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関東の諸都市・地域を歩く
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#142 続・港北ニュータウンをゆく ~里山と史跡、都市と織りなす景観~ 2018年3月3日、昨冬以来の横浜市・港北ニュータウンを訪れました。首都圏、ひいては我が国においても有数の開発規模を誇る港北ニュータウンは、戦後横浜の復興と均衡ある成長を企図して計画された、「横浜市六大事業」のひとつとして、ベッドタウンとして人口が急増する郊外エリアにおける良好な住宅地の供給を目的として建設されました。都市と自然、農業を一体的に捉え、職住近接も考慮した、企画当時では他に類を見ない、現代的な思想の元に、建設が進められたニュータウンの一つであるとも目されています。
ニュータウンの範囲は、地域を東西に貫流する早渕川の流れを境に、その両岸に発達する丘陵地とその谷地とを含む地形上に展開しています。前年の冬に訪れたエリアは、その北側の中心・市営地下鉄センター北駅から西へ進み、中川八幡山公園や都筑中央公園などの丘陵地を行かした公園を回りながら、現代都市として生きる西側の地域でした。今回はその時の着地点であったセンター南駅を出発し、センター北駅へ東側のエリアを回っていくという行程を経ました。駅の南側に出ますと、そこは正面の港北TOKYU S.C.に向かって緩やかな屋根付きの歩道が続く、しなやかなデザインの駅前広場となっています。その広場を東へと進んでいくと、周辺の住宅地へとつながる歩道となり、幹線道路を橋で越えてスムーズに茅ヶ崎東地区へとアクセスすることができるようになっています。その宅地エリアの南側に、丘陵地を駆け上がるようにして参道が続く正覺寺の山門が、穏やかな竹林や雑木林を背に昔ながらの佇まいを見せていました。六地蔵が建つ経大へと歩みますと、梅やマンサクなどの春の花が可憐に咲く中、葉を落とした木々の枝がわずかにさ緑色に変化しつつある様子を見ることができて、春本番へ進む季節の流れを実感することができました。 沈丁花の香りがただよう、戸建ての住宅地域を北へ歩き、この街区の中央に残された丘陵上の緑地帯へと移動します。そこは茅ヶ崎城址公園と名付けられているように、中世の城郭跡が良好に保存されている場所です。天守閣や城壁などを擁する、一般的にイメージされる「城」は江戸時代以降、都市の統括機構、いわゆる政庁としてのそれであり、ここに示す中世の城は戦国期の合戦のための「砦」のようなもので、この茅ヶ崎城址には、郭や土塁、空堀などの防御のための痕跡を観察することができます。藩政期以降は城郭としての役割はなくなり、周辺の村々が共同で管理・利用する里山(入会地といいます)となって、戦国時代の記憶は、「城山」という地名に残されました。小高い公園内からは、繁茂する木々に視界がやや途切れさせられるものの、周囲のニュータウンが広がる風景や、早渕川沿いに残る畑地などを眺望することができます。
茅ヶ崎橋で早渕川の小さな流れを渡り、住宅地内の梅や河津桜などの春の花々が満開の色彩を見せる坂道を上って、たおやかな竹林を纏った丘をなぞるように続く遊歩道を上がって進んできますと、平坦面のある丘陵上の公園内へと誘われました。歳勝土(さいかちど)遺跡と命名される一角には、弥生時代中期における方形周溝墓群が発見されています。その方形周溝墓の一部は見学することができるように保存がなされており、西側に続く同時代の環濠集落跡である大塚遺跡とともに、「大塚・歳勝土遺跡公園」として一体的な整備がなされています。大塚遺跡側では、遺跡を周回する環濠や土塁の跡を確認することができるほか、竪穴式住居や高床倉庫などが復元されています。 園内に移築された旧長澤家住宅の古民家(都築民家園)の佇まいを一瞥した後は、丘陵の北側へ降りて、センター北駅方向へと進みました。整然と区画された住宅地には、現代の建物に混じって土蔵もいくつか残されていまして、この場所の原風景が丘陵地を背にした農村地帯であるということを物語ってい地下鉄に併走する幹線道路を渡りますと、一変してセンター北駅周辺の、大型商業施設が集積する繁華街の只中へと景観が移り変わりました。ランドマークである観覧車が目を引くモザイクモール港北を中心に、多くの人々が集まる光景が展開されていました。横浜都心部や、東京から放射状に伸びる路線へと連絡する市営地下鉄線2線が交差する港北ニュータウンは、南北合わせて1日で14万人が利用する郊外路線となっています。
横浜市が直面した、高度経済成長期以降の人口急増と無秩序な土地開発に端を発した港北ニュータウンの建設事業は、横浜市内陸部における丘陵と谷地とが続く、長閑な田園風景が広がっていたこの地域を、利便性の高い現代的な住宅地域としてその佇まいを一変させました。しかしながら、住宅エリアの中央にはもともとの土地の起伏を生かした緑地や、古代から中世における歴史資産を残した貴重な公園が随所に配置され、また河川沿いを中心に農業を重視する区画も用意するなどして、自然との共生を目指した、豊かな町並みが現出していました。町を歩いていても、そうしたみずみずしい風景が目に入り、大規模かつ多くの人口を擁するニュータウンとしての喧噪を感じさせない穏やかさを感じることができました。 |
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