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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#73 向島・亀戸エリア、春光の風景 〜梅花と水辺に彩られる景観〜 (墨田区・江東区)

 2019年3月2日、穏やかな春の陽気に包まれた、東京スカイツリーを訪れました。ここから散策マップをもらい、墨田区北部の向島エリアをめぐるウォーキングへと出発します。スカイツリータウン周辺は春の草花が至る所に植えられていまして、しなやかな輝きを見せていました。スカイツリーも、雲一つない空に向かって一直線に屹立しています。ウォーターフロントが美しく整備されている北十間川に沿って、穏やかな街並みを歩きます。

東京スカイツリータウンの花壇

東京スカイツリータウンの花壇
(墨田区押上一丁目、2019.3.2撮影)
北十間川とスカイツリー

北十間川と東京スカイツリー
(墨田区文花一丁目、2019.3.2撮影)
吾嬬神社

吾嬬神社
(墨田区立花一丁目、2019.3.2撮影)
亀戸天神社

亀戸天神社
(江東区亀戸三丁目、2019.3.2撮影)
香取神社

香取神社
(墨田区文花二丁目、2019.3.2撮影)
香取神社・香梅園

香取神社・香梅園
(墨田区文花二丁目、2019.3.2撮影)

 墨田区の北部、概ね十間橋(北十間川にかかる橋)と首都高向島ランプを結ぶ線より北側は、1947(昭和22)年に現在の墨田区が成立するまでは「向島区」の範囲でした(南半分は「本所区」)。隅田川に近い一帯は江戸・東京に隣接し早くから都市化が進んでいましたが、向島エリアの東側は、近世初期でもまだまだ水田が卓越する風景が残されていたようです。なお、現在の住居表示に見える「向島一〜五丁目」の地区は、先ほどの境界線の南側にあたり、旧本所区の範域に含まれていました。ただ、「向島」という表現には、江戸市中から見て隅田川を挟んだ「向こう側」といった語感が大いに含まれていると想像しますので、そこまで厳密に区分する必要はないのかもしれません。高度に都市化が進んだ現在、かつての地域の境界を越えて、街並みが一体化しています。そうした近代国家の首都としての東京における黎明期における都市と農村とが移り変わった痕跡のようなものを意識しながら、北十間川の周辺を進んでいきます。

 北十間川に架かる橋からは、静かな水面の川面越しにスカイツリーを美しく望むことができます。この後の向島エリアの散策中でも様々な場面でその姿を確認することができるスカイツリーは、多くの苦難を乗り越えて人々の生活の舞台として存続してきた下町の矜持のようなものを感じさせます。文花地区あたりはかつては一面の水田地帯で、その東の立花一丁目から二丁目にかけては小規模な集落が形成されていたようです。地区の鎮守である吾嬬神社も、明治期の地勢図にその存在を確認することができます。集落は小村井村と呼ばれていまして、東武亀戸線の駅名にその名を残しています。散策の予定はそのまま向島エリアを進むものとなっていましたが、現地で亀戸天神もそれほど遠い場所ではないことを知り、一度北十間川南の神社へと足を延ばしてみることとしました。江戸時代に屈指の梅の名所として知られたという梅屋敷跡の標識を一瞥しながら、静かな街並みを進んだ先に、多くの参詣者を集める亀戸天神がありました。境内の梅は紅白色とりどりの花を咲かせていまして、春空に映えていました。

曳舟たから通り

曳舟たから通りの風景
(墨田区京島三丁目、2019.3.2撮影)
キラキラ橘商店街

キラキラ橘商店街
(墨田区京島三丁目、2019.3.2撮影)
東武スカイツリーライン

東武スカイツリーライン・明治通り
(墨田区東向島二丁目、2019.3.2撮影)
向島百花園

向島百花園の風景
(墨田区東向島三丁目、2019.3.2撮影)
白鬚神社

白鬚神社
(墨田区東向島三丁目、2019.3.2撮影)
墨堤通り

墨堤通り、段差が確認できる
(墨田区東向島一丁目、2019.3.2撮影)

 再び北十間川を越えて、向島地域をめぐります。江戸市中からも近い郊外としての地域性を持つ場所として存立してきたため、文花二丁目から東武線を渡った京島地区にかけての一帯は細い路地が入り組む形となっています。明治期の地製図を参照しますと、そうした街路構成は水田の区画をベースとしているようにも見えまして、その境界に沿って道路ができ、その後の近代化によって宅地化が進んだ過程を経た結果であるように思われます。香取神社の境内の近くにも、かつて小村井梅園と呼ばれる名園があり、遊興の地としてもてはやされていたのだそうです。梅園は洪水により失われましたが、境内には往時を偲び、1994(平成6)年に「香梅園」として梅林が復興されています。ふくよかな色合いが見事な梅が境内いっぱいに花を咲かせていまして、春爛漫の風景を形作っていました。

 香取神社からは曳舟たから通りを北へ進み、キラキラ橘商店街の昔ながらの風景を概観しながら明治通りに出て、そのまま北へ歩いて京成線、東武スカイツリーライン下をくぐり、向島百花園へと向かいました。大通り沿いは中高層の建物も多く、駅前を中心に人通りも多い巷となっていますが、一歩通りから入りますと住宅地としての穏やかな風景となっていまして、向島百花園内も、梅やスイセンをはじめとした春の花がいっせいに咲いていて、そうした閑静な宅地のあたたかさを象徴しているようにも感じられました。向島百花園でのひと時を終えた後は、墨堤通りを南に歩いて、沿道の史跡や街並みを探勝していきます。墨堤通りとは、その名のとおりかつての隅田川の堤防を幹線道路として直線化・再整備したもので、往時は桜が植えられ人々に親しまれる存在でした。白鬚神社南に残る湾曲した街路は、墨堤の名残です。歩道と周囲の街並みとの間に段差があって、ここが昔は堤防であったことを実感します。首都高の向島ランプを過ぎて墨堤通りがクランクになる付近には、長命寺や弘福寺があり、門前から南へ続く見番通りとともに、大都市に隣接した行楽の地としての華やぎを感じさせます。

長命寺

長命寺
(墨田区向島五丁目、2019.3.2撮影)
見番通りの風景

見番通りの風景
(墨田区向島二丁目、2019.3.2撮影)
牛嶋神社

牛嶋神社
(墨田区向島一丁目、2019.3.2撮影)
隅田公園

隅田公園・旧水戸藩下屋敷跡の庭園
(墨田区向島一丁目、2019.3.2撮影)
隅田川・吾妻橋

隅田川・吾妻橋を望む
(墨田区吾妻橋一丁目、2019.3.2撮影)
旧安田庭園

旧安田庭園
(墨田区横網一丁目、2019.3.2撮影)

 小見番通りを南へ進みますと、言問橋を渡った国道6号の大通りに行き着きます。国道を越えた先には牛嶋神社が佇み、さらに隣接して、隅田公園に組み込まれた、旧水戸藩下屋敷跡の庭園が広がっていました。大名庭園の優美さを今に伝えるさせる風景と、高速道路の高架やスカイツリー、高層ビル群が重なる景色は、藩政期より大都市としての基盤を整え、変貌を遂げてきたこの町の来歴を何よりも明確に提示してくれます。このまま隅田川沿いを歩きながら、横網町公園や旧安田庭園などを経由し、両国駅前に到達して、向島エリアを中心とした彷徨をひとまず終えました。
江戸市中近傍の穏やかな郊外であった地域は、春本番を迎えて穏やかな色彩に包まれて、近世と現代とをつなぐ歴史と文化とを濃厚にその風景の中に溶け込ませていました。


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