Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > 新潟天地豊穣・目次

新潟・天地豊穣

#11ページ
#12 栃尾・雁木の町並みを歩く 〜中越の山中に栄えた町場〜

 2016年7月30日、盛夏の新潟県内をめぐるフィールドワークは、早朝の長岡市・川口田麦山地区での行動を終えて、信濃川の河谷を越えた反対側、刈谷田川が刻む山中の低地に市街地を発達させる栃尾へと向かいました。栃尾は1954(昭和29)年に周辺の村々を編入した上で栃尾市となりましたが、2006(平成18)年には長岡市に編入され、現在は同市の一部となっています。刈谷田川(かりやたがわ)とその支流西谷川(にしだにがわ)が合流する一帯に形成された低地に市街地が広がります。中央公園の隣にある駐車場に車を止めて、町並み散策を始めました。

西谷川

西谷川の景観
(長岡市中央公園、2016.7.30撮影)
大町の景観

大町の雁木、クランクのある街路景観
(長岡市栃尾大町、2016.7.30撮影)


明かり取りのある雁木
(長岡市栃尾大町、2016.7.30撮影)


栃尾・雁木の景観
(長岡市栃尾表町、2016.7.30撮影)


雁木の景観
(長岡市栃尾表町、2016.7.30撮影)


秋葉公園へ上る入道坂
(長岡市栃尾大野町、2016.7.30撮影)

 公園の西を流れる西谷川を渡り、突き当たった南北の通り沿いには、家々の軒先に屋根を庇状に突き出して、それが歩道上に連続するように設えられた構造を見ることができます。アーケードに類似したこの屋根は新潟県内の諸地域では広く見られまして、一般に「雁木(がんぎ)」と呼ばれます。雁木は冬季の積雪下にあっても通りの往来を可能にするための雪国ならではの工夫であると言えます。雁木の下の空間は公道ではなく私有地で、地域の共有財産として供されていることも特徴のひとつです。栃尾の市街地では、この西谷川左岸の、新町から大町、表町にかけてと、川を挟んだ反対側の本町から滝の下町に至る県道沿いに雁木が発達していまして、この地域の特色溢れる市街地景観を形づくっていました。雁木には、上部に明かり取りのためにガラスをはめ込ませたものや、屋号を掲げたものもあって、歴史を重ねながら生み出された個性も随所に認めることができました。

 越後平野から山間に分け入ったこの地域にこれほどまでの雁木が発達していることは、このエリアが雪深いということもさることながら、そうした雪が多いという状況を考慮しながらもなおこの場所が町場として人を引きつける優位性があったということを示しているものであると考えられます。栃尾の町は中世に城郭が置かれたことにより成立し、その後は繊維産業も興隆して、この山中に市街地を存続させてきました。通り沿いに昔ながらの雰囲気を漂わせる雁木の町並みは、そうした栃尾の歩んだ歴史を何よりも雄弁に語りかけてきているようにも感じられました。

秋葉公園

秋葉公園の景観
(長岡市谷地二丁目、2016.7.30撮影)


秋葉神社
(長岡市谷地二丁目、2016.7.30撮影)
市街地俯瞰

常安寺越しに市街地を望む
(長岡市谷地二丁目、2016.7.30撮影)
門前小路

常安寺参道(門前小路)の景観
(長岡市谷地二丁目、2016.7.30撮影)
滝の下町

滝の下町の雁木
(長岡市滝の下町、2016.7.30撮影)
中心市街地

中心市街地の雁木
(長岡市谷地一丁目、2016.7.30撮影)

 元期の続く町並みを歩き西谷川を再び渡河して、入道坂を上って秋葉公園へ。少壮期を栃尾で過ごした上杉謙信像のあるこの公園は、1551(天文20)年に上杉謙信が岩野蔵王堂より遷座したと伝えられる秋葉神社が鎮座しています。緑に覆われた石段を下り、やはり謙信が創建した常安寺などの寺院が集まる一角を過ぎますと、栃尾の中心市街地である谷内(やち)地区へ。ここを中心に本町から滝の下町にかけて、雁木を伴った歴史を感じさせる家並みが続いています。通りにつながる小道には、それぞれに「門前小路」など味わいのある名前がつけられているようで、この町の長い伝統を感じさせました。

#11ページ

このページのトップにもどる

新潟・天地豊穣のトップにもどる      ホームページのトップにもどる

(C)YSK(Y.Takada)2018 Ryomo Region,JAPAN