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シリーズさいたま市の風景reprise

2008年12月、「シリーズさいたま市の風景」を執筆してから6年を経て、再びさいたま市内のフィールドワークを行いました。
穏やかな早春の空と風の下、あれから政令指定都市に移行し、その後編入された旧岩槻市エリアも含めてご紹介してまいります。

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ページ設置:2011年10月10日


※この地域文は「3部構成」です。

見沼田んぼ、再び     城下町岩槻より南へ    武蔵浦和周辺から北へ


見沼田んぼ、再び
見沼通船堀から北へ

 2008年12月1日、初冬の穏やかな晴天の下、JR東浦和駅を出発しました。2002年のさいたま市フィールドワークでは東武野田線の七里駅から南下するルートを辿った道程を、この日は南から北へ進む道のりとなりました。国指定史跡である見沼通船堀へは、駅前にも丁寧な案内表示が設置されています。駅前を右へ進み、信号のある交差点を左へ降りて坂道を下ってゆくと、見沼代用水西縁を経て見沼通船堀へと至ります。

 江戸中期、水田開発が進められた見沼に舟運を導入しようと、見沼代用水の東縁と西縁、中央の芝川とを連結するために掘削された見沼通船堀は、水路間の高低差を克服するため我が国で最初に設けられた閘門式運河でした。運河としての役割を終えて久しい水路沿いは穏やかな森に包まれています。水位を調整するために設けられていた閘門もいくつか復元されていまして、通船業務を司っていた鈴木家の住宅のたたずまいとともに、歴史的な雰囲気に浸りながらゆっくりと散策ができるエリアとなっています。東浦和駅周辺の都市化が進む一方で、見沼通船堀周辺は2002年の訪問時と変わらぬ静かさがたいへん快い印象でした。

見沼通船堀

見沼通船堀
(さいたま市緑区大間木付近、2008.12.1撮影)
東浦和駅北の宅地景観

東浦和駅北側付近の住宅地景観
(さいたま市緑区東浦和七丁目付近、2008.12.1撮影)
大牧氷川女体神社

大牧氷川女体神社境内から周辺の住宅地を望む
(さいたま市緑区東浦和六丁目、2008.12.1撮影)
花木畑

見沼田んぼ内の花木畑景観
(さいたま市緑区見沼、2008.12.1撮影)

 再び駅に戻り、台地上の再開発エリアを進んでいきます。区画整理が施され、現代的な住宅地域へと変貌した地域の中にも、神社の杜があったり、畑が所々に点在していたり、古くから存続していると思われる古い家々があったりと、ここが台地上の畑地を中心とした農村的な景観が卓越する場所であったことが想起されます。そんな新興住宅地域に四方を囲まれた小高い場所に鎮座する大牧氷川女体神社は、見沼の谷を見下ろすように建立され、本殿は小規模ながらもこの地域に顕著に分布している見世棚造の典型例であり加えて建築年代(1636(寛永13)年)がはっきりとしていることから、埼玉県の有形文化財に指定されています。

 神社から北を通る国道に出てからは、見沼代用水西縁に沿って歩みます。左に台地上の住宅地エリアを臨み、右手に見沼田んぼの一角を占める低地を眺めながら、ゆったりとした水をたたえる用水路の横を進みます。この付近の見沼田んぼは畑地や花木畑としての利用が多いように見受けられ、初冬のこの季節、木々の紅葉は美しく色づき、畑には白菜などの蔬菜が栽培されていました。水路沿いにはソメイヨシノの並木が続いています。台地の裾における平地林と斜面林を保存した大牧自然緑地を経て、新見沼大橋道路の下をくぐって、見沼氷川公園へ。氷川女体神社と同神社の磐船祭祭祀遺跡に隣接して造られています。同神社の重要な祭りであった御船祭が見沼の干拓後に挙行できなくなり、その代わりに祭祀を執り行う場所として整えられた祭祀跡は、鬱蒼とした雑木の中に埋もれているようにありました。氷川女体神社は、大宮にある氷川神社とともに武蔵国一宮に列せられます。市指定天然記念物である社叢は、クスノキやシラカシなどの自然林の常緑広葉樹を中心とした林で、市街地にある大宮の神社とはまた趣を異にする、「地域の鎮守」としてのおおらかさのようなものを感じます。

氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡

氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡
(さいたま市緑区見沼、2008.12.1撮影)
氷川女体神社

氷川女体神社
(さいたま市緑区宮本二丁目、2008.12.1撮影)
用水と住宅地

見沼代用水西縁と住宅地の景観
(さいたま市緑区見沼、2008.12.1撮影)
メタセコイアの並木

見沼田んぼを貫く市道とメタセコイア並木
(さいたま市緑区大崎、2008.12.1撮影)

見沼田んぼの只中を行く

 宮本地区を貫通し、見沼田んぼを横断する市道を歩きます。メタセコイアの並木が続くこの道は、6年前も通った懐かしい道のりです。メタセコイアは鮮やかに茶色に染まって、広大な水田の中、二筋の美しいさざなみをつくっているように感じられました。稲刈りの終わった田は初冬の青空の下、すがすがしいほどにひろびろとした姿を見せてくれていました。見沼代用水東縁に出てからは、水路沿いに設けられた「緑のヘルシーロード」に沿って、見沼田んぼの爽快な風景を左手に見ながら、気持ちの良くウォーキングを進めていきました。かつて「さぎ山」として特別天然記念物の指定を受けていた一帯を公園として再整備した「さぎやま記念公園」の付近では、色づいた木々や柿の実、屋敷林や畑に植えられた蔬菜類のある風景がたいへんのびやかで、田んぼと農家集落とが連接していたであろう往時の風景を彷彿とさせて、心がやすらぐようです。集落の中には市有形文化財の深井家長屋門もあって、茅葺の堂々たる門がその風格を今に伝えていました。

 畑の間の落ち葉で敷き詰められた小路を辿り、緑のヘルシーロードに戻って再び水路沿いを進みます。桜が植えられた遊歩道と、広大な水田とが続く風景はまさに爽快の一言に尽きます。このあたりでは住宅地や商業施設なども少なく、里山の雑木林が遠景にたおやかに展開しているようすもまた、田園風景にいっそうのうるおいを与えています。そうしたやまやまの緑の穏やかな色づきと、遊歩道沿いに時折植えられたイチョウやドウダンツツジなどの鮮烈な紅葉・黄葉が見事なグラデーションを造っていて、この季節のゆたかな情景へと昇華しているようにさえ感じられます。その景色の中をゆったりと流れる用水路の水も軽やかに行き過ぎて、先人が造り上げてきた水田地帯の歴史を静かに語っているように思われました。


見沼田んぼと斜面林

見沼田んぼと台地斜面林の見える景観景
(さいたま市緑区南部領辻付近、2008.12.1撮影)
見沼代用水東縁

見沼代用水東縁「緑のヘルシーロード」
(さいたま市緑区南部領辻付近、2008.12.1撮影)


台地上の畑の見える景観
(さいたま市緑区上野田、2008.12.1撮影)
長屋門

深井家長屋門(市有形文化財)
(さいたま市緑区上野田、2008.12.1撮影)

 「緑のヘルシーロード」は、七里総合公園あたりまで至りますと途切れて、用水路とともに住宅地の中へと導かれます。旧国道122号で、日光御成街道の一部であった県道105号を進み(日光御成街道は東宮下交差点より県道65号をとる)、現代的な住宅・商業地域の中を通過し、東武野田線七里駅に到着してこの日のフィールドワークを終えました。現代的とはいえ、竹林があったり、豊かな屋敷林が点在していたりと、所々にこのエリアの基盤であった農村地域としての断片が残されていたのが印象的でした。

 初冬のさわやかな晴天の下歩いた見沼田んぼの風景は、現代の都市化の影響を色濃く受けながらもなお原風景のエッセンスを随所に残して存立していました。のびやかな田園風景と、拡散する都市化、そしてそれからもたらされる多くの負の部分とをいかに分離させ、歴史的な遺産と向かい合いながら、豊かなシンボルとして守り育てていけるか、今後も見守っていきたい地域の一つですね。
見沼田んぼ

見沼田んぼの景観
(さいたま市見沼区加田屋一丁目付近、2008.12.1撮影)
東武線七里駅付近

東武七里駅付近の景観
(さいたま市見沼区風渡野、2008.12.1撮影)

 
城下町岩槻より南へ」へ続きます。


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