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シリーズ京都を歩く
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9.山裾の寺社をめぐる |
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第二十五段 山裾の寺社をめぐる 〜初冬の残照〜 嵯峨野の風景に身を浸すとき、「情景」という言葉がこれほどに的を射る感覚を覚えることはないかもしれません。紅葉の季節、鮮やかに野や山や庭園や寺社を彩る紅葉の姿はまさに錦絵のようであり、この町が歩んだ数々の史実を映した物語のようであり、人々の詠嘆を溶け込ませた音楽のようです。物事には日向もあれば日陰もある。光あるものは、陰影があるからこそその輝きをより一層みなぎらせることができる。影もまた、突き抜けるような光彩の前には跡形もなくなってしまうこともある。四季の移ろいの中で、幾世相にも降り積もった人々の鼓動がゆるやかに行き過ぎます。 広沢池から宇多野を過ぎて、北野白梅町へ。嵯峨野で味わったこの上のない情感は、北山から東山へと続く彷徨の中で、さらなる雅致へと導かれました。北野天満宮・史跡御土居のもみじ苑では、見事な紅葉を目に焼き付けました。御土居とは、1591(天正19)年に、豊臣秀吉が京都の市街地を取り囲むように建設した土塁のことです。その後の市街地の拡大や高密度化の進展によりその多くが取り壊され、北野天満宮境内に残る御土居はわずかに残る遺構の一つです。御土居の外側に沿って流れる天神川の上から下から色づいたカエデの赤が迫り、葉の一枚一枚がゆるやかな冬の日差しに透かされて、屈託のない輝きを見せていました。
西大路を北へ歩き、「大」の文字が浮かび上がる左大文字を見やりながら鹿苑寺へ。久しぶりに観た金閣は、冬の緩やかな日差しを受けて優美なたたずまいを見せていました。相国寺の山外塔頭寺院のひとつであることは、境内に設置されている説明板で初めて知りました。金閣舎利殿を中心に造形された池泉回遊式庭園は極楽浄土を模しているといわれているようです。目映いばかりの金閣を映す鏡湖池は傾きつつある太陽や冬の大空をもそのままにその身に描いて、天上における安寧と荘厳とを表現しているかのようでした。 金閣からはバスで東へ、北大路のターミナルでの乗り継ぎを経て、銀閣寺道で下車、紅葉と疎水の佇まいが絶妙のコントラストを見せる哲学の道を散策しました。赤や緋色に色づく東山の山裾をなぞるように進む穏やかな散歩道は、春の桜色に包まれる時、夏の薫風をそよがせる刹那を経て、秋の成熟した自然の色彩をいっぱいに溶け込ませながら、冬の静寂への道程を静かに歩んでいるようでした。輝ける時間の記憶を次の躍動へとつなげるかのように、カエデや山茶花や南天の実などがとても鮮やかに目に入りました。
哲学の道を南へ進み、禅林寺(永観堂)や南禅寺を参拝しながら、蹴上のインクライン辺りから京都七口のひとつ粟田口を経由し、青蓮院門跡へ。三千院、妙法院と並んで天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡のひとつとして知られる名刹です。クスノキが常磐色に枝葉を広げる穏やかな門前には、この年、創建以来初めてという、寺院での青不動御開帳をお参りするために、多くの人々が訪れていました。青不動とは、日本三不動のひとつである青蓮院門跡の国宝「青不動明王二童子像」のことです。青蓮院では例年春と秋にライトアップを行っており、ライトアップに合せて、青不動をお参りすることとしました。 |
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