Japan Regional Explorerトップ > 地域文・中国地方

尾道ビューティーズ
〜「まち」と「しま」の光芒〜

2014年5月5日、初夏の広島県尾道を訪ねました。歴史ある寺社と昔ながらの街並みが交錯する市街地散策から、川のような尾道水道を越えてしまなみ海道へ、
美しさに満ち溢れた「まち」と「しま」の輝きにたくさん出会える行程となりました。

尾道水道

千光寺から眺めた尾道水道
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)
除虫菊の花

除虫菊の花
(尾道市因島重井町、2014.5.5撮影)

 
訪問者カウンタ
ページ設置:2017年7月2日

尾道市街地を歩く 〜「まち」の歴史を携えた風景〜

 2014年5月5日、高速バスで到着した尾道駅前は雨模様のどんよりとした空の下にありました。気温も肌寒くて、出発前に新宿駅近くで薄手のパーカーを購入した記憶があります。尾道はかつて一度訪れたことはありますが(「瀬戸内逍遥 I 参照)、市街地を歩いた経験はありませんでした。尾道を訪れる多くの人々が魅了される、尾道水道に面した風光と、多くの寺や神社が山の手に佇む景観とをまずは訪ねることとしました。

尾道駅前

JR尾道駅前
(尾道市東御所町、2014.5.5撮影)



尾道本通り
(尾道市東御所町、2014.5.5撮影)

二階井戸

二階井戸
(尾道市西土堂町、2014.5.5撮影)
古寺めぐりコースの景観

古寺めぐりコースの景観
(尾道市西土堂町、2014.5.5撮影)
石段のある風景

石段のある風景
(尾道市西土堂町、2014.5.5撮影)
吉備津彦神社

吉備津彦神社
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)

 尾道は、瀬戸内海に接する有力な倉敷地として、また藩政期以降は瀬戸内海を航行する廻船が寄港する港町として発展した商業の町です。多くの有力な商人は中世以来存立してきた寺院に寄進し、多くの寺院や神社が存在する今日の尾道の地域性を育みました。尾道水道を間近に望む尾道駅を出発し、旧西国街道にあたる本通り商店街のアーケードに進み、程なくして北側にある階段を上がって国道2号と山陽線の鉄路を歩道橋で越えて、山側の市街地へと足を踏み入れました。山肌に沿って民家の間を縫うように石段が続く景観は、海と山に囲まれた地域性を凝縮したような美しさに溢れています。市街地に設置された「古寺めぐりコース」をたどりながら、昔ながらの風景を味わいます。坂の下ある井戸を上のほうにある家でも利用できるように長い釣瓶を持つ「二階井戸」があって、傾斜地の暮らしの態様を今に伝えていました。

 持光寺(浄土宗)を皮切りに、光明寺(浄土宗)、海福寺(時宗)、宝土寺(浄土宗)と歩を進めます。民家の間の石段を上がり、坂に並行する路地を辿り、寺院の土壁の土台となる石垣づたいに進む道筋は、時に背後の山並みの緑をバックにし、また時には建物の間に尾道水道がわずかに見える方向になって、めまぐるしくその表情を変えていきます。宝土寺境内の西に鎮座する吉備津彦神社は一宮神社として親しまれ、毎年11月3日に開催される奇祭「ベッチャー祭」の祭神たちはこの神社から繰り出すことで知られます。宝土寺の東から石段を下りますと、「千光寺新道」と呼ばれる石段へと至ります。民家の間を潜り抜けるような石段を登っていきますと、途上に「尾道市文学公園」があります。付近には志賀直哉旧居があり、さらに坂を上がった場所にある中村憲吉旧居や文学記念室(旧福井家住宅)と合わせて「おのみち文学の館」として一体的に再整備されて、尾道にまつわる文学の歴史を感じることのできるエリアとなっていました。

千光寺新道

千光寺新道の景観
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)

志賀直哉旧居

志賀直哉旧居
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)

尾道市文学公園

尾道市文学公園からの展望
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)
千光寺道

千光寺道の景観
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)
天寧寺遠景

天寧寺遠景
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)
艮神社

艮神社
(尾道市長江一丁目、2014.5.5撮影)

 このあたりまで歩いてきますと眼下の家並の向こうに尾道水道や対岸の向島への眺望が徐々に利くようになってきます。文学記念室下の細い石畳の道を抜けますと、千光寺道へと到達します。麓の中心市街地から尾道三山の一つ千光寺山へと続く石段は、尾道らしい景観を最も色濃く感じさせる場所の一つとして訪れる人の多い場所です。古寺めぐりコースは、千光寺道を横断し、重要文化財の三重塔を擁する天寧寺(曹洞宗)へと続きます。室町初期の創建時には大寺院であったというこの寺院は、その時代の唯一の遺構である三重塔を背に、緑濃い山の木々に埋もれるように佇んでいました。天寧寺の東をJRの鉄路に並行する路地を進みますと、尾道で最古の神社といわれる艮(うしとら)神社へ。県の天然記念物ともなっているクスノキの大木は、初夏の雨にしっとりと濡れて、みずみずしい輝きを見せていました。境内の程近い場所にある千光寺ロープウェイ山麓駅より神社の頭上を越えて、一気に千光寺山の山頂を目指しました。ロープウェイの中からは、緑に覆われた山上に点在する千光寺の堂宇をドラスティックに眺めることができました。

 山頂の展望台から見下ろす尾道の街並みは、まさに大きな川のような尾道水道の風光もあいまって、筆舌に尽くしがたい美しさに満ちていました。この日は終始どんよりとした曇り空で、山の上はやや靄のかかったあいにくの天候ではありましたが、新緑の山並みがしっとりとした色彩に包まれていまして、幻想的な雰囲気を演出しているように感じられました。古来より舟運で栄えた商業都市・尾道の歴史をじっくりと観察することができました。対岸の向島にはドックの建造物も立ち並んでいまして、近現代に渡って船とかかわり続けた地域の姿をも実感させました。山頂から千光寺境内に下りる道筋は、「文学のこみち」として修景されていまして、奇岩が立ち並ぶ自然を体感しながら、多くの文人に愛された佳景の町・尾道を偲ぶことができます。千光寺(真言宗)は、本堂や鐘楼などの建物が特徴的な形をした巨岩が露出する場所に造営されていまして、この場所が古来修験の場であったことを彷彿とさせます。やがて流通と結びついた商業の町として町場が形成されるにつれて寺院と市街地が結びついて、今日の尾道の特色ある景観が醸成されました。千光寺から望む尾道の風景は、この町を紹介する映像としてしばしば用いられる、代表的な眺めです。天寧寺の三重塔も眼下に小さく見えていました。

千光寺山ロープウェイ

千光寺山ロープウェイからの風景
(ロープウェイ内より、2014.5.5撮影)

千光寺山公園からの眺望

千光寺山公園からの眺望
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)

千光寺山公園からの眺望

千光寺山公園からの眺望
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)
文学のこみち

文学のこみち
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)
千光寺からの眺望

千光寺からの眺望
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)
千光寺からの眺望

千光寺からの眺望
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)

 千光寺道を下り、中村憲吉旧居を一瞥しながら天寧寺三重塔を左手に進んで、艮神社界隈から古寺めぐりコースの散策を再開します。石畳の情趣に溢れる道のりは、尾道三山のひとつである西國寺山の麓に壮大な山域を持つ西國寺(真言宗)へ向かいながら、妙宣寺(日蓮宗)、慈観寺(時宗)、正授院(浄土宗)、善勝寺(真言宗)、福善寺(浄土真宗)、そして御袖天満宮と境内を一にする大山寺(真言宗)と、いずれも地域に根差した歴史を持つ寺院へ足を運びながらのものでした。西國寺山と千光寺山との間の谷筋は出雲方面へと通ずる重要な道筋であったようで、昔ながらの街道沿いとしてのたたずまいを残す一角もあって、この町の奥の深さを体感します。国の重要文化財指定を受ける金堂と三重塔が美観を与える西國寺は、尾道でも最大規模の寺域を持ちます。大草履が架けられた仁王門をくぐり、塔頭寺院が並ぶ参道を歩いて、山の斜面に伽藍が広がる境内へ。重要文化財の金堂の背後には、森の上に突き抜けるように三重塔が建ち、海と山に寄り添う美観を構成していました。三重塔のあるあたりは高台であるため、堂塔の甍の群れを介し、尾道の街並みを気持ちよく望むことができました。

 「古寺めぐりコース」はさらに東へ、尾道三山の最後の一つ、浄土寺山の麓へと誘います。時宗最古とされ南北朝期建立とされる本堂と山門(ともに重要文化財)を持つ西郷寺の結構を確認しながら、JRの鉄路を見下ろす参道を進みますと、本堂と多宝塔、さらに境内地そのものが近世以前の様式を今に伝えるとして国宝の指定を受ける浄土寺(真言宗)にたどり着きました。境内へと駆け上る参道の上を線路がまたぐ形となっており、その向こうに尾道水道と向島が見える風景は、寺院と町と海と島とが狭い範囲で集合する尾道を象徴するといえるように思われました。

天寧寺三重塔と街並み

天寧寺三重塔と街並み
(尾道市東土堂町、2014.5.5撮影)

昔ながらの街並み

昔ながらの街並み
(尾道市長江一丁目、2014.5.5撮影)



西國寺からの眺望
(尾道市西久保町、2014.5.5撮影)
西國寺遠景

西國寺遠景
(尾道市西久保町、2014.5.5撮影)
浄土寺

浄土寺
(尾道市東久保町、2014.5.5撮影)
中心商店街

中心商店街の景観
(尾道市土堂一丁目付近、2014.5.5撮影)

 浄土寺の拝観後は東に隣接する海龍寺(真言宗)に立ち寄りつつ浄土寺の参道の石段を下りて市街地へと進み、本堂や大門などが重要文化財指定を受ける常称寺(時宗)を訪問、アーケード街となっている旧街道筋の街並みを通って尾道駅前へと戻りました。尾道周辺は元来平地がほとんどなく、これまで跡付けてきた尾道三山の間に湾入する海のごく狭い範囲が可住地であるに過ぎませんでした。一説には尾根筋を道が通じていたことが「尾道」の地名の由来とするものもあるようです。重要な港湾として成長するにつれて海辺が干拓され、密度の高い町並みが続く現在の市街地が完成しました。多様な宗派の寺院が自然豊かな町に溶け込み、維持されている姿は、尾道という町がいかに規格外の勢力をもって存立してきたかを如実に物語ります。最後に今でもなお規模の大きい市街地の景観を確認しながら、そうした思いを強くしました。

 
しまなみ海道サイクリング」へ続く

このページのトップに戻る

地域文・中国地方の目次のページに戻る       トップページに戻る

(C)YSK(Y.Takada)2017 Ryomo Region,JAPAN