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シリーズ京都を歩く
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13.西山・夕照の地を歩く |
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第三十六段 小塩山の山懐を辿る ~自然と信仰の道を行く~ 2013年12月8日、初冬を思わせる曇天の下、京都市街地西郊の西山周辺の散策を続けていました。なだらかな丘陵と竹林とがたおやかに連続する風景は、西山の風土を代表する眺めです。狭隘な府道に沿って山に分け入り、金蔵寺を目指しました。周囲が徐々に谷間の様相を増す中、虫籠窓や土蔵のある古い家並が谷川に寄り添うような小集落の景観に癒されながら、一歩一歩進みます。振り返りますと、京都盆地・伏見辺りを彼方に臨むことができる場所もあり、歩きながら標高を稼いでいたことを実感させました。
急勾配を駆けあがるためにつづら折りで進む狭い県道に対し、歩道はそのジグザグを突き抜けるように直線的に坂を上ります。落ち葉が積もった山道の周辺はすっかり冬の装いで、陽射しの無い曇りの天気も相まって、空気もいっそう冷たく感じます。随所に配置された東海歩道のルートを示す案内表示を頼りに、きつい上りを息を切らせながら歩いて、朱塗りの柱が目に鮮やかな金蔵寺の三門前まで到達しました。ふもとの集落から約30分ほどの道のりでした。 金蔵寺(こんぞうじ)は、718(養老2)年に隆豊禅師によって創建された古刹です。長岡京や平安京が完成する以前からこの地に存在していたことになります。その平安京造営の際には新都の平安を祈念して経文が納められた由緒から、金蔵寺は「西の岩倉」と呼ばれているようです。中世には大規模な寺域を擁する大寺となっていましたが、京都一円が戦乱の舞台となった応仁の乱などの戦災によりほとんどの建物が消失しました。現在の残る建造物はその多くが江戸時代に、幼少時にここで寄食した縁から桂昌院が多大な援助をし再建されたものであるとのことです。京都の町外れのしかもこのような山間にまで及んだ戦火の激しさとは、いったいどのようなものであったのでしょうか。地面を覆い尽す紅葉の色も土色を呈しつつあり、初冬の寒々しい風景の中で堂宇が立ち並ぶ様は、どんなものでさえ終わりを迎えるという無常観を滲ませるものであるように思われました。
金蔵寺の境内から再びたおやかに市街地が広がる京都盆地の様子を眺望し、東海自然歩道を再び辿ります。ここから善峯寺までおよそ50分のハイクとなります。落ち葉でいっぱいの山道を、小さな滝のある流れを越えながら歩いてきますと、およそ20分ほどで金蔵寺までの道のりで歩行してきた府道へと行き着くことができました。ここからは一応舗装された車道を進んでいくこととなります。周囲は植林された杉木立のほかは落葉樹が主体の穏やかな森で、訪れたときは木々はほとんどその葉を落としていまして、まさに冬ざれた山間そのままの風景の中を進んでいきました。自然歩道のルートは程なくして府道から分かれて南へ向かいます。小規模な湿地帯のような場所を通り、通称で「杉谷(すぎたに)」と呼ばれる小集落へと至ります。 周囲を山に囲まれら杉谷集落は、小規模ながらもまとまった平坦地もあって、水田が開かれています。入母屋造のゆるやかな瓦葺の屋根を持つ民家が点在していまして、その形状からもともとは茅葺屋根であったことが想起されます。自家用車が置かれていたり、某大手宅急便の車が訪れていたりしていたことから、この山間の集落は現在でも細々と生活が行われているようです。このような山中に集落が成立した理由はどのようなものであったのでしょうか。
杉谷集落を過ぎて、道幅の狭い急勾配かつヘアピンカーブが連続する道路を下っていき、ようやく善峯寺に到着しました。善峯寺(よしみねでら)は、1029(長元2)年恵心僧都の弟子源算の開基と伝えられる寺院です。山々に包まれるような境内は美しい紅葉に包まれていまして、金蔵寺と同様に、遥か京都盆地を一望する景色は爽快そのものでした。中世に大いに隆盛するも応仁の乱で焼亡し、藩政期に桂昌院の寄進で再興する経緯も金蔵寺と共通するものです。天然記念物の「遊龍の松」も静かにその身を山間に佇ませていました。善峯寺でしばしその風情に心和ませた後、JR向日町駅行きのバスに乗車しこの日の活動を終えました。 杉谷集落から善峯寺へ向かう途上で、「西山古道」を紹介する表示板が目に留まりました。西山古道とは、西山三山と呼ばれる善峯寺、光明寺、柳谷観音を結ぶ信仰の道と説明されていました。京都市街地から見て西側にあたるこの地域は、京都からは夕日の沈む茜色の情景の中で見通せる場所です。そうした土地のイメージは無常観のそれとどこか重なるようにも思えます。このような心象的な背景が、西山のなめらかで優しさに満ちた山並みもあいまって、この地に多くの寺院が営まれるに至った根底にあるのではないかとの考えが、ふと脳裏を過りました。 |
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