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シリーズ京都を歩く

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21.洛中と洛外、都市としての京都 ~葬送と清遊、信心の境地~
第五十五段 洛中と洛外への視角 ~京洛、雅趣の極致を訪ねる~

 794年に平安京遷都により都市としての基盤を成立された京都は、その後1000年以上も日本の首都としての機能を維持し、宮都時代の都市構造をほぼそのまま承継しながら現代都市へと成長してきました。都市という狭い範囲に集約的に人と建物とが配置される形態は、この町の黎明期にあってはまだまだ珍しいものであったに違いありません。その特殊な人々の集住するコミュニティの形式は、自然と町の「中」と「外」を意識させることとなったのではないでしょうか。2019年12月7日から8日にかけては、京都の中心市街地に軸足を置きながら、そうした京都の中と外、洛中と洛外という感覚を意識しながら地域を巡りました。

大政所御旅所

大政所御旅所
(下京区烏丸仏光寺下ル大政所町、2019.12.7撮影)
東本願寺

東本願寺・築地塀
(下京区烏丸通七条上ル常葉町、2019.12.7撮影)
東本願寺・御影堂

東本願寺・御影堂
(下京区烏丸通七条上ル常葉町、2019.12.7撮影)
渡月橋と大堰川

渡月橋と大堰川
(右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町、2019.12.7撮影)
嵐山の紅葉

嵐山の紅葉
(右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町、2019.12.7撮影)


大悲閣千光寺からの眺望
(西京区嵐山中尾下町、2019.12.7撮影)

  12月7日早朝、夜行高速バスで到着した京都駅前はまだ夜の闇を残す空の下にありました。八条口周辺で軽い朝食を済ませてからは、四条烏丸に確保していた投宿先に荷物を預け、烏丸通を京都駅へ向かって歩き始めました。地下鉄烏丸線が地下を走る烏丸通は、京都駅前からまっすぐ北へ進み、京都御所の西を通過し北大路通まで至る一大幹線道路です。現代的なビル群が屹立する景観の中にあっても、仏光寺通下るあたりには祇園祭の際、八坂神社から渡御された神輿が安置される「御旅所」であった「大政所御旅所」などの史跡も随所に存在していました。そして、五条通の大通りを渡り、対照的に狭い路地である六条通を越えますと、眼前に東本願寺の大伽藍が目に入ります。かつて市電通りとして烏丸通を拡幅した際も、東本願寺の前だけは遠慮し、一筋東側の不明門(あけず)通りを広げる形で迂回しているところにも、その存在感が滲み出ていました。木造建築では世界最大級とも言われる御影堂や隣接する阿弥陀堂は、曇天の下、その暗鬱な空気を受け止めてなお堂々たる精悍さがあるように感じられます。

 駅前のランドマークたる京都タワーの足許を通り京都駅へと戻って、嵯峨野線を利用し嵯峨嵐山駅まで歩を進めました。洛中と洛外という概念には多様な考え方がありますが、そのうちの一つに「御土居」の内外という指標があります。御土居とは、豊臣秀吉が戦国時代に荒れ果てた京都の都市改造の一環として、防御や河川氾濫に備えるなどの防災を目的として、1591(天正19)年に京都市中を取り囲むように築いた土塁です。御土居の多くは棄却されていますが、京都駅の周辺はその南側にあたり、嵯峨野線は丹波口駅の北付近までかつての御土居の上をオーバーラップするように進みます。円町駅付近で御土居の外側-洛外-へと進み、都人にとって遊山の池であった嵐山と嵯峨を巡りました。

戸無瀬の滝

戸無瀬の滝
(西京区嵐山元禄山町、2019.12.7撮影)
天龍寺・曹源池庭園

天龍寺・曹源池庭園
(右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町、2019.12.7撮影)
嵯峨・竹林の道

嵯峨・竹林の道
(右京区嵯峨小倉山田渕山町付近、2019.12.7撮影)
落柿舎付近の風景

落柿舎付近の風景
(右京区嵯峨小倉山緋明神町、2019.12.7撮影)
嵯峨野の風景

嵯峨野の風景(落柿舎前より)
(右京区嵯峨小倉山緋明神町、2019.12.7撮影)
野宮神社

野宮神社境内の風景
(右京区嵯峨野々宮町、2019.12.7撮影)

 まだ人の少ない嵐山の早朝は、日中の喧噪から離れて、この場所本来の美観に改めて気づくことのできる極上の時間です。京都盆地西縁の断層活動によってつくられた高まりは、桂川(渡月橋付近では大堰川とも呼ばれます)によって浸食され、保津峡の深い峡谷を形成しています。渡月橋を渡り、保津川(桂川の保津峡付近における呼称)の右岸の小道を進み、随所に嵐山の紅葉が輝く坂を上り詰めた先には、大悲閣千光寺。1614(慶長19)年、海外貿易や国内の河川改修等に功績のあった角倉了以により建立された境内からは、小倉山から嵐山につながる緑の向こうに、京都市街を一望することができました。道すがらには、夢窓国師が「天龍寺十景」のひとつに含めた「戸無瀬(となせ)の滝」もあって、古来より、都から一定の隔絶のあった当地の情趣に触れることができました。


 渡月橋を渡って再び嵯峨へと進み、この界隈随一の美観を見せる天龍寺の曹源池庭園へ。夢窓国師が作庭した池泉回遊式の庭園は、曹源池と背後の断層崖に配した緑と、借景としての嵐山が渾然一体となって豊かな景観を醸成していまして、葉を落とした木と、まだ色づいた葉を残す木とのコントラストが、過ぎゆく初冬の季節感を演出していました。天龍寺からは竹林の道、小倉池近くの散策路を経て常寂光寺門前のしなやかな坂を下りて落柿舎前へ、嵯峨野のしなやかな風情を感じることのできる道を歩きました。落柿舎前の畑に野菜が植えられなくなって久しく、やや残念な面もありましたが、小倉山の東麓、化野から鳥居本へと連なる寺院のある一帯は、都から離れた隠遁の地ともなった、嵯峨野の雰囲気を存分に匂わせていました。

北野天満宮

北野天満宮・御土居もみじ苑から見た本殿
(上京区馬喰町、2019.12.7撮影)
北野天満宮

北野天満宮・御土居もみじ苑の風景
(上京区馬喰町、2019.12.7撮影)
上七軒の町並み

上七軒の町並み
(上京区真盛町、2019.12.7撮影)
大報恩寺(千本釈迦堂)

大報恩寺(千本釈迦堂)
上京区七本松通今出川上ル溝前町、2019.12.7撮影)
大根焚き

千本釈迦堂・梵字の書かれた大根(大根焚き)
上京区七本松通今出川上ル溝前町、2019.12.7撮影)
千本通

千本通の風景
(上京区牡丹鉾町付近、2019.12.7撮影)

 野宮神社などを過ぎて嵐電嵐山駅前へと戻る頃には、既に天龍寺門前から渡月橋へと向かう長辻通の界隈は、既に早朝の静寂から日中の喧噪へと変化していました。その人の波を避けるように嵐電に乗り込み、帷子ヶ辻で乗り換えて北野白梅町へ、そして先に触れた御土居の旧跡をその境内に残す北野天満宮へと歩を進めました。もみじ苑として春と秋に特別公開される御土居の紅葉は、冬ざれた鈍色の空の下、溢れんばかりのその緋色の彩りを、より凝縮したかのような密やかさに満ちていました。この後は上七軒から大報恩寺(千本釈迦堂)を経て西陣エリアを進む散策へと向かいました。


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