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北海道の空
〜見上げる色、彼方へ〜

 2013年8月24日から26日にかけて、北海道道北・道東をめぐりました。主に都市の姿とそれらをとりまく自然を観るというスタンスでの彷徨でしたが、そこで感嘆したことは、どこまでもクリアで屈託のない空でした。そして、その空の色は、まぎれもなく私たち自身も共有しているものであるということでした。

コッタロ展望台

釧路湿原・コッタロ展望台で眺めた空
(北海道標茶町、2013.8.26撮影)
札幌夜景

藻岩山から眺めた札幌の夜景
(札幌市南区藻岩山、2013.8.26撮影)


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ページ公開:2013年10月18日

最奥の漆黒 〜どこまでもクリアな空との出会い〜

 北海道・日高山脈の峻険さは一般的にはあまり知られていないのかもしれません。北海道の中央、佐幌岳から南へ、2000メートル級の山々を連ねて襟裳岬で太平洋へと沈む山並みはわが国でも珍しい圏谷を伴っていて、やすやすと乗り越えることを許しません。大雪山系から日高山脈へと続くこの地帯は道央と道東を結ぶ主要な交通路が必ず越えなければならない難所として長らくその座に君臨し続けてきました。そんな急峻な高原地域を貫き、道東と道央を連絡するべく建設が進められた道東自動車道がこの区間で全通したのは、2011年10月になってからのことでした。鉄道はJR石勝線がこれに先立ち1981(昭和56)年に完成して広域交通のメインルートとして機能してきていましたので、高速道路の完成にこれほどまでの期間を要したことは、やはりこれらの「北海道の背骨」と呼ばれる峰々が険阻であることを示す一つの証左であるとも言えましょうか。

 2013年8月26日、釧路市内や根釧台地等のフィールドワークを終え札幌へ向かっていた私は、まだ真新しい部類のこのハイウェイを快適に通過していました。その道程で、これまで見たこともないような、限りなく透明感のある、屈託のない夕闇に巡り会い、この上のない感動を覚えました。白糠の町から北へ山中へ分け入り、道東道に乗って、十勝平野を横断する頃までは時折激しい雨が降っていた天候も、北海道の脊梁に至る段になって急速に回復して、かかる絶景に遭遇することとなりました。天色から群青色、藍色、そして橙色へ、悠久の大自然たる周囲の山々を得も言われぬ影絵の世界へと昇華させながら、雄大な空はその透明感を維持して、フロントグラス越しに圧倒的な存在感を示していました。

北竜町ひまわりの里

北竜町ひまわりの里
(北海道北竜町、2013.8.24撮影)
JR旭川駅

JR旭川駅北口の風景
(旭川市宮下通七・八丁目、2013.8.24撮影)
美瑛の丘

美瑛の丘・耕地の風景
(北海道美瑛町、2013.8.24撮影)
屈斜路湖

屈斜路湖
(北海道弟子屈町、2013.8.25撮影)

 朝、晴天の北見の町を出発して到達した美幌峠は霧の中。その後に到着した摩周湖は湖面のみ見通せる曇天下でした。さらに訪れた知床五湖をめぐる散策路では時折覗く青空の下で快いトレッキングができたかと思えば、半島を横断してやってきた羅臼はまたもや霧の中で、根釧原野もほとんど見通しが利かないほどの靄の中にありました。これらの気象はすべて8月25日、同じ島の自動車で回れる範囲内で発現したものです。

 オホーツク海に向かって束の間の夏空に包まれていた知床の空も、日照時間が少ない地域性そのままに終始深い霧の中にあった根釧台地の空も、紛れもない空であり、道東道で見たあの“最奥の漆黒”の空へつながっています。そう考えると、それぞれの地域でそれぞれにこの目で見て感じた多種多様な空の態様は、一つひとつがかけがえのない地域の姿の一描写であって、これからも紡がれていく地域の軌跡を構成していくものなのではないかとも思えてきます。北海道という島の東の端で、夏の終わりの日と時を駆け抜けた記憶は、こうして地域をいとおしく見つめるための美しい風景として脳裏に刻まれることとなりました。

摩周湖

摩周湖(第一展望台より)
(北海道弟子屈町、2013.8.25撮影)
知床五湖

知床五湖の風景(一湖から知床連山を望む)
(北海道斜里町、2013.8.25撮影)
根釧台地

根釧台地の景観
(北海道中標津町、2013.8.25撮影)
釧路市・米町公園

釧路市・米町公園
(釧路市米町一丁目、2013.8.26撮影)
コッタロ展望台

釧路湿原・コッタロ展望台の空
(北海道標茶町、2013.8.26撮影)
開陽台

開陽台展望台から見た根釧台地の格子状防風林
(北海道中標津町、2013.8.26撮影)

 北海道の中心を構成する山々を縫って、高速道路はさっそうと伸びていきます。夕闇に輝きだした宵の明星に呼応するかのように次々に星たちが大空に瞬き始めます。このような交通の大動脈が通過する地域でありながら、人口密度の低いこの島にあって、この一帯はさらに人口が希薄な地帯です。人煙まれな奥深い峰々を貫通する高速からは、春の芽吹きの山笑う風景、初夏の緑と光に溢れた景色、秋から冬にかけての紅葉、そして雪に閉ざされる厳しい冬の光景。夕闇の中はっきりと植生の様子を確認することができませんでしたが、広葉樹と針葉樹が混交する景観が展開していたのかもしれません。

 やがて日はとっぷりと暮れて、千歳東インターチェンジで高速と別れ、千歳市街地方面へ向かいました。千歳の名は、市内を流下する千歳川が由来です。千歳川はアイヌ語で「シ・コッ(大きな窪地)」と呼ばれ、これにちなみ「シコツ」と称していたものを、これが「死骨」を連想することから憚られ、当時この地に多くの鶴がいたことから、1805(文化2)年に、「鶴は千年、亀は万年」の故事にちなんで「千歳」と命名されたといいます(千歳市ホームページより引用)。 よどみのない青空、霧雨をまといながら原野を覆い尽くしていた鈍色の空、灰色の空を突きぬけて刹那太陽の光を地上に届かせた恵みの空、すべてがそのままの美しさを神々しさを放ちながら、千年先もその先も、この大地を彩っていくのでしょうか。

 ※上掲千歳の旧称「シコツ」は、千歳川上流の支笏湖にその名を残しています。


“道北”の風景 〜夏の輝きと開拓史を映すグラデーション〜

 北海道入りをしたのは、8月24日。土曜日の未明にバスで地元を出発し、午前9時過ぎに到着した新千歳空港近傍でレンタカーを調達。薄曇りの道央道を北へ走り始めました。原野や森が卓越する高速道の風景は札幌大都市圏の外縁部で郊外然とした都市景観を呈しながらも、札樽(さっそん)道を分けて東北から北へ進路を変えてからは再び建物の少ない、広々とした空間の只中を行くものへと変化していきました。ただ、札幌以南と大きく異なるのは、それが丘陵性の平原や樹林を主体としたものではなく、茫漠とした低平な土地がなだらかな山地に抱かれる、まさに「大地」そのものであるということでした。

 北海道の母なる大河、石狩川の流域と重なるその石狩平野の地面は、北海道開拓史の縮図であるといえます。石狩平野は東にかつての一大産炭地である夕張山地を擁することからも類推されるように、泥炭地の卓越する農業にはおよそ向かない不毛な場所でした。そこへ、他所から土を持ちこみ土壌改良をする客土や河道整備や排水設備を含む治水事業が集約され、痩せた低地は全国的にも類を見ない一大穀倉地帯へと変貌しました。

北竜町ひまわりの里

北竜町・ひまわりの里遠景
(北海道北竜町、2013.8.24撮影)
石狩平野

ひまわりの里から望む石狩平野
(北海道北竜町、2013.8.24撮影)
石狩平野・田園風景

石狩平野の田園風景
(北海道妹背牛町、2013.8.24撮影)
ケンとメリーの木

美瑛の丘・ケンとメリーの木
(北海道美瑛町、2013.8.24撮影)

 北海道付近はこの日、沿海州方面から南東へ移動してきた低気圧の影響もあり大気が不安定で、篠打つような雨が窓をたたくことがあるかと思えば、雲間から日が射して青空が望む時間帯もあって終始天候は落ち着きませんでした。石狩平野の北の端・深川市まで高速を走った車窓越しの映像は、時折激しく濡らす水滴に阻まれながらも、雄大な石狩平野や彼方で層雲を美しく羽織る樺戸産地や夕張山地の連続する姿を映して、軽やかに行き過ぎていたように思います。深川から留萌方面へ続く国道から眺めた田園風景は、単線の電車が走って来るようすもない留萌線の向こうに、青空の広がった瞬間、とびきりの輝きを見せていました。

 交通の要衝として石狩川右岸に発達した深川市街を過ぎ、たおやかな山並みに抱かれた石狩平野北部の穀倉地帯を進みます。北海道は広大な範域を所管するため、道内を複数の地域に細分しそれらを所管する出先機関(総合振興局または振興局)を設置しており、その所管区域は「○○管内」などと呼ばれ、それは地域の呼称としても一般的に使用されます。このあたりは、空知総合振興局の管内で、さらに大きい括りでは札幌市を含む石狩管内などとともに「道央地域」とされることが多いようです。しかしながら、札幌都市圏から相対的に離れた空知北部は、その丸みを帯びた大地のたたずまいが上川管内や宗谷管内などの道北エリアの雰囲気を想起させるように思います。ただ、その道北地域との類似がどっぷりとしたものでもないのは、目の前に展開する水田がどこか内地の平野の姿をもまた連想させるからなのかもしれません。北竜町のひまわりの里の小高い丘の上から眺めた北空知の田園は越後平野を俯瞰しているかのような懐かしさも感じましたし、併せて遠方の山並みに壮大な北海道道北方面のなめらかな地形をもまた大いに想像させました。

親子の木

美瑛の丘・親子の木を遠望
(北海道美瑛町、2013.8.24撮影)
美瑛市街地遠望

美瑛の丘・北西の丘展望公園から美瑛市街地を望む
(北海道美瑛町、2013.8.24撮影)
美瑛の丘

美瑛の丘(北西の丘展望公園より)
(北海道美瑛町、2013.8.24撮影)
マイルドセブンの丘

マイルドセブンの丘
(北海道美瑛町、2013.8.24撮影)

 その思いは旭川を経て夕闇迫る中訪れた美瑛の丘を眼前にして確信に変わりました。旭川市を中心とする上川管内は北海道内陸部に南北に広がっていまして、美瑛を含むその範域は北にある宗谷及び留萌管内とともに道北エリアに分類されます。大雪山系を東に望む伸びやかな丘陵性の大地は畑地が卓越し、遥かに幾重にも連なる伸びやかな丘のひとひらひとひらは、石狩川流域から見渡した山々が内包していたやさしさそのもののように感じました。複数の作物が栽培され「パッチワークの丘」と称される美瑛の丘は、特色のある名前を持つ木々の存在とともに有名になって、多くの観光客をひきつける場所となりました。

 そこが他の多くの観光地と異なるところは、そこが自然の景勝地ではなく、北海道でも有数の作物の生産の場であるということですね。小麦やじゃがいもを中心に、大豆、てんさい、とうもろこし、アスパラガスなど多様な野菜が栽培される畑を鑑賞しているわけです。道北らしい雄大な景観に人間が努力を重ねて切り開いてきた耕地が織り成す絨毯とが奇跡の融合を見せる美瑛の大地。この風景の背景にはここを開拓し、耕してきた多くの先人の汗と涙とがあることに思いをはせるとき、それは極上の絵画として一層の輝きを放ちます。

 多くの眺望スポットや展望所を回って美瑛の風景を目に焼き付け、丘を下っていきますと丘陵を刻む河川がつくるわずかな沖積地には水田が開かれていました。土壌や水利、気象条件に合った農業形態が選択されていることを改めて目にして、北海道の開拓史の奥深さと尊さとを実感し、この日は主な活動を終えました。終始天候が安定しないなかにあって、空は千変万化の対応を見せ、一瞬輝く夏の太陽と青空が、そうした大地の鼓動と躍動に惜しみなくスポットライトをあてていました。

後半へ続きます。


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