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下関、海と陸のクロスロード

2014年9月8日、前日まで九州を訪れていた私は、関門海峡を介し九州に相対する下関の町を歩きました。
夏の残照を感じさせる晴天の下、数多くの史実の舞台となった海峡の町は、美しい風光に溢れていました。

下関市街地

海峡ゆめタワーから見た下関市街地
(下関市豊前田町三丁目、2014.9.8撮影)
関門海峡

関門海峡と錨のある風景
(下関市阿弥陀寺町、2014.9.8撮影)

 
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ページ設置:2017年10月1日

下関市街地を歩く 〜交通の要衝であり続けたまちの風景〜

 下関は、ここを訪れる多くの人々にとって、記憶に残る感傷を残される街なのではないかと思います。本ホームページには1999年以降の記録を記載していますが、それ以前、大学生時代にも、普通列車のみ乗降自由の「青春18きっぷ」などを駆使して西日本を訪れたことがありました。ローカル列車のみを乗り継いで西へ、本州最西端の下関から関門海峡をくぐるときは、生涯初めての本州からの「脱出」であったこともり、たいへん印象に残っています。この日は深夜に博多駅に到着し、貧乏学生ゆえに宿泊などはせずそのまま駅構内で過ごして、翌朝一番列車に乗車し長崎へと進んだことが思い起こされます。帰路は岡山までは新幹線で戻り瀬戸大橋を往復して四国(といっても高松駅前のみですが)へ踏み入れるなどさまざまな経験を得ました。そうした初々しい西への彷徨の象徴が、下関から関門トンネルをくぐり九州へ向かう時の高揚感でありました。私のつたない遍歴はここで置くといたしましても、ここを行き交った幾億の人間の悲喜交錯する幾星霜の時を越えたエピソードが、下関という町の根幹にあるように感じられるわけです。

下関駅前

JR下関駅前・国道9号
(下関市竹崎町二丁目、2014.9.8撮影)

グリーンモール商店街

グリーンモール商店街
(下関市竹崎町二丁目、2014.9.8撮影)

釜山門を望む

釜山門を望む
(下関市竹崎町二丁目、2014.9.8撮影)
大歳神社

大歳神社
(下関市竹崎町一丁目、2014.9.8撮影)


港が見える丘の径の風景
(下関市竹崎町一丁目付近、2014.9.8撮影)
港が見える丘の径の風景

港が見える丘の径の風景
(下関市東土堂町、2014.9.8撮影)
展望公園からの風景

港が見える丘の径・展望公園からの風景
(下関市笹山町、2014.9.8撮影)
高杉晋作像

日和山公園・高杉晋作像
(下関市丸山町五丁目、2014.9.8撮影)

 2014年9月8日、前日までの九州一周フィールドワークを経て大分県北部の中心都市・中津に投宿していた私は、列車で小倉駅を経由し、思い出の関門海峡を経て、下関駅まで到達しました。この日は午後に北九州空港を出発する便で羽田へ戻る予定でした。小倉駅から同空港へ連絡するシャトルバスの時間を考慮し、それまでのおよそ3時間弱の時間を利用し、可能な限り下関市街地を散策してみることとしていました。下関市は人口約26万人を擁する山口県内最大の都市で、県内では西の端にありながら、県全体を統括するような企業等も本拠を置くなど、山口県における中核都市としての性格を持ちます。また、関門海峡を挟んだ北九州市(門司)とも密接な結びつきを持っていまして、関門交流圏とか、関門大都市圏などと定義される日常生活圏が県境と海を越えて構成されていることも特筆される下関の特徴です。

 下関駅から東へ、再開発により巨大商業施設が建つエリアや、その地区を横断する国道9号を越え、昔ながらの雰囲気が残り近年はコリアタウン的な要素もにおわせるグリーンモール商店街を一瞥し、大歳(おおとし)神社へ。壇ノ浦の戦いを前に源義経が戦勝祈願を行った場所に近隣の漁民が祀ったものが起源とされ由緒を持つ神社です。関門トンネル建設時の路線変更に伴い旧社地はその敷地とされた後は現在の小山の上に移転しています。ここから海峡を見下ろす高台に「港が見える丘の径」と呼ばれる散策ルートが設けられています。下関は海岸に近い場所まで丘陵が迫り、平地が狭い地勢です。そのため、丘陵の上も住宅地として開発されている場所が多く、この散策路は住宅地の間を縫うように進んでいきます。家々の間に取り付けられた階段を上ったり、海峡への視界が開けた場所を通過したり、地域の人々に信仰される地蔵堂の前を進んだりと、散策ルートは地域の日常風景に寄り添うように通り抜けていきます。そうしたエッセンスは尾道の街並みを彷彿させました。その後数階の階段の上って下りながら日和山公園へ。日和山は港町の高台にある、潮の流れや天候を見るための場所とされた場所です。そうした背景を今に伝える常夜燈も置かれています。高杉晋作像が置かれているのも、ここが広く下関を見下ろすロケーションであるためでしょうか。公園の木々や眼下の都市化により視界はやや限定されるものの、関門海峡や背後の門司の風景が一望できました。

日和山公園

日和山公園からの眺望
(下関市丸山町五丁目、2014.9.8撮影)

日和山公園

日和山公園・常夜燈のモニュメント
(下関市丸山町五丁目、2014.9.8撮影)

山口銀行旧本店

山口銀行旧本店
(下関市観音崎町、2014.9.8撮影)
下関南部町郵便局

下関南部町郵便局
(下関市南部町、2014.9.8撮影)
旧秋田商会ビル

旧秋田商会ビル(観光情報センター)
(下関市南部町、2014.9.8撮影)
唐戸銀天街

唐戸銀天街
(下関市唐戸町、2014.9.8撮影)
旧下関英国領事館

旧下関英国領事館
(下関市唐戸町、2014.9.8撮影)
赤間神宮

赤間神宮
(下関市阿弥陀寺町、2014.9.8撮影)

中心市街地・唐戸を行く 〜関門海峡に寄り添う町の今昔〜

 日和山から麓へ下りて、国道9号沿いを東へ進みます。国道沿いは中層の業務ビルが比較的集積していまして、下関駅周辺と、その東方の唐戸地区(伝統的な下関の中心市街地)とを結びつける業務エリアとなっていることが理解できます。そうした町の広がりも、港町(港湾・漁港)としても、宿場町としても随一の活況も呈して存立してきた下関の、町として広がりを実感できます。程なくして、山口銀行旧本店のモダンな建物が目に入りました。1920(大正9)年に三井銀行下関支店として竣工、山口銀行創立後は本店として長く利用されました(現在は本店は下関駅近くに所在)。ルネサンス様式を基調としたシンメトリーの建物は、正面に取り付けられたアーチ型の窓が流麗で、装飾は華美過ぎず、格調高い印象を与えます。さらに歩を進めますと、市街地の中心である唐戸交差点の周辺に、特色ある容貌を見せる近代洋風建築物が点在しています。

 下関における最古の洋風建築物かつ現役最古の郵便局舎である「下関南部町(なべちょう)郵便局(1900(明治33)年完成)」や、ドーム状の塔屋が瀟洒な「旧秋田商会ビル(1915(大正5)年完成、現在は観光情報センターとして供用中))」、そして領事館として使用された建物としては日本最古のものである「旧下関英国領事館」といった建物が現代の市街地に溶け込むようにして残り、下関を訪れる多くの人々に感銘を与えています。高度経済成長期以降は下関駅を中心とした地域の成長や港湾産業の斜陽化による関連用地の空洞化が町に深刻な影を落としていた唐戸地区では、その後再開発が実行に移されて、市立水族館(海響館)の移転開業、カモンワーフのオープン、唐戸市場の改築が施行されて、近隣のレトロ建築物群とともに、下関における観光の中心地区の一つとして認知されるようになっています。そうした地域の再生が、唐戸銀天街など昔からある商業地にも明るさをもたらしているように感じられ、関門連絡船を介してつながる門司港周辺エリアとの周遊も地区の活況に連動しているように思われました。壇ノ浦の合戦で入水した幼帝・安徳天皇を祭神とする赤間神宮の境内からは、現代都市として成長した関門両岸の都市群が、海のきらめきそのままに輝いて見えました。付近の海岸からは関門橋も間近に美しく眺められました。橋の下の海域が壇ノ浦です。 

関門海峡

赤間神宮近くの関門海峡
(下関市阿弥陀寺町、2014.9.8撮影)

関門橋

赤間神宮近くから関門橋を望む
(下関市阿弥陀寺町、2014.9.8撮影)

門司を望む

海峡ゆめタワーより門司を望む
(下関市豊前田町三丁目、2014.9.8撮影)
巌流島方向

海峡ゆめタワーより巌流島方向を望む
(下関市豊前田町三丁目、2014.9.8撮影)
彦島・小倉・八幡方向

海峡ゆめタワーより彦島を介し小倉・八幡方向を望む
(下関市豊前田町三丁目、2014.9.8撮影)
下関駅周辺

海峡ゆめタワーより下関駅周辺を見下ろす
(下関市豊前田町三丁目、2014.9.8撮影)
下関駅近くのペデストリアンデッキ

JR下関駅近くのペデストリアンデッキ
(下関市竹崎町四丁目、2014.9.8撮影)
JR下関駅

JR下関駅
(下関市竹崎町四丁目、2014.9.8撮影)

 小倉へ戻り時間を考慮しこれ以上の東行は中止し、路線バスを使って下関駅付近へと戻り、駅近くの「海峡ゆめタワー」に登り、関門海峡の風光を眺望しました。古来多くの船舶が航行し、大陸の文化を伝え、数え切れないほどの物流を支えてきた海を、今日もたくさんの船が行き交います。奔流と九州を連絡する交通の要衝として存立し、近代都市として飛躍した下関の街並みは門司のそれとまさに手をつなぐように向かい合って、新しい歴史を紡いでいました。西方の彦島の向こうは、北九州の工業地域も間近に見て取れました。シーモール下関周辺はペデストリアンデッキが設けられた新興商業地として現代下関の顔となる街並みを形成していました。古より海と陸との交流の接点であった下関は、その繁栄とともにまたいくつかの哀史もまたその身に秘めてきました。そうした史実を踏まえながらも、豊かな風致に彩られる下関の今に、これからの下関の輝かしい方途を見た思いがしました。

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