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関東の諸都市・地域を歩く
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#10 銚子散策 〜まちの鼓動、まちの営み〜 JR銚子駅から利根川に至るエリアは、燦然とクリアランスされた、明るさに溢れる大通りとなっていました。歩道の幅も広くとってあり、かもめがモチーフになった街灯や、錨をかたどった街灯が美しく整備されて、大洋に向う波止場のイメージに統一されています。土曜の午後、通りを行き交う人通りもけっこうありまして、梅雨の中休みとなった晴天のもと、町は穏やかに輝いているように思えました。ぎらぎらした日差しのわりに暑さをそれほど感じないのは、海洋性の気候を示す銚子ならではといったところでしょうか。銚子は、漁業と醤油造りの町として知られます。通りに設置されたベンチには、この町に本拠を置く醤油醸造元の会社名の広告が見られました。銚子市は、1933(昭和8)年2月11日、千葉県では千葉市に次いで市制を敷いた市です。駅前には銚子市制70周年を記念して制作されたというウェルカム・ゲートが設けられてあり、涼しげな濃青色の風車が涼しげな雰囲気を明るい町並みに届けていました。 JRと銚子鉄道を兼ねる鉄路を跨ぐ歩行者用跨線橋を南へ渡り、東へ路地を進みますと、醤油工場一連の大きな施設群が目に入ってまいります。巨大なタンクや道路を跨いで配管されたパイプなどのようすは、化学工場と形容したほうが正しいのかもしれません。工場の敷地は銚子電鉄の鉄路を挟んで数ブロックにまたがっており、施設の間を市道も数本が抜けてます。妙福寺の北から興野小学校の南を抜けて、中央みどり公園までのルートを歩く途上でも、多くの乗用車が通過していきました。醤油の町としての地域を感じる光景であると感じましたね。県道に出て、陣屋町、馬場町と進み、馬場町交差点を北に折れますと、歩道上に小規模なアーケードが出現するようになり、ローカルな商店街としての雰囲気が濃厚になってまいります。銚子市街地の真ん中にあり、篤い信仰を集める飯沼観音の阿弥陀如来像が見つめる先には、銚子銀座商店街のすっきりとした町並みが続き、先述した駅前通りへと連続していきます。ここから東へ、飯沼町、浜町、和田町、橋本町、通町と続く一帯の商店街が、銚子の町の歴史を感じさせるような、趣のある容貌を見せていまして、心惹かれました。商店街の北側は、銚子漁港に接し、商店街と漁港との間には歓楽街も形成されているようです。港町あるいは漁港が漂わせる独特の雰囲気が息づいているとともに、銚子の町の原点がここにある、といった凄みといいますか、まちの鼓動のようなものを感じずにはいられませんでした。
多くの地方都市の例に漏れず、商業機能の郊外化や東京大都市圏の外縁にあり相対的に都市としての成長が穏やかとなったまちは、多くの一般の目には衰退の感が否めないと映ると思われます。土曜日の夕刻迫る時間帯に歩いた商店街は、銚子駅前通りにおいて感じられた活況と比較すると、一抹の寂しさを感じざると得ません。しかしながら、その一方で、店先に新鮮な青果物をいっぱいに並べて商いをしている八百屋や、新鮮な魚を並べる魚屋など、元気な商売を続けている商店も散見され、電気店前では、作業をしている店主の前を通りかかった自転車のおじさんがその店主に向って、さりげなく「忙しいかい」と声をかけ、「ううん、そうでもないなあ」と店主が返すといった微笑ましいシーンにも出会うことができました。銚子駅前から開放的な駅前通を北し、市役所東の信号を右折して銚子銀座のモダンな町並みを歩き、飯沼観音が見えてきますと、それは古きよき銚子の町へと向いますよ、というサイン。そのシグナルの先に、港町としての銚子のあたたかみが溢れている。新しい銚子、昔ながらの銚子。ドラスティックな町並みの変化は、飯沼観音の穏やかな佇まいによって、不思議とたおやかに融合されているかのようで、これこそ銚子の町歩きの醍醐味なのではないか、と思いましたね。 仲町付近から、商店街の通りを外れて、利根川沿いの道路に出ました。利根川の雄大な流れの向うは、茨城県波崎町。風車が勢いよく回る風景の向うに、なだらかな家並みが続いていまして、広大な河口と海を望む町らしい、実に広々とした、本当に広漠たる風景です。夕刻が迫り、はるか彼方の銚子大橋の向うに、鮮やかな夕日が沈もうとしていました。利根川の水面に沈む太陽。美しい、の一言です。水面の多い日本にあって、川面の向うに入日を見通すことのできる地域は多いと思います。その中にあっても、古くは利根川の水運(東北地方から運び込まれた米などを江戸へ運搬する中継基地として、江戸期には銚子は重要な拠点でした)で栄え、紀州の漁民が始めたとされる漁業によって今日の町の礎を築いた銚子の町。その中にあっては、利根川や利根川に接して掘り込まれた漁港を背景とした夕日の風景は、きっと多くの人々を勇気づけたり、ふるさとを離れた人々にとっては郷愁を誘ったりするのではないでしょうか。それは、あるいは銚子にかかわるたくさんの人々の思いを溶け込ませた、極上の風景画であるのではないでしょうか。
このような創造をめぐらせながら、利根川と漁港、係留された漁船や魚市場の諸施設、周到に準備された漁具、たくさん詰まれているパレット、港周辺に軒を連ねる水産加工業場、冷凍冷蔵施設、網やゴム長などの漁具を扱う店、新鮮な魚介類を売りにした食堂などを見つめていますと、なおさら水面の向うの夕日の美しさが目に染みてきます。この漁港は、直接的には魚を獲る漁師さんによって成立しているのですが、その活動は水揚げされた魚介類を売りさばく業者や、水産加工品の製造元、また遠い消費地へ魚介類を輸送する流通業者、魚を新鮮に保たせるために氷や冷凍技術、保冷容器などを提供する専門業者、さらには多岐にわたる漁具を供給する業者や漁船のメンテナンスを行う業者などなど、その裾野はたいへんに広いわけです。これらの産業が有機的に、効率的に連携しているからこそ、私たちは毎日新鮮な魚介類を味わうことができるわけですね。銚子漁港は夕刻、港が活気づく時間帯からは外れていることもあって、全体としてはひっそりとしていました。とはいえ、整然と整理された網やパレットや、操業を続ける水産加工関連の工場の様子を見ますと、この町の漁港としての営みの鼓動は、しっかりと、ひしひしと、伝わってきましたね。
銚子の町を歩く前、犬吠埼周辺と、銚子外港周辺にも立ち寄りました。遥かなる太平洋に向う開放感を胸に、ポートタワーから見た銚子の町の佇まいと利根川の流れをしばし眺めていました。そこで感じた銚子のまちの鼓動、そしてまちの営みの凄みを内包した私の脳裏の「予感」は、実際に町を歩きながら徐々にいきいきとした色によって彩られていき、やがて一枚の名画の完成をみたのでした。東京大都市圏の枠組みで語られることの多い千葉県にあって、銚子市は人口規模の推移などの都市を計る諸指標からすると、相対的に地位の低下を指摘されることがしばしばでありましょうか。その一方、銚子市はわが国有数の漁港を抱える港町として、また太平洋を望む豊かな自然景観を満喫できるエリアとして、確かな輝きを見せていました。銚子大橋のたもと、銚子市街地から茨城県方面へ向う道路の右折レーンには長大な車列ができていまして、銚子の町の中心性を感じさせました。 利根川の豊かな水脈の向う、鮮やかな光線を水面に投げかけながら沈み行く夕日は堂々と町並みに寄り添って、まちの鼓動を受け止めていました。 |
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