Japan Regional Explorerトップ > 地域文・中国地方 > 中国山地を見つめて・目次

中国山地を見つめて

#8ページ
#10ページへ→
#9 大森の町並みを歩く 〜石見銀山と寄り添うまち〜

 2007年9月3日、島根県内の諸地域をめぐって、三瓶山の山並みをドライブで楽しみながら大田市内に入り、大森へと至りました。いわゆる石見銀山に関連の深いエリアとして、この夏は世界遺産登録の追い風もあって、近年に無いほどの人出で賑わっていたといいます。9月に入って夏休みも終了した時期であったので、バス運転手の方のお話ですとかなり観光客の数は減っていたとのことでした。しかしながら、この日も多くの人々が散策しているように思われました。石見銀山周辺は、主に銀山の坑道跡などを見学できる銀山地区と、北側の町並み地区とに大別されているようでした。これらの世界遺産のメイン地区は駐車場が無く、県道31号線沿いに設けられた石見銀山駐車場とエリア内を連絡するシャトルバスが運行されていました(繁忙期はシャトルバスが臨時的に増発されていたようで、通常期は石見銀山エリアと石見銀山駐車場を経由する路線バスの利用となるようです)。

 駐車場から銀山公園付近でシャトルバスを乗り換え、石見銀山で唯一坑道を見学することができる「龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)」へと向かいました。間歩(まぶ)とは、銀鉱石を採掘するために掘削された坑道の呼び名で、石見銀山では約600の存在が知られているようです。龍源寺間歩でも、公開されているのは一部で、代官所直轄として規模の大きい間歩であった龍源寺間歩は、採掘そのもののほか、基幹的な坑道として、採掘物の運搬路としても用いられていたようです。杉木立の連続する山林の中に突如現れた坑道の入口は本当に小ぢんまりとしていて、採掘が最盛期の喧騒を想像しますと、現在の静かさがたいへん印象的にも感じました。

龍源寺間歩

龍源寺間歩
(大田市大森町、2007.9.3撮影)
五百羅漢

五百羅漢
(大田市大森町、2007.9.3撮影)
大森

銀山公園付近の町並み
(大田市大森町、2007.9.3撮影)
旧河島家

旧河島家
(大田市大森町、2007.9.3撮影)

 銀山地区から、銀山経営の主力的な町場として発達した町並み地区(大森地区の主要部)へは約2.3キロメートルの道のりです。ルートは銀山遊歩道として整備されていまして、両エリア間をゆったりと散策しながら往来することができます。路線バスのルートにもなっているため、バスを利用しての移動も可能で、この日は時間の都合もあってバスによる周遊を選択しました。大森の町並みは、世界的な銀の産出量を誇っていた石見銀山とともに盛衰を経験したエリアです。藩政期は当然に幕府の直轄地となり、奉行や代官による統治が行われていました。

 大森小学校のあたりから徐々に穏やかな町並みが展開するようになり、「銀山公園」として整備されているエリアからは町並みの密度が増してきて、往時を偲ばせる豊かな景観が広がっていきます。付近にある羅漢寺五百羅漢は、銀山で亡くなった人々を供養するために建立されたもので、銀の採掘に従事した人々の労働環境がどのようなものであったかを如実に示す事物です。大森における町並みの特徴として、武家や町人との居住地区の区分が行われておらず、武家屋敷と町人住宅とが混在することです。しかしながら、そうした混住の状況は町並みの統一感を決して阻害しているのではなくて、鉱山町の呈する特徴的な町並みとしての味わいを醸し出している重要な要素となっていることは、大森の町並みのまさに醍醐味とも呼べる事象なのではないかなと感じます。大森代官所の役人の旧邸宅などを中心に、いくつかの建物が県や市の史跡としての指定を受けているようでした。

交流センター

町並み交流センター(旧大森区裁判所)
(大田市大森町、2007.9.3撮影)
熊谷家住宅

熊谷家住宅
(大田市大森町、2007.9.3撮影)
大森

大森の町並み
(大田市大森町、2007.9.3撮影)
資料館

石見銀山資料館(大森代官所跡)
(大田市大森町、2007.9.3撮影)

 町並み交流センターとして利用されている旧大森区裁判所の建物は、明治期から昭和戦前期まで機能していた司法機関で、建設にあたっては資材や土地などを当時の大森町民が提供したそうで、洋風のテイストを帯びながらも寄棟・入母屋風の破風を持つ和洋折衷的な建物は、往時の地域文化の態様を感じさせて、たいへん興味深いものでした。また、重要文化財熊谷家住宅は、古くより銀山経営に関わってきた商家の邸宅で、往時における有力商人の身分の変遷や生活様式などを窺い知ることのできる重要な遺産であるとのことでした。このあたりからは鉱山町としての大森の町並みに、銀山衰微後も一定の中心性を維持してきた商業地域としての大森の特徴も見られるようになり、郵便局や商店などの立地も認められます。銀行の支店は町屋の建物をそのまま利用しているように見えました。石見銀山資料館となっている大森代官所跡まで至り、大森の町並みの散策は終了となりました。

 世界的な銀の採掘地域として、歴史に鮮烈な輝きを記した石見銀山とそれに彩られた地域の歴史はたいへんに貴重なもので、大森の町並みはそういった雰囲気を今に伝える奥ゆかしさに溢れていました。そして、この町が鉱山町としての繁栄から次第に後退していく過程の中でも、地域的な中心地としての地位を維持し続け、歩んできたであろう道筋もまた興味深い事象であるように思われました。鉱産資源との関わりのなかでの盛衰は、まさに中国山地の地域性を象徴している地域のひとつと言えます。しかしながら、その中心性も今日ではかなり斜陽化が進んでいるようで、根雨における一定の拠点性も大森では徐々に失われているように感じられます。世界遺産登録に付随して注目を集め、突如として人々が殺到するエリアとなった大森の町が、そのエネルギーをいかに地域の中心性保持に向けての力へと昇華させることができるか、その動向が注目されています。
                              

#8ページ

#10ページへ→
このページのトップへもどる

「中国山地を見つめて」目次のページへもどる      ホームページのトップページへもどる

Copyright(C)YSK(Y.Takada)2007 Ryomo Region,JAPAN