Japan Regional Explorerトップ > 地域文・東北地方 > シリーズ・クローズアップ仙台・目次

シリーズ・クローズアップ仙台

#47ページへ #49ページへ

#48 霊屋下から米ヶ袋へ 〜広瀬川と緑に囲まれたまち〜
 

 晩翠草堂前からかつて細横丁と呼ばれた道路が拡幅された晩翠通を南に向かうと、程なくして南町通に出ます。正面には高等裁判所や家庭裁判所など、司法関連の機関が立地するエリアが広がります。晩翠通からまっすぐ南につながり、裁判所敷地の東を画する通りを狐小路といい、この区間を走っていた市電の電停名になっていた時代もあります。市電はここより東南で東方向へ進路を取る南町通を通って仙台駅前へ延びていました。東南方向へは五橋通が一番町一丁目を斜めに進んでいきます。消防署の前を過ぎ、片平丁の交差点へ至りますと、近年元の家庭裁判所の敷地に完成した超高層マンション「ライオンズタワー仙台大手町」が屹立しているのが間近に迫ってまいります。広瀬川や青葉山方面の眺望が美しいこのエリアにはいくつかのマンションが建設されてきていまして、その中で際立った高さを持つ超高層マンションの出現は、周囲の景観を一変させました。南町通りはこの超高層マンションの前で北へ進路を変え、通りの名前も「西公園通」となります。その手前、花壇地区方面へ段丘を下りる道路を進んでいきます。

 広瀬川がUの字に湾曲する部分であることから「琵琶首丁」と呼ばれた住宅地域を経て、近年美しい橋として架け替えられた評定河原橋へ向かいます。「花壇」の住居表示はこの地区の南、広瀬川が大きく蛇行する河川敷に伊達政宗により御花畑がつくられたことがあることに因みます。評定所が設けられたためにその名を持つ評定河原には野球場があり、穏やかな緑や広瀬川の流れに接する開放的なエリアです。新しい橋は歩道も広くとられていまして、青葉山方面、広瀬川によって浸食される丘陵地などの自然景観をゆったりと散策しながら眺めることができるようになりました。川を渡りますと、霊屋下(おたまやした)地区となります。

超高層マンションが見える

南町通、高裁前より西方向
(青葉区片平一丁目、2006.12.30撮影)
評定河原

評定河原野球場
(青葉区花壇、2006.12.30撮影)
評定河原橋

評定河原橋より経ヶ峰方面を望む
(青葉区花壇/霊屋下、2006.12.30撮影)
評定河原橋

評定河原橋、霊屋下方向
(青葉区花壇/霊屋下、2006.12.30撮影)

 霊屋下は、伊達家三代(政宗、忠宗、綱宗)の霊廟が造営された御霊屋(おたまや)の下に位置する地区であることからそう呼ばれるようになり、時代が下るにつれて「御」の字が省かれるようになったものです。政宗の霊廟「瑞鳳殿」は、政宗自身の遺命により、政宗薨去(1636年;寛永13年)の翌年、経ヶ峰と呼ばれるこの丘の上に造営されました。桃山建築の壮麗な霊廟は国宝にも指定されていたものの、1945(昭和20)年7月の仙台大空襲の際、やはり国宝に指定されていた仙台城大手門とともに惜しくも消失してしまいました。1979(昭和54)年に瑞鳳殿が再建され、二代忠宗の霊廟「感仙殿」及び三代綱宗霊廟「善応殿」も1985(昭和60)年に再建されています。向山や八木山方面へ向かうバス通りが地区の東を通過するためその区間の自動車通行量は多いものの、地区内のその他の道路は概して狭く自動車から敬遠されている面もあるようで、霊屋下は市街地に至近にありながらも、緑に溢れた穏やかな住宅地としての環境が保たれているように感じます。

 白いコンクリートの霊屋橋(おたまやばし)は、欄干が灯篭のような意匠の落ち着きのあるデザインで、広瀬川のつくる峡谷のような自然景観にマッチしています。架橋は、1935(昭和10)年で、広瀬川に架かる橋の中では最も古い部類に入ります。広瀬川は霊屋橋付近では最も深い淵をつくっていまして、「源五郎淵」と呼ばれているのだそうです。霊屋橋付近の広瀬川は、緩やかに蛇行しながら河岸を侵食して、渓谷状の景観をつくっています。北側は片平丁側(東岸)に崖をつくって、緑豊かな河岸の背後に高層建築物群が重なり、南に目を転じますと西岸に高低差のある断崖を形成し、バス通りともなっている市道が鹿落坂(ししおちざか)と呼ばれるルートを一気に駆け上がる様子が見て取れます。人口100万人を超えるような大都市の中心市街地にこれほどまでの峡谷をつくりながら、大きく蛇行を繰り返す川が接するというのは、わが国では他にあまり例がないですね。場所ごとに、季節ごとに移り変わる、それぞれの広瀬川の景観は、「杜の都・仙台」の魅力のひとつであるといえるでしょう。トビなどの猛禽類が悠然と飛び交う姿にもしばしば出会えるんですよ。

霊屋橋

霊屋橋(西詰)
(青葉区霊屋下、2006.12.30撮影)
霊屋橋より南

霊屋橋より鹿落坂を望む
(青葉区霊屋下/米ヶ袋一丁目、2006.12.30撮影)
広瀬川

米ヶ袋付近の広瀬川
(青葉区米ヶ袋三丁目、2006.12.30撮影)
米ヶ袋

米ヶ袋の景観
(青葉区米ヶ袋三丁目、2006.12.30撮影)

 霊屋橋を渡り、米ヶ袋(こめがふくろ)地区へと進んでいきます。古くは「仙台が原」とも呼ばれた米ヶ袋は、広瀬川が緩やかなカーブを描く袋状のエリアに展開し、数段の段丘に沿って町割がなされた武家町でした。鷹匠などの特殊な任務を負ったものが集団的に居住していたのだそうです。近代以降は都心に近い良好な高級住宅地域となって、仙台市民にとっては米ヶ袋というと、「大きなお屋敷のあるまち」と連想する人も多いと聞きます。現在は東北大学や東北学院大学が近接することから学生も比較的多く居住するエリアでもあるようです。霊屋橋の東詰付近は小規模ながら商店が集積していまして、周辺地域における近隣商店街となっています。広瀬川の方向へ向かいますと、比較的敷地の広い個人住宅が並んでいまして、閑静な住宅地としての伝統は健在のようでした。

 豊かな木々に覆われた広瀬川の河岸はたいへんに穏やかな雰囲気に包まれていまして、広瀬川のゆるやかな流れに臨む、快い散策ルートとなっていました。このあたりの河床には、セコイヤ類の化石林が残されていまして、仙台市の天然記念物に指定されています。広瀬川の川辺に降りて行きますと、眼前にそそり立つような断崖が迫ります。前述の鹿落坂を上りきった先は太白区向山地区で、その崖の上にもたくさんのマンションが建設されていまして、ダイナミックな自然景観と都市的な要素とが隣り合わせにあるこのまちの特徴の縮図のような光景です。比高にして40〜50メートルはあろうかという崖下を、広瀬川は穏やかに流れています。その落ち着き払った姿の中に、時に荒々しく大地を削ったこともあるであろう一面を隠していることは、目の前のすさまじいほどの崖が何より雄弁に語っています。

↓このフィールドワーク以外で撮影した写真よりご紹介します。
瑞鳳殿

灯篭でライトアップされた瑞鳳殿
(青葉区霊屋下、2005.8.7撮影)
瑞鳳殿

瑞鳳殿
(青葉区霊屋下、2003.9.13撮影)
評定河原橋

評定河原橋より下流方向(緑あふれる景観)
(青葉区花壇/霊屋下、2003.9.13撮影)


瑞鳳殿参道
(青葉区霊屋下、2003.9.13撮影)

 米ヶ袋を過ぎますと、広瀬川は広大な沖積平野の中へと向かっていきます。付近には「米ヶ袋の縛り地蔵」のある公園があって、往時を忍ばせます。高級住宅地域から、アパートやマンションなども徐々に混じり始めた住宅地域の中を戻り、再び霊屋橋へと戻りました。霊屋下から米ヶ袋にかけては、都心に近接しながらも喧騒から離れたのびやかさと、広瀬川のみずみずしい自然景観とに包まれた地域です。幹線道路に面した場所において近年超高層マンションなどが相次いで建築されるなど劇的な変化の続く仙台市街地にあって、例外的な落ち着きに満ちた地域であるといえるのかもしれません。


このページのトップへ

 #47ページへ           #49ページへ

目次のページに戻る


Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2007 Ryomo Region,JAPAN