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関東の諸都市・地域を歩く
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#137 寄居町、鐘撞堂山から円良田湖へ ~関東平野を一望する頂~ 2017年11月11日、初夏の穏やかな晴天に恵まれた寄居駅前を出発しました。寄居はウォーキングで何度か訪れていますが、荒川が関東平野へと出るいわゆる谷口に発達した町場です。埼玉県内にあっては、戦後の東京大都市圏の拡大に伴って人口が急増した多くのベッドタウンよりも、都市としての起源は古い、「昔ながらの町」という表現が、寄居にはしっくりくるように感じられます。駅前のロータリーを出て、駅の東側の高架下にある踏切で、東武東上線、秩父鉄道線、そしてJR八高線の鉄路を越えて北へ進みました。3つの路線が収束することにも、この町の要衝性を実感します。天沼陸橋から降りてきた市道に沿って進み、国道140号へ。国道を横断し、市街地北側の山並みから流出する天沼川に沿った道を進んでいきます。
周辺は穏やかな住宅地です。野辺には菊やコスモス、ヨメナなどの秋の草花が可憐に花を咲かせていました。谷地は徐々に幅が狭まり、集落の最奥部には、大正天皇の測位を祝賀して造成されたという大正池へと至ります。池は静かに水を湛えて、周囲の木々のみずみずしさを受け止めていました。池の水は下流域の水田を潤して、現在でも豊かな恵みを与えています。畑に囲まれた家々のある風景を行き過ぎさらに山を分け入り、この日の目的地の一つである鐘撞堂山(かねつきどうやま)への山道へと針路をとります。山道は次第に勾配を増しながら狭くなり、落葉樹に照葉樹が混交する小さな谷筋をなぞりながら続いていきます。やわらかな初冬の日射しは葉を落とした木々の間に優しい日光となって降りて、足許に埋まる落ち葉の鮮やかさを際立たせていました。 やがて、竹林に覆われた小さな低地に炭焼小屋のような建物が建つ一角に行き着きます。竹を焼く煙が漂うこの場所には、かつて馬騎ノ内(まきのうち)の集落があった場所であるようです。関東近隣でもこのような廃村が存在する事実は、時の流れの無常さと儚さとを実感します。時折砂岩が露出する山肌を観察して幾星霜の時を超えて海から陸へと変化した大地の記憶に思いをいたしながら尾根筋へと上る山道を進み、最後の階段状のやや勾配のある箇所を登り切り、さらにロープのある坂をよじ登って、鐘撞堂山の頂上へとたどり着きました。寄居駅前からはおよそ1時間程度の所要であったようです。山頂は比較的広い平坦面があって展望台や鐘があります。標高330.2メートルの頂からは、眼下の寄居市街地はもとより、その町並みを囲む丘陵地の彼方にたなびくように広がる関東平野と、比企丘陵へと連なるなだらかな山並み越しに望む都心のビル群、そして外秩父の山々から視点を北へ転じていきますと、榛名山から浅間山にかけての上州の峰々をも、すっきりと見通すことができました。
鐘撞堂山の名の起こりは、戦国時代にこの山は鉢形城の見張り場であり、有事の際に鐘を撞いて知らせるための鐘撞堂があったことによるものであると、現地にある案内板に解説されていました。周囲の山々は紅葉に向かって青葉から次第に色づいていく途上にあって、冬の冷たさをわずかにはらんだ風が吹き渡って、晩秋から初冬への季節の移り変わりを促しているようにも感じられました。鐘撞堂山からのパノラマを眺望した後は、山麓に水を湛える円良田(つぶらた)湖の湖畔へと降りる山道を下りました。緑と黄色と褐色とが穏やかに混じり合うような山林の小径を歩いて、かすかに紅葉した葉を含むカエデの森を一瞥しながら、釣り場としても供される人造湖のほとりへと進みました。ここからは五百羅漢が神妙な雰囲気をつくる少林寺へと向かう山道を登って下って少林寺へと向かって、そこからは寄居市街地へと戻ってこの日の散策を終えました。 広大な関東平野のつきる山並みには、地域ごとに風光と歴史とに彩られた多様な景観が保たれていて、穏やかな散策を楽しむことのできる場所が少なくありません。そんな素晴らしい風景を楽しむことのできる寄居の鐘撞堂山は、初冬のこの日、澄み切った青空の下、この上ないきらめきとしなやかさに溢れていました。 |
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