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HIROSHIMA REVIEW

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#3 宇品界隈 〜進化を続ける海の玄関口〜

 2003年3月、広島港に画期的な新ターミナルがオープンしました。この開業に伴い、市電宇品線の広島港(宇品)電停もターミナル前に延伸されました。祝日のターミナルは人影も少なく、巨大な施設の、広大なスペースのその広さが印象的です。フェリーの桟橋からターミナル、そしてバス乗場と市電電停とがフラットに結ばれている上、移動のために広々とした空間が確保され、エレベーターなどの移動補助施設も充実しています。動線上には屋根が基本的に設置されていますので、下船時から市電などに乗り継ぐまでに傘が必要になることはほとんどなさそうです。コンビニエンスストアや食堂、旅行代理店などもあり、中国・四国地方の中核的な旅客港湾施設としての利便性も抜群です。島嶼方面の桟橋には、似島行きの船が停泊していて、間もなく出航時間を迎えようとしていました。港内は波がたいへん穏やかで、つややかな陽光は海面や海を臨むウッドデッキの上に、ふんだんにあたたかさを伝えています。広島港が利用者に対しここまでの利便性を確保している背景には、宇品港の生活路線の結節点としての重要性があります。平日の朝、宇品港には似島や能美島、江田島等広島湾周辺の島嶼から、次々と高速船やフェリーが入港し、通勤・通学客が足早にターミナルを通り抜け、市電やバスに乗り換えていく光景が見られるとのこと。中には自転車のままフェリーから降り、町へ繰り出していく人もいるそうで、誰にでも利用しやすいターミナルづくりは自然の成り行きだったというレポートを、複数のサイトで発見しました。広島港からは、韓国・釜山へ週3便国際航路が就航したり、松山方面などの遠距離の船便が発着する一方で、広島湾周辺の島々にとっては、広島港は日々の生活の足として重要な役割を担っているというわけですね。新ターミナルの東側には、旧ターミナルも現役で使われていまして、その東側では港に面した公園の護岸部分の工事が行われていました。穏やかな海面の向こうには、安芸小富士が美しい似島、その背後に横たわる江田島・能美島、さらに西側には遠く宮島などの島々が驚くほど近くに展望できました。

旅客ターミナルと電停

広島港宇品旅客ターミナル、広島港電停
(南区宇品海岸一丁目、2005.2.11撮影)

広島港、フェリー停泊中

広島港、似島行きフェリー
(南区宇品海岸一丁目、2005.2.11撮影)

似島、江田島

広島港より似島(安芸小富士)、江田島を望む
(南区宇品海岸一丁目、2005.2.11撮影)
広島港

広島港、宇品島北側のようす
(南区元宇品町、2005.2.11撮影)

広島港の静かな海を右手に、宇品島を散策します。漁船やボートなどが係留される船泊まりに面して、散策しやすいように岸壁整えられた先に、高層住宅が林立する景観は本当に美しく感じられます。元宇品公園は、豊かな緑に恵まれた快適なウォーキングが楽しめるエリアでした。西側から南側にかけては、広島港からも眺望された広島湾の島々が海原にゆったりとたゆたいます。似島は、円い三角錐の安芸小富士の姿によって一際目立つ存在ですね。広島市街地のいろいろな場所からも、現代の都市景観のスカイラインには、たおやかな安芸小富士の稜線が顔を出しているようすを、これからも度々ご紹介していくことになるかと思います。江田島や東西の能美島(島の名前は区別されますが、これらの3つの島は陸続きで形態的には1つの島です)は低く、平らかに水平線上に横たわる島で、テーブル状の容姿は波静かな瀬戸内海の色彩に実によくマッチしているように思います。このあたりから望む江田島は、宇品島の緑と安芸小富士の間の空隙を埋めるかのように重層的に連なっているように見えまして、小波たなびく瀬戸内にあって、極上の原風景を演出しているようにも思えてきます。世界遺産・厳島神社の神域として古からの原生林が残る宮島は、一変してごつごつした稜線を見せて、丸みを帯びた瀬戸内海の風景に一味違ったエッセンスを与えています。背後の本州の山々との重なり具合も、「美しい」の一言です。宮島の山なみも、やはり広島市街地のさまざまなロケーションにおいて、その個性的な姿を都市の風景のあわいに、鮮やかに見せてくれます。

一方、島の東海岸には、元宇品町の穏やかな町並みが広がる彼方、海田町から広島市安芸区、坂町方面への展望が開けます。黄金山を中心とした仁保地区は、かつては似島と同様広島湾に浮かぶ島でした。その海岸沿いは自動車メーカーの工場が立地し、海に浮かぶ穏やかな島があったであろう風景は産業及流通の一大拠点地域へと一変しています。都市高速と広島呉道路が湾上でクロスしつつ、海の上を軽やかに連絡している景観も、手にとるように眺望できます。その橋の下を、大型の貨物運搬船が就航するシーンも見られるとのことです。元宇品(かつては「向宇品」と呼ばれていたようですね。市電の電停名も長らく「向宇品口」を名乗っていました。現在は町名に併せて「元宇品口」に改称されています)の瀬戸内らしいのびやかな集落景観と、白く青くささやく潮騒、それに応えるかのような空色の色彩が空から山々へ伝わって、向こうの臨海工業・流通業拠点地域の景観をも穏やかな景観にしてくれているように感じます。元宇品の輝きは、瀬戸内の風景、現代の都市風景、さまざまな要素に臨み、1つの絵画を楽しめるスポットであるようでした。




元宇品の町並み、広島大橋を望む
(南区元宇品町、2005.2.11撮影)

宇品島からの眺望

宇品島から似島(左)、宮島(右)を望む
(南区元宇品町、2005.2.11撮影)

宇品五丁目電停付近

宇品の町並み、市電が走る
(南区宇品御幸五丁目、2005.2.11撮影)
宇品の町並み

宇品の町並み
(南区宇品御幸/宇品神田五丁目、2005.2.11撮影)

元宇品口電停付近は、広島高速から連続する広島南部幹線道路の計画地域が広く空き地として確保されていました。一部区間は国道2号線のバイパスとして供用が始められているこの計画道路は、吉島、江波、観音の中洲を通過し、西区商工センターの中央を貫く道路へと接続される、広島市における臨海部の一大幹線となる道路です。現在市電は国道487号線(宇品通り)を走り、路線バスは西側の旧街道を路線としていて、公共交通機関がうまく棲み分けを行っています。過去の資料を辿ってみますと、御幸橋東詰(「専売局前」電停がありました)から宇品にかけての軌道敷は1935(昭和10)年に移設が行われていまして、そのルートは現在の宇品西(1〜4丁目)と宇品御幸(1〜5丁目)の住居表示の境界となっている道路であったようです。軌道が現役だった頃は、この道路以西はまだ海面でした。元宇品口電停の北、両住居表示の境界をなす道路あたりに段差がある個所があり、この付近がかつて岸壁のようになって海に向かい、その上を市電が走っていた名残を留める地域であるのかもしれません。

市電通り周囲の町並みは高層住宅が建ち並びながらも庶民的な佇まいの商店も点在する、どこかノスタルジックな下町を思わせます。宇品五丁目電停付近にある「宇品ショッピングセンター」は戦後間もなく、青空市から出発した商店街で、終戦60年を迎える今日でも一部の通りの屋根は当時より使われているものがあるといいます。地域密着を是として商いを続ける商店街は、店主と客とで気の置けない会話を楽しみながらといった、昔ながらの商売のスタイルが続けられているのでしょうか。

21世紀の今、宇品は広域中心都市郊外の快適な住宅街として、大都市と島々とを結ぶ交通の結節拠点として、そして瀬戸内のたおやかな自然景観と現代都市景観のコラボレーションを楽しめる場所として、さらなる進化を遂げているように思いました。歴史を紐解きますと、軍港として成長し都市基盤を得た宇品の町ですが、築港の端緒となったのは、拠点としては港湾機能に難のあった広島の発展のため港湾施設の建設を発案し尽力した広島県令・千田貞暁の功績もありました。広島市の成長と光芒の舞台には、宇品エリアの存在感が必ず寄り添っていたのではないでしょうか。平和を希求するこのまちにあって、宇品の町は今、その崇高な理念を胸に、力強い歩みを続けているように思います。


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