立稲荷神社を広瀬川の河畔に訪ねた後、県道54号にそって町並みを歩きました。

広瀬橋

広瀬橋の風景
(太白区長町一丁目、2018.12.23撮影)
広瀬橋から中心市街地を望む

広瀬橋から中心市街地を望む
(広瀬橋より、2018.12.23撮影)
旅立稲荷神社

太白団地の風景
(若林区若林二丁目、2018.12.23撮影)
若林地区付近の広瀬川

若林地区付近の広瀬川
(若林区若林二丁目、2018.12.23撮影)

 県道は若林地区を南東へ、市街化した中を進んでいきます。県道は周囲より一段高い場所を通過していまして、広瀬川の旧堤防上を進んでいることを示唆しています。堤防は広瀬川に近い場所に建設されていまして、その鍼灸の堤防の間もすっかりと住宅や商業施設で充填されていまして、広域中心としたる仙台市の都市化の姿を如実に表現していました。若林地区の北側には、古城地区が隣接し、伊達政宗が晩年を過ごした若林城跡に所在する宮城刑務所を見据える立地となります。市街地に隣接するこのエリアは、その若林城周辺と、広瀬川の自然堤防による微高地に集落があるほかは、元来は水田などに利用される場所であったと思われます。県道はやがて仙台市東郊を縦貫する大幹線道路たる国道4号(仙台バイパス)へと至りました。この道路が仙台の郊外化を画するエッジとなり、その内側はあまねく市街地へと編入されて、現在に至っています。

 多くの車両が寸断無く通過している仙台バイパスを歩道橋で横断し、さらに東の地区へと歩を進めます。歩道橋の上から町並みを眺望しますと、バイパスの両側ともに宅地化が進んでいる様子が確認できます。広瀬川を千代大橋で渡った先でバイパスは仙台南部道路の長町インターチェンジと連接しています。仙台南部道路は東北自動車道と仙台東部道路をつなぎ、さらにこれらの高速道路網は、市街地北縁の仙台北部道路や仙台東部道路の延長である三陸自動車道ともリンクするようになり、仙台大都市圏における縁辺部における勧請道路網を形成しています。仙台バイパスを横断した先の地域も、郊外然とした住宅地と、商店とが建ち並ぶ風景が連続していきます。

若林二丁目

若林二丁目の景観
(若林区若林二丁目、2018.12.23撮影)
商業施設

若林地区の商業施設
(若林区若林二丁目、2018.12.23撮影)
仙台バイパス

仙台バイパスの風景

(若林区若林四/七丁目2018.12.23撮影)


六郷地区の市街地景観
(若林区六郷、2018.12.23撮影)

 沖野地区から飯田地区(上飯田、下飯田)へと進む県道沿いには、建物の間に小さな水路が流れる様子も確認できまして、自然堤防の微高地を指向した集落と、その後背地に展開した田園地帯を背景とした農業的な土地利用が、この地域における原風景であったことが理解されます。六郷という地名は、その名が連想させるように、この地域に存在した6つの集落(沖野、飯田、日辺、今泉、二木、種次)を基礎としていると考えられます(実際はこの6村に加え、浜集落で会った井戸浜、藤塚浜の8集落が合併しています)。これらの集落は広瀬川に沿って発達した自然堤防に存立するという等質性が、これらの村々が連立するにあたってオリジナルな地名ではなく、「6つの村」という村名を選択せしめた素地にあったことは十分に理解できるような気がいたします。

 沖野地区や飯田地区は、仙台市街地の郊外化の影響を大きく受けていまして、集落のエリアの全般的に宅地化が進行している様子を見て取ることができます。六郷小学校や中学校のあるあたりまで来ますと、周囲は新しい住宅地が展開していまして、その背後にある昔からの集落と重なりながら、市街化が進んできた地域の歩みを確認することができます。六郷小学校北の道を東へ入りますと、広大な水田地帯が広がる様子を見通すことができます。農業地域であることを伝える用水路(霞目雨水幹線排水路)を渡りますと、飯田地区北側の小さな集落へとつながります。この辺りまで来ますと、時間も午後4時近くとなり中心市街地へと戻らなければならなくなったため、「築道バス停」でバスを待ちました。「築道」というその名前に、荒地を開墾し田園地帯へと変えてきた、地域の変遷史を見たような気がいたしました。


霞目雨水幹線排水路

霞目雨水幹線排水路
(若林区下飯田、2018.12.23撮影)
六郷地区

六郷地区の田園風景(仙台東高校を望む)
(若林区下飯田、2018.12.23撮影)
SENDAI光のページェント

SENDAI光のページェント
(青葉区国分町三丁目、2018.12.23撮影)
メディアテーク前

メディアテーク前のページェント
(青葉区春日町、2018.12.23撮影)

 中心市街地へと戻るバスの車窓からは、新しい住宅地と比較的時間を経た町並みとが交じり合う六郷エリアの景観を再確認しました。そして、そうした土地利用は、水害に遭いやすい低地を避けて微高地を居住地域としてきた歴史を現在でも反映したものであることを実感しました(もちろん、低地を農地として利用する「農業振興地域」との関わりも考慮する必要があります)。仙台訪問のエピローグは、定禅寺通の「SENDAI光のページェント」の観賞でした。この年も変わらぬ穏やかな光へ包まれた仙台の町並みを歩きながら、豊かで穏やかな時間を過ごすことができました。


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