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シリーズ京都を歩く

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4.嵐山・嵯峨野散歩
第九段 嵐山を歩く

四条河原町から阪急線を利用し、 桂駅で乗り換えて嵐山駅に到着しました。駅前のカエデの木はほどよく色づいていた一方、渡月橋から眺める保津川沿いの山々は落葉の進んだ木々が多く、初冬の色に包まれているように思われました。渡月橋界隈の風景は、一般の観光客などの“よそもの”にとっては、京都を最もインスパイアさせる風景の1つです。私もそのうちのひとりですから、久しぶりの嵐山の風景をしばし楽しみました。ここから西、川の流れは保津川として、急峻な渓谷をつくりだします。1992年春、私がまだ高校生だったころ、山陰線の車窓から眺めた桜の季節の保津峡の美しさは、現在でも脳裏に焼きついています。ソメイヨシノが満開に咲いていた渡月橋周辺の風景もまた、懐かしいシーンです。保津峡の急流をくぐりぬけた流れは、渡月橋付近で穏やかな流れを取り戻し、「大堰川」の名前となります。さらに下流になりますと「桂川」という名前になって、淀川(宇治川)に合流しています。河川管理上、行政的には「桂川」として統一した名称となっている川が、地域的にさまざまな通称で呼ばれているものであるようです。大堰川という名前には、5世紀に渡来系氏族の秦氏(はたうじ)が、当時葛野(かどの)川と呼ばれていたこの川に堰を築いたとする伝説が息づいているようです。現在でも渡月橋のやや上流に杭を並べた堰が設けられていまして、葛野大堰(かどのおおい)と呼ばれているとのことです。嵐山の麓を軽やかに洗いながら風情ある景観を作り出すこの川は、古来人々を悩ませるたいへんな暴れ川でありました。そこに大規模な堰を設けることにより治水を成功させ、肥沃な耕地を開いた先人の歩みが、川の名前や堰の景観に刻まれている、といったところなのでしょうか。京都を訪れる多くの人々に限りない情趣を感じさせる嵐山・渡月橋の姿のなかには、数々のエピソードが礎となって、蓄積しているのでしょう。

渡月橋

渡月橋、北詰より
(右京区嵯峨野天龍寺芒ノ馬場町、2004.12.11撮影)
渡月橋より西方向

渡月橋より“葛野大堰”を望む
(2004.12.11撮影)
渡月橋、下流方向

渡月橋より下流方向、桂川
(2004.12.11撮影)


天龍寺塔頭寺院の景観
(右京区嵯峨野天龍寺芒ノ馬場町、2004.12.11撮影)

渡月橋北詰の商業的な色彩が濃厚なエリアは、人の流れも絶えず芋を洗うようで、足早に通り過ぎます。世界遺産にも登録されている、天龍寺へ。天龍寺への参道は、塔頭寺院のたおやかなたたずまいや嵐山のみどり豊かな稜線から続く木々のみずみずしさなどが重なって、たいへん落ち着いた雰囲気です。鮮やかに色づいた紅葉もあちらこちらに認められます。明治以降に再建されたという、方丈・大方丈などの大伽藍を拝観しながら、京都市内でも随一の規模と美観とを備える方丈庭園を散策します。嵐山や亀山などの山並みを借景とした池泉回遊式の庭園は、岩山や立石などを巧みに配した情趣溢れるつくりとなっています。作庭は、開祖・夢窓疎石とされています。大方丈の壮大な建物に接し、幾星霜の時代を超えて残された名庭は、それぞれの時代における思想や美、自然に対する捉え方、流行などを取り入れさせながら、現代に受け継がれてきたのでしょうか。池のなめらかなさざなみ、白砂の虚無感と幾何学的な神秘をも想起させる佇まい、どこまでも緑が深く、深遠の境地にまで私たちを導く植物たちの色彩、落ち着きに満ちた水彩画のタッチそのままにやわらかさと厳しさとを訴えかける岩などが一体となって、初冬の午後の静かな風景画をつくりだしていました。かすかに冷たさをはらんだ風が、赤く色づいたもみじの葉を揺らして、北に連なる竹林の笹を軽やかにくすぐっていきました。

天龍寺・大方丈

天龍寺・大方丈
(右京区嵯峨野天龍寺芒ノ馬場町、2004.12.11撮影)
天龍寺・庭園

天龍寺・庭園
(右京区嵯峨野天龍寺芒ノ馬場町、2004.12.11撮影)
大河内山荘付近の小径

大河内山荘付近の小径
右京区嵯峨野天龍寺田淵山町、2004.12.11撮影)
野宮神社付近

野宮(ののみや)神社付近の竹林
(右京区嵯峨野天龍寺野々宮町、2004.12.11撮影)

ほの暗い竹林の中を進む小径もまた、京都の外部にある人間にとって、嵐山を特徴づける風景の1つであるように思います。初冬の午後2時を過ぎて、すぐ西に山が迫っていることもあり、竹の間から差し込む日の光は徐々にその光量を落としていきます。竹のスリットから照射される冬日が運び込む空気のかたちは、どこまでも繊細な輪郭を持っているように感じられます。竹林を経て至った野宮(ののみや)神社の小さなお社は、そんな竹林に抱かれるようにありました。大勢の観光客で“ひっそりと”とまではいきませんでしたが。この神社のシンボルとも目される黒木の鳥居は、現在のものは擬木で作られているようでした。「野宮」とは、伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が禊斉を行った場所であり、この野宮神社は嵯峨野に時代に応じて設けられた野宮の1つであるとのことです。竹林の展開するエリアからJR山陰線を越えて、冬の残照に照らされた穏やかな山裾を北へ進みます。

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