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初夏の瀬戸内、陽光滴る海と町並み
〜岡山、笠岡、倉敷をめぐる〜

2017年5月4日から5日にかけて、岡山県内の瀬戸内沿岸を訪れました。ライトアップされた岡山城・後楽園を歩いた翌日は、笠岡・倉敷市内へと進みました。
晴天に恵まれた行程では、初夏の穏やかな日射しに抱かれた、海と町とを目に焼き付けることができました。

真鍋島の海

真鍋島の海
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)
倉敷美観地区 

倉敷美観地区の景観
(倉敷市中央一丁目、2017.5.5撮影)
小田県庁跡

笠岡市・小田県庁跡の堀
(笠岡市笠岡、2017.5.5撮影)

 
訪問者カウンタ
ページ設置:2019年5月24日

岡山城、後楽園を歩く 〜ライトアップされた名城・名園の風景〜

 2017年5月4日、この日の早朝に四国・高山に高速夜行バスで到着し、その足で小豆島を訪れていた私は、その日の夕方島を離れるフェリーで瀬戸内海を渡り、新岡山港へと到達しました。洋上では雲が多めながらも西の空は茜色に染まって、多くの島々が重なるようにたなびく風景がとても美しく目の前に展開していきました。島の中には干拓によって本土と陸続きになったものも多く、また遠い過去、海退によって陸上の丘陵となっていたであろうものも少なくありません。この時代の今、海と山と島とになっている眼前の地形が夕日に染まる様は、まさにこの一瞬、この上のない希少と奇勝とが重なり合う光景であるように映りました。

児島湾大橋

児島湾大橋を望む
(土庄〜新岡山フェリー上より、2017.5.4撮影)



新岡山港の風景
(岡山市中区新築港、2017.5.4撮影)



桃太郎大通りを行く路面電車
(岡山市北区野田屋町、2017.5.4撮影)
シンフォニーホール前

シンフォニーホール前
(岡山市北区天神町、2017.5.4撮影)
岡山城

岡山城・夜景
(岡山市北区丸の内、2017.5.4撮影)
岡山城・月見櫓

岡山城・月見櫓
(岡山市北区丸の内、2017.5.4撮影)

 新岡山港からはバスで岡山駅へと向かい、荷物を投宿先にて下ろした後、繁華な駅前から路面電車が通る桃太郎大通りを進みました。ロータリー状の構造を擁する柳川交差点を過ぎ、円筒形の外観が特徴のシンフォニーホール前を経て、岡山城方面へと歩を進めます。城下町建設の際、旭川の水を内堀に引き入れるために堰を設けたことからその名のある石関町を進み、穏やかな流れを湛える旭川沿いに出ます。岡山市街地は岡山平野を形成する主要河川の一つである旭川によって、その東側を画されています。岡山城はその旭川に面して本丸を擁していまして、旭川を城下の東の守りとして活用していることが容易に見て取れます。後楽園へと渡る月見橋の前を過ぎ、石垣の間をつなぐように建設された廊下門をくぐり城内へと進みます。岡山城は本段、中の段、下段の三層構造になっており、その本段にある御殿に住む藩主が、中の段の表書院に降りる通路であったことから、「廊下門」の名があります。門の右側には、美しい新緑の木々に包まれるようにして、月見櫓(重要文化財)も望むことができます。そして、正面にはライトアップされた天守が闇夜に浮かび上がっていました。

 岡山城は、その黒漆喰の下見板が呈する外観から、「烏城(うじょう)」の別名で呼ばれます。スポットライトに照らされた城は漆黒の夜空に浮かび上がるように輝いていまして、このひとときだけは黒い部分以外が際立っていた印象です。ゴールデンウィークの期間は、ライトアップが施された春の特別開館「春の烏城灯源郷」が開催中で、城内には光に照らされた多くのオブジェが展示されていまして、城内から眺める岡山市街地の夜景に彩りを添えていました。天守の最上階からは、旭川を挟んで対岸に広がる後楽園や、その反対側の岡山市街の夜景を美しく眺望しました。特に、城内にふんだんに植栽された木々の新緑がしなやかなみずみずしさを持って夜空に葉を広げていたのが、夜の町並みにとても調和しているように感じられました。

岡山城

岡山城・ライトアップ
(岡山市北区丸の内、2017.5.4撮影)

市街地夜景

岡山城から見た市街地夜景
(岡山市北区丸の内、2017.5.4撮影)

旭川と岡山城

旭川と岡山城
(月見橋より、2017.5.4撮影)
後楽園

後楽園・夜景
(岡山市北区後楽園、2017.5.4撮影)
後楽園

後楽園・夜景
(岡山市北区後楽園、2017.5.4撮影)
後楽園

後楽園・岡山城を望む
(岡山市北区後楽園、2017.5.4撮影)

 岡山城をひととおり観覧した後は、旭川に架かる月見橋を渡って日本三名園のひとつとして知られる後楽園へと向かいました。後楽園でも、岡山城とコラボレーションする形でライトアップイベント「春の幻想庭園」が開催されていまして、多くの観光客がここを訪れていました。岡山城とともに後楽園を訪れたのは、2005年2月以来となります。春まだ浅い園内は、温かさを真っ先に演出する梅や椿、水仙などが花を開いていまして、ささやかな季節の移ろいを感じさせていましたが、この日はツツジなど初夏の花々が咲き乱れていまして、やはりライトアップされた園内を明るく照らし出していました。園内の築山である「唯心山」からは、この庭園を彩る芝生の園地と、たおやかな水を湛える池泉とが織りなす風景を俯瞰することができました。暗闇に浮かび上がる森の緑と、その上に煌びやかな佇まいを見せる岡山城の天守も、大名庭園らしい威風を感じさせました。


笠岡諸島と笠岡の町並みを訪ねる 〜瀬戸内の輝かしい風光〜

 岡山城と後楽園を訪問した翌5月5日は、この日の夜に夜行高速バスを乗車する予定にしていたJR倉敷駅のコインロッカーに荷物を預けた後、列車に揺られて西へ向かい、広島県福山市と県境を接する町・笠岡へと到着しました。この日は穏やかな晴天の朝を迎えていまして、駅前の町並みは、新緑の緑が美しい山並みに抱かれるようにして、穏やかな佇まいを見せていました。駅前に設置されたルート案内を参考に鉄路をくぐるルートを進み、瀬戸内海に浮かぶ笠岡諸島へと向かう渡船場へと向かいました。国道2号を歩道橋で越え、穏やかな湾内に面して、「国立公園入口」と刻まれた石碑が建てられていまして、ここが日本で最初に指定された国立公園のエリアであることを思い起こしました。



笠岡港住吉のりばの風景
(笠岡市十一番町、2017.5.5撮影)

常夜燈

笠岡港にある常夜燈
(真鍋島へのフェリーより、2017.5.5撮影)

真鍋島・本浦港

真鍋島・本浦港
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)

真鍋島・本浦集落景観

真鍋島・本浦集落の景観
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)

真鍋島

真鍋島・家の間の路地
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)

真鍋島の海岸風景

真鍋島の海岸風景
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)


 笠岡諸島は、笠岡市街地の沖、瀬戸内海に点在する大小31の豊かな島々を指し、その中の高島、白石島、北木島、大飛島、小飛島、真鍋島、六島の7島が有人島です。干拓により現在は本土と陸続きになっている横島や神島も、かつては瀬戸内海に浮かぶ文字通りの島でした。細長く貫入するような形状の笠岡湾も、干拓によって湾内の多くが陸地化した結果であり、元来は島々に穏やかに囲まれた波静かな海域でした。この日は笠岡諸島のうち、真鍋島へと向かうこととしていました。笠岡諸島へは、笠岡〜佐柳本浦航路(笠岡→神島→高島→白石島→北木島→真鍋島)と笠岡〜飛島〜六島航路(笠岡→神島→高島→飛島→六島)」の2系統の定期航路が就航しています。真鍋島へは、午前9時過ぎに笠岡を出航する高速船を利用し午前10時前に到着、午前11時40分発の本土行きの便で戻る行程です。湾に面して古めかしい渡船場の建物がありましたが、正面に「改札が移転しました」という立て看板が設置されていまして、西側に新設された笠岡諸島交流センター(笠岡港旅客船ターミナル「みなと・こばなし」)が新たなターミナルとして機能しているようでした。館内には各島の小中学校に給食を配送するクーラーボックスが置かれていまして、島の生活の日常を垣間見た気がいたしました。

 波静かな輝きに溢れた海を、高速船は軽やかに進んでいきます。船はまず白石島に立ち寄り数人の客の乗降があった後、笠岡諸島最大の島である北木島へと進みました。北木島は「北木石」と呼ばれる花崗岩を産出したことで知られます。接岸した島の東側の大浦港周辺はまとまった大きさの集落をなしていまして、古くより多くの人々の生活の舞台となってきた島の歴史を感じさせました。防波堤のある港を旋回しながら北木島を出航した船はさらに穏やかな海面を走って、笠岡港からおよそ45分で真鍋島の本浦港へと入港しました。この時間内に3島を経由することができる距離感から、笠岡諸島の島々と本土との近接性を実感しました。なお、島に関するサイトの中に、真鍋島の島名は真南辺の島、つまり備中国小田郡の南端にある島ということであることを指摘するものがありました。この事実も、瀬戸内の島々が地域ごとにまとまった属性を持って、一定の小経済圏を構成してきたことを示しているといえるのかもしれません。

真鍋島・天神社

真鍋島・天神社
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)

真鍋島・ふれあいパーク

真鍋島・ふれあいパークからの瀬戸内海眺望
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)

真鍋島・本浦集落俯瞰

真鍋島・本浦集落俯瞰
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)

真鍋島・集落裏手の畑地

真鍋島・集落裏手の畑地
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)

真鍋中学校

真鍋中学校
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)

真鍋島・走り神輿

真鍋島・走り神輿
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)


 真鍋島に到着しますと、港周辺に八幡宮の幟が立てられていまして、祭礼の期間であることを告げていました。本浦地区は北側に開いた小さな入江に発達した、昔ながらの漁村の佇まいを残す集落です。なまこ壁や板塀の家々の間には細い路地が入り組むように延びていまして、背後の丘陵地へと連なっていきます。石垣によって階段状に整えられた土地は、畑地としても利用されていまして、漁労と自家消費の畑作とで生計を維持してきた島の歴史がそこには刻まれていました。「ふれあいパーク」の標識を頼りに海岸沿いを西へと進み、島北西の天神鼻の高台につくられたその公園へと進みます。間近の海面はとても平穏で、どこまでも透明感に溢れるマリンブルーを呈していました。照葉樹に包まれた森の中を石段を上り、石の鳥居の下を潜り進みますと、岬の名前の元となっている天神社がひっそりと鎮座していました。島の西に祀られた天神社の存在は、あるいは遙か昔、橋から西国に赴いた菅原道真の伝承を継いだものではないかとも想像しました。

 天神社境内からは木々の間から垣間見る程度だった瀬戸内海への眺望は、つつじが咲き誇る「ふれあいパーク」へと上りますとさらに開けました。北側に隣り合う北木島や笠岡本土、そして水島灘の先にはたくさんの煙突が白煙を立ち上らせるコンビナートも遠望できます。西には福山市の鞆の浦を見通し、眼下にはこぢんまりとした湾に面する本浦集落の家並みが展開しています。島には弥生時代の土師器が出土するほか、古墳や古戦場、そして現代へと承継される長閑な集落景観が息づいています。古来より人々が生活し、その本拠としてきた豊かな島の風光は、何物にも代えがたい美しさに満ちているように感じられます。本浦集落へと下り、映画のロケ地ともなた小中学校の建物を一瞥し港へ戻りますと、市重要有形文化財の「走り神輿」がちょうど行われていたところでした。島のもう一つの集落である岩坪集落との間にある八幡神社から船で本浦集落の御旅所に運ばれ安置された神輿が、集落内や浜辺を勇壮に走って巡行されます。海の安全や豊漁を願い、元禄年間(1688〜1704年)に始まったとされる神事の空気に触れた後、本土へ戻る高速船で島を後にしました。初夏の日射に包まれた島はどこまでも輝かしく、瀬戸内の温和な気候そのままのやさしさを宿していました。真鍋島からの帰路、点在する島々の彼方に、瀬戸大橋や四国本土の讃岐富士(飯野山)も確認することができまして、瀬戸内の多様な風景美を再認識いたしました。

真鍋島・雁木

真鍋島・雁木の見える風景
(笠岡市真鍋島、2017.5.5撮影)

讃岐富士を望む

讃岐富士を望む
(笠岡港へのフェリーより、2017.5.5撮影)

白石島

白石島
(笠岡港へのフェリーより、2017.5.5撮影)

水島コンビナートを望む

水島コンビナートを望む
(笠岡港へのフェリーより、2017.5.5撮影)

笠岡駅前

JR笠岡駅前の風景
(笠岡市中央町、2017.5.5撮影)

遍照寺多宝塔と枝垂れ銀杏

遍照寺多宝塔と枝垂れ銀杏
(笠岡市中央町、2017.5.5撮影)


 本土に戻ってからは、笠岡の市街地を散策します。笠岡は岡山県の西部に位置し、西に接する広島県福山市とは密接な関係を持ち、同市の都市圏内の一部と見なされるまちです。笠岡湾に面した当地は古来より町場が形成されていまして、戦国期以降は多くの水主を抱える港町として、また市街地に多く立地する寺社の門前町として成長しました。藩政期には幕府の直轄地として陣屋が置かれ、その一定の中心性から、廃藩置県の過程で県庁が置かれた(小田県)時期があります。当時の県庁は江戸期の陣屋跡に置かれ、現在は笠岡小学校の校地となってるその旧跡には、県庁の正門が残ります。そのため、駅前からその門前まで至る目抜き通りは「県庁通り」と呼ばれていました。県庁通りを歩き、七福神の名称を冠した商店街のアーチを一瞥しながら通りに接するスーパーマーケットの先を西へ入りますと、国指定重要文化財の遍照寺多宝塔(1606(慶長11)年建立、岡山県下最古の多宝塔)が柔和な表情を見せていました。土地区画整理事業により寺院そのものは移転していますが、市天然記念物の枝垂れ銀杏とともに寺町・笠岡を象徴する風景を構成しています。

 広島県北部の東城を経て出雲へと至る街道筋とも重なる歴史のある県道34号沿いの穏やかな町並みを歩き、寺院が集まるエリアへと歩を進めます。市街地を流下する隅田川のほとりは石畳で整えられており、門前町としての風情を感じさせました。川に面して、一階部分の袴腰が鮮やかな朱色に塗られた竜宮門を持つお寺に目を引かれました。大仙院と呼ばれるその寺院は、地元では「大仙さん」として親しまれる古刹で、門をくぐって境内に入りますと、宝形造の均整の取れたお堂が、背後の竜王山の山並みに抱かれて佇んでおり、正面に植えられた松の瀟洒な容姿とともに、慎ましやかな結構を見せていたのが印象的でした。日常生活圏としては福山都市圏に包摂される笠岡の町ですが、代官所所在地として築いた中心性を彷彿させる町並みも十分な存在感を持っているように感じられました。市街地を概観した後は、バスを利用し笠岡をシンボライズする生物であるカブトガニをテーマとした「カブトガニ博物館」へ。その後は笠岡干拓地の只中に位置する道の駅「笠岡ベイファーム」へと進んで、大規模な農地へと変貌したかつての浅海の風景を確認しました。

大仙院・竜宮門

大仙院・竜宮門
(笠岡市笠岡、2017.5.5撮影)

大仙院

大仙院
(笠岡市笠岡、2017.5.5撮影)

隅田川沿い

隅田川沿いの風景
(笠岡市笠岡、2017.5.5撮影)

旧小田県庁門

旧小田県庁門
(笠岡市笠岡、2017.5.5撮影)

カブトガニ博物館

カブトガニ博物館
(笠岡市横島、2017.5.5撮影)

笠岡干拓地

笠岡干拓地・ポピー畑
(笠岡市カブト南町、2017.5.5撮影)


 瀬戸内海の島嶼から歴史を感じさせる町並みまで、多様な景観に恵まれた笠岡の風光は、瀬戸内海に降りるたおやかな初夏の日射しのようにどこまでも清澄で、とめどない輝きに溢れているように思われました。


倉敷美観地区を歩く 〜天領として栄えた白壁の町並み〜

 笠岡駅を午後4時過ぎに出発した上り列車に乗り、この日の夜に乗車を予定していた高速夜行バスの起点である倉敷へと取りました。5月上旬となり、日が延びたこの日は午後5時が迫ってもまだ空は明るく、倉敷へ向かう車窓からは新緑に覆われた山々と集落や、住宅地が広がる風景、そして田植えを間近にした水田などがしなやかに行き過ぎていきました。中国山地へと続く丘陵とそれを取り巻く低地は、海進時には浅い海であったはずで、そうした海水準の変動がもたらした地形の変化を確認しながら、列車は岡山県第二の都市で、岡山市とともに同県南部中央部に大きな都市圏を構成する倉敷へと到着しました。

倉敷駅前

JR倉敷駅前
(倉敷市阿知一丁目、2017.5.5撮影)

倉敷センター街BIOS

倉敷センター街BIOS
(倉敷市阿知二丁目、2017.5.5撮影)

えびす通り商店街

えびす通り商店街
(倉敷市阿知二丁目、2017.5.5撮影)

鶴形山公園

鶴形山公園・阿智神社への参道景観
(倉敷市鶴形二丁目、2017.5.5撮影)

阿智神社

阿智神社
(倉敷市本町、2017.5.5撮影)

美観地区俯瞰

阿智神社境内から美観地区を望む
(倉敷市本町、2017.5.5撮影)


 倉敷市街地は、「美観地区」と呼ばれる、水路沿いに広がる白壁の建物が織りなす町並みがあまりにも有名です。倉敷の地名の由来は、幕府や大名領の領地からの年貢などを領主の根拠地へ輸送する目的で一時的に保管する場所や施設(蔵)のことを指す「倉敷地」で、倉敷は江戸時代は天領に定められ代官所が置かれた場所でした。物資の集散地として栄えた当時の町並みが、運河として機能した倉敷川の周辺に良好に保存されていまして、歴史のある流麗な市街地景観が今日まで息づいています。倉敷駅前交差点から南東へ延びていくアーケード商店街(倉敷センター街BIOS)からえびす通り商店街へと連なる、昔ながらの商店街のテイストも残す町並みを歩きながら、美観地区北側にある鶴形山に鎮座する阿智神社へと続く参道を進みます。

 鶴形山自体は阿智神社の境内地周辺が「鶴形山公園」として整備されていまして、神社への参道を歩きながら、市街地に近接した穏やかな緑地の中を散策することができるようになっています。散策の途上では、鶴形山を取り巻くように展開する倉敷の町並みを穏やかに俯瞰することもできまして、阿智神社境内からは、倉敷美観地区も眼下に望むことができます。阿智神社は倉敷の総鎮守で、代官所所在地として興隆した多くの商家に支えられていきました。現在の倉敷市街地の大半は低湿地を干拓することによって造成された土地の上に存立しています。古くは鶴形山も瀬戸内海に浮かぶ島で、その島に寄り添うように海岸に成長した港町が町としての倉敷の原点です。初夏の日射しを依然として鮮やかに受け止める社叢の緑の下、石段を降りていよいよ美観地区方面へと歩を進めます。

阿智神社参道

阿智神社参道を美観地区へ下る
(倉敷市本町、2017.5.5撮影)

本町の町並み

本町の町並み
(倉敷市本町、2017.5.5撮影)

東町の町並み

東町の町並み
(倉敷市東町、2017.5.5撮影)

旧倉敷銀行

l旧倉敷銀行(右側)
(倉敷市本町、2017.5.5撮影)

有隣荘

有隣荘
(倉敷市中央一丁目、2017.5.5撮影)

倉敷川

美観地区・倉敷川の景観
(倉敷市中央一丁目、2017.5.5撮影)


 ゴールデンウィーク只中の屈指の観光地は、ご多分に漏れず、多くの訪問客に溢れていました。蔵造りの町並みが連続する本町通りから東町に架けてのエリアを歩いてから再び阿智神社下へ戻り、改修中の井上家住宅の前を通って進んでいきます。旧倉敷銀行のルネサンス様式の建物(旧中国銀行倉敷本町出張所、現在大原美術館の展示施設としてリニューアル中)の前を通過し、倉敷川沿いへ。近代の倉敷発展に多大なる貢献をした旧大原家住宅や、大原孫三郎が家族で住むために建てた大原家の旧別邸である有隣荘の豪壮な結構に圧倒された後は、倉敷川沿いを歩いてその穏やかな町並みの中を散策しました。倉敷の町並みのシンボル的存在と目される倉敷考古館や、1917(大正6)年に倉敷町役場として建てられた洋風木造建築・倉敷館は、高砂橋の石橋や常夜燈の存在も相まって、歴史的建造物が醸し出すこの上のない風情に彩られていました。

 日が傾くにつれて、ライトアップされ始めた美観地区は、さらにその美しさを増していきます。1893(明治26)年に倉敷紡績の初代社長大原孝四郎氏の別荘として建設された新渓園にある庭園で、日が傾いてライトアップにより新緑が鮮やかに昇華する様子をしばし観賞していました。美観地区の周辺には、国指定重要文化財の大橋家住宅や、代官所跡に建設された倉敷紡績の旧工場を商業施設にリノベーションした倉敷アイビースクエアなど、近世から近代にかけて、有数の商工業地域として繁栄を極めた倉敷の町を代表する建造物が集まっていまして、美観地区の歴史的価値をより一層高めていることも、特筆されるこの地域の特徴です。夕闇に染まる町並みを行き交いながら、運河と蔵造りの町並みとが優美に調和する風景を堪能しました。

石橋と常夜燈

石橋と常夜燈
(倉敷市本町、2017.5.5撮影)

小舟の見える風景

小舟の見える風景
(倉敷市本町、2017.5.5撮影)

美観地区

倉敷館(左)、倉敷考古館(奥)を望む
(倉敷市本町、2017.5.5撮影)

大原美術館

大原美術館
(倉敷市中央一丁目、2017.5.5撮影)

新渓園

新渓園
(倉敷市中央一丁目、2017.5.5撮影)

美観地区・夕景

美観地区・夕景
(倉敷市中央一丁目、2017.5.5撮影)


 小豆島で瀬戸内のダイナミックな美しさに触れたその夜から、翌日夕方までの時間の経過の中で周遊した、岡山県内、瀬戸内の多様な自然と町並みは、初夏のきらめきに溢れた光輝に彩られた、目眩くあたたかさによって充足されたものでした。瀬戸内海の多島美、重要な海運上のルートとして栄えてきた歴史と、海と友に関わった町場の佇まい、そして中世以降近代までの間に培われた豊かな風光は、今日多くの人々の目を惹きつけて止みません。海と島と、それらの自然に抱かれるような町並みとが寄り添う地域性は、それらの環境に常に向き合ってきた我が国の風土そのものであると言えるのかもしれません。

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