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中国山地を見つめて

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#10 「たたら製鉄の里」を訪ねる(前) 〜奥日野から奥出雲へ〜

 2015年11月21日の早朝、晴天のJR岡山駅前に夜行高速バスで到着しました。駅前でレンタカーを調達し、この1日中国山地、鳥取県西部から島根県東部の地域を巡ることにしていました。このフィールドワークのテーマは「たたら製鉄」。中国山地は古代より砂鉄を利用したたたら製鉄の本場として栄えた歴史があります。また、出雲地方を中心とした地域はヤマタノオロチやスサノオノミコトといった神話の舞台でもあります。そうした古来からの伝統的な産業と信仰が結びついた地域の事物を訪ねながら、往時に思いを馳せました。
岡山駅前

JR岡山駅前の空
(岡山市北区駅元町、2015.11.21撮影)
中国山地の風景

中国山地の風景
(岡山県真庭市付近、2015.11.21撮影)
金持地区の風景

金持地区の風景
(日野町金持、2015.11.21撮影)
金持神社

金持神社
(日野町金持、2015.11.21撮影)
福榮神社

福榮神社
(日南町神福、2015.11.21撮影)
生山の町並み

生山の町並み
(日南町生山、2015.11.21撮影)

 岡山市内から高速道路に乗り、朝霧の残る山々を見ながら中国山地に分け入り、鳥取県西部の日野町にある金持(かもち)地区へと進みました。日野川の上流部にあたるこの地域は奥日野地域とも呼ばれます。日野町役場のある地域の中心集落・根雨地区から国道181号を坂井原川に沿って遡った場所にあたります。国道181号のルートは姫路から松江へとつながる出雲街道の道筋にもあたっており、古くから開かれていた主要道路でした。山並みを穿つように細長く続く平地には水田が開かれていまして、刈り入れの終わった水田と初冬の葉を落とした木々とのコントラストが、この時期らしい透明感を醸し出していました。その山肌に、金持神社が鎮座しています。「金持」という名前から昭和後期より注目が集まるようになているともいいます。

 金持の名は、たたらか鍛冶に関連した「カヌチ」や「カナジ」に由緒を持つと考えられています。この地域が玉鋼の産地で、その原料となる真砂鉄を産出する谷を多く持っていたことに因むともされているようです。石段を登った先に鎮座する神社は、今では静かな山村となった地域が歩んできた歴史を、しっかりと現代に刻み込む灯火となっているようにも感じられました。日野川沿いをゆく国道183号に戻り、日野町の南、日南町の中心集落である生山地区からJR伯備線沿線に入り、到達した神福地区の福榮(ふくさかえ)神社も、金持地区と同じ製鉄産業が盛んであった地域に社殿を持っています。1913(大正2)年に地域の産土神として信仰されていた田中大明神が近隣の神社を合祀し、豊栄・神福・福塚の縁起の良い地名を持つ現在の社地に鎮座、今日の名称になったものであるようです。石段を上った先にあった社殿は朝日を受けて深閑さながらの気配を纏っていまして、地域を穏やかに見下ろしているようでした。



樂樂福神社
(日南町宮内、2015.11.21撮影)
樂樂福神社

樂樂福神社境内の紅葉
(日南町宮内、2015.11.21撮影)
旧西樂樂福神社付近の風景

旧西樂樂福神社付近の風景
(日南町宮内、2015.11.21撮影)
金屋子神社・石鳥居

金屋子神社・石鳥居
(安来市広瀬町西比田、2015.11.21撮影)
安置されたヒ

金屋子神社・安置されたヒ
(安来市広瀬町西比田、2015.11.21撮影)
金屋子神社

金屋子神社
(安来市広瀬町西比田、2015.11.21撮影)

 福榮神社を詣でた後は、さらに日南町の日野川沿いを辿り、樂樂福(ささふく)神社へ。国道沿いの緩い傾斜地を上る石段を歩いた先にあった社殿は柔和な佇まいを見せていまして、周囲の森や色づいた紅葉などの自然に寄り添っていました。創建は千百年以上ともされる屈指の歴史を持つこの神社もまた、この地域を支えた鉄生産の守護神として崇敬された来歴を持ちます。神社の名前にある「樂樂(ささ)」は砂鉄を表わし、また「ふく」の音も溶鉱炉への送風(吹く)を指すものとも伝えられているといいます。かつては日野川を挟んで(西)樂樂福神社があって本社とともに祭祀が続けられていたものの、2004(平成16)年に合祀されているとのことです。

 製鉄に彩られた神社を訪問しながらさらに中国山地の山中を抜ける県道を経由し、県境を越えた安来市広瀬町へ。たたら師たちが篤い信仰を寄せた金屋子神の総本山・金屋子(かなやご)神社は、1858(安政5)年に焼失した後に、1864(元治元)年に再建されました。石造りのもののとしては日本一の高さを持つという鳥居をくぐり到達した境内には、たたら製鉄により砂鉄からつくられた粗鋼(ヒ(けら))が奉納されるなど、今日でも鉄工関係の人々による参詣を受けています。冬の始まりのこの日は訪れる人もまばらでしたが、静寂さそのままの鈍色の空の色が鉄色を濃厚に帯びているようで、鉄生産に命脈を架けた地域の執念のようなものさえ感じさせるようでした。
                              

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