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関東の諸都市・地域を歩く
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#121 綾瀬市内の風景を訪ねる ~台地と低地と市街地とが織りなす町並み~ 2017年1月28日、神奈川の町並み散策を終えた私は、横浜駅から相鉄線を利用して西へ、海老名市のさがみ野駅にて下車し、南へと出発しました。さがみ野駅の周辺は海老名市が他の市の間に市域を伸ばす半ば飛地のような形になっています。穏やかな住宅地と郊外らしい自動車交通の多い道路とによって構成される風景の中を歩きますと、程なくして綾瀬市域へと入ります。やがて道路の東側には斜面林が現れまして、この場所が台地であることが理解できます。一般に相模野台地と呼ばれる平坦面は元来水の得にくい原野で、周辺の村々が草刈場として利用する入会地出会ったと想像されます。海老名市がさがみ野駅周辺に飛地的に食い込む理由もこのことから説明がつくのかもしれません。
近世以降はこうした高燥の台地も徐々に開発の舞台となります。住宅地となった台地上を歩き、先に見た斜面を刻む小流をなぞるように進む東名高速を跨ぎますと、そうした広大な土地利用のひとつの発現であるところの厚木基地の敷地へと行き着きます。厚木基地の西側をなぞるようにさらに綾瀬市内を南下しますと、光陵公園や長峰自然の森の緑がまとまったエリアへと到達しました。西側には比留川が台地を刻んでいまして、この小規模な森もまた、谷地が作り出した斜面に展開していた林の一部であると思われました。伝統的に、河川がつくる低地は水田として利用され、集落は斜面を背にして発達します。現代はこうした場所も含めて都市化が進んでいますが、綾瀬高校の北西には報恩寺が穏やかな佇まいを見せていまして、往時の集落風景を思い起こさせました。小学校を周回する道路からは見晴らしが利き、この地域のランドマークである大山の姿を美しく眺望することができました。 市民スポーツセンター前から早川城山地区の新興住宅地を通り、城山公園へと続くルートは、「城山こみち」と名付けられた散策路として整備されています。随所に木々が配された散歩道は、幹線道路を跨ぐ部分はトンネルとするなど、車道とは完全に隔てられたプロムナードとなっていました。城山公園は鎌倉時代の御家人・渋谷氏の居城があったと伝えらる場所に完成した憩いの場です。古くより「城山」と呼ばれ親しまれていました。公園内は広場や庭園などが設けられていますが、堀切や土塁、曲輪跡なども現存しています。公園の西には目久尻川が流れていまして、南北に細長い谷底平野を形成しています。目久尻川を渡って、対岸の丘陵地に展開する集落の中をゆく道を進みます。このルートは「横浜道(峰通り)」と呼ばれていたようで、大山への参詣道としても利用されていたようです。台地を削る小流がつくる窪地を望む高台を辿るかつての古道からは、見渡す限り住宅地として開発された現代の町並みが広がっていました。
周辺の小社が合祀されて地域の鎮守となったと思われる五社神社の佇まいを確認して、海老名市との市境を構成している県道406号を進みます。綾瀬市綾西から海老名市国分台へと一体的に住宅地が開発されていまして、県道沿いには桜並木を伴った緑地も整備されています。令制交差点から東へ、先ほど目久尻川を渡った橋へと続く幹線道路然とした市道を、住宅地の中を歩きます。目久尻川に到達してからはその川沿いへと降りて、そのまま流れを跡づけるように南へと進むこととしました。綾瀬市南部の一帯は相模川左岸に大きく発達した相模野台地が広がっていまして、その平坦面を小さな河川が浸食して細長い低地をつくる地形が卓越しています。明治期の地勢図を確認しても、集落があるのは川が下刻した低地と台地の境界で、水に乏しい台地上は原野や畑地としての利用しか認められない状況であったことが分かります。 古来より人々の生活の舞台となってきた台地末端の斜面には、台地より染み出す水を得て成長する林が見られるのが一般的です。左岸の台地下に湧き出す小さな流れを見つけてそれを辿っていきますと、小規模なわさび田を見つけることができました。川に沿って進むサイクリングロードからは、そうした斜面林を間近に見ることができます。低地は下流に進むにつれて徐々に面積が大きくなって、水田としての土地利用がだんだんと増えていきます。台地の間をゆっくりと時間をかけて流れて低地を形成した目久尻川のいまを、夕日が徐々に辺りを染める風景の中を歩きました。東側の台地上にある蟹ヶ谷公園からは、オレンジ色に穏やかに染まる空に、大山と富士山のシルエットを美しく眺めることができました。
台地と低地、そしてその間に展開する現代の町並みがたおやかに広がる風景を目久尻川のつくる穏やかな水辺景観とともに探勝しながら、綾瀬市域の最南端の神崎遺跡公園付近へと歩を進めました。近傍には東海道新幹線の高架橋を望む「みはらし場」という眺望スポットがあり、そこで小休止していますと頻繁に新幹線が行き過ぎるのを確認することができまして、我が国の大動脈である同新幹線の趨勢を実感しました。ここからは県道22号をひたすらに西へ歩き、ようやくJR門沢駅に到達した頃にはとっぶりと日が落ちていました。主要幹線から外れた位置にある綾瀬市内には、台地と低地が育んだしなやかな自然景観が今日まで残されていまして、それらが現代の町並みに静かに寄り添っているように感じられました。 |
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