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#20 泉佐野、新旧の街並み 〜“佐野町場”からりんくうタウンへ〜

 2011年12月4日、岸和田、貝塚と続けた地域訪問は、西隣の泉佐野へとつながっていきました。南海線で泉佐野駅へ到着したのは午後3時30分過ぎ。駅前で「散策マップ」を受け取り、「佐野町場」と呼ばれる旧市街地へ足を運びました。駅の東側はバスターミナルを備えたロータリーもあり、現代的な街並みが展開する一方で、西側は古くからの市街地が広がる地域で、旧国道26号である府道63号を越えて、古くからの商店街が続いています。1948(昭和23)年の市制施行時に既に栃木県佐野市が存在していたため市名は旧国名を表す「泉」を冠していますが、地元では単に「佐野」と呼ばれることが多いようです。以後、「佐野」と表記して文章を書き進めたいと思います。

泉佐野駅前

南海泉佐野駅前(東口)
(泉佐野市上町三丁目、2011.12.4撮影)
駅前商店街の景観

駅前商店街の景観
(泉佐野市栄町、2011.12.4撮影)
妙厳寺付近の景観

妙厳寺付近の景観
(泉佐野市本町、2011.12.4撮影)
佐野町場の景観

佐野町場の景観
(泉佐野市本町、2011.12.4撮影)

 駅へ続くの商店街を進みますと、程なくしてアーケードの「つばさ通り商店街」に突き当りました。この商店街は旧紀州街道(孝子越)にあたる道筋で、佐野における歴史的な中心街です。つばさ通りは、上善寺門前あたりを境に駅に近い側が「本通り商店街」、それより北が「上善寺前商店街」とに分かれているようです。アーケードのある商店街はさらにその北の春日通りにつながっています。その中心商店街の北側には、歴史を感じさせる商家や蔵などがひっそりと佇む旧市街地があります。土地ではそこを「さの(佐野)町場」と呼んで、まちづくりや観光の目玉として位置づけ活用を図っているようでした。佐野は中世より市の立つ町場として勃興し、近世になると海路の拠点としてさらに活況を呈し、漁業や廻船業が成長、鴻池や三井と並び長者番付に記載される豪商があったと井原西鶴著の「日本永代蔵」にも紹介されています。

 貝塚や岸和田など城下町や寺内町として計画的につくられた市街地と違い、佐野町場は自然発生的に町場が形成されたため、細い路地が複雑に絡み合うような形状をなしていることが特徴です。私もつばさ通りから北に入り、妙厳寺あたりの古い町屋景観を見た後その周辺を回りながら東へ進み、市指定文化財の旧新川(にいがわ)家住宅(現在は「泉佐野ふるさと町屋館」として一般公開)に至った後、西へ取って返して西法寺を経て再びつばさ通りに出て春日神社まで進むといった彷徨を行ったようです。まさに迷路に迷い込むような感覚で、随所に残された昔ながらの町屋建築に心を踊らされる散策でした。時間が遅くなっていたので向かうことはできませんでしたが、町場のさらに北側(海岸側)には「いろは蔵通り」と呼ばれる一角があり、江戸時代の豪商食野家の倉庫群のあった場所として往時の面影をとどめているとのことです。

旧新川家住宅

旧新川家住宅
(泉佐野市本町、2011.12.4撮影)
西法寺

西法寺
(泉佐野市元町、2011.12.4撮影)
つばさ通り商店街

つばさ通り商店街
(泉佐野市本町、2011.12.4撮影)
妙浄寺梵鐘

妙浄寺・梵鐘
(泉佐野市大宮町、2011.12.4撮影)

 妙浄寺の梵鐘は、佐野の豪商唐金(からかね)家の寄進によるもので、市内最古の鐘です(市指定文化財)。山茶花の咲く門前から春日神社の境内を通り、佐野町場を東から西へ縦断しながら、古い町屋の残る街並みを楽しみつつ歩みました。やがて細い路地の向こうに細長い超高層ビル(りんくうゲートタワービル)が見えるようになります。このビルは高さ256.1メートル、地上56階建ての規模を誇り、この文章執筆時にはあべのハルカス、横浜ランドマークタワーに続く日本で3番目の高さを誇ります。関西国際空港の玄関口にあたる再開発エリア「りんくうタウン」のランドマークとして建設されました。バブル期に計画された壮大な副都心計画は、沿岸部を大規模に埋め立てて、さらに多くの高層ビルの建設を含むものであったようですが、その後は紆余曲折を経て高層建築はこのビル一棟の完成を見るのみとなり、現在は複数の大型店舗をはじめ、物流系の事業所などが一定程度立地して、都市としての面目を保っているようです。町屋の家並みの上に超高層ビルが屹立する景観は、この佐野の町が今も昔も交通の要衝としての高いポテンシャルを持つ地域であることお象徴しているといえるのかもしれません。

 タワービルを目印にしながら街並みの中を進み、りんくうタウンのもうひとつのランドマークである大観覧車「りんくうの星」が見えるころには陽も西に沈み、すっかり夕闇に包まれる時間帯になっていました。JRと南海の駅である「りんくうタウン駅」に到達しこの日の活動を終えました。大きいスペースを確保してつくられた構内はその規模とは不釣り合いに閑散としていた印象で、バブル期における再開発計画の有り様の一端を垣間見たような気がいたしました。

春日神社

春日神社
(泉佐野市春日町、2011.12.4撮影)
町屋と高層ビル

古い町並みと高層ビルの見える景観
(泉佐野市本町、2011.12.4撮影)
佐野町場の景観

佐野町場の景観
(泉佐野市元町、2011.12.4撮影)
りんくうタウンの景観

りんくうタワーゲートビルとりんくうタウン駅
(泉佐野市りんくう往来北、2011.12.4撮影)

 関西地域を歩いていますと、現代の街並みの中に昔からの町屋や土蔵などが当たり前のように溶け込んでいる風景に出くわすことが多いことはこれまでもお話をしてきました。そうした地域にあって、佐野町場はその沿革と規模において、そして何より庶民が作り上げた町として、関西地域にあっても稀有な存在であるように思います。岸和田、貝塚、そして佐野と、三者三様の街並みに触れる時、自由都市として一時代を築いた堺の存在と共に、自主自立の気風を備えた泉州の地域性を感じずにはいられませんでした。

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