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関東の諸都市・地域を歩く


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#12 常陸太田市街地 〜台地の上に広がるまち〜

常陸太田の市街地ほど、初見が印象に残っている場所はあるいはなかったかもしれません。常陸太田の市街地を初めて見たのは、2003年頃の秋くらいであったと思います。正確な記憶ではありません。大子町にある袋田の滝の紅葉を観た後、往路と同じルートを行くのは面白くないと感じて、帰路を国道349号線経由にしてみたときでした。この経路を選択した理由は特に明確ではありませんでした。あるいは、今まで通ったことのない地域を通過していろいろと感じてみようという軽い動機からであったのかもしれません。奥久慈の穏やかな山並みは豊かな色づきにあふれていまして、その後に展開してくるのびやかな田園風景ものどかな雰囲気がとても魅力的でして、空気の澄んだ穏やかな秋の午後のドライヴは軽快に進んでいました。里川の流れに沿って南へ進み、常陸太田市街地間近になって国道がバイパス状に直線的なラインをとったときでした。右前方(西の方向)、水田の広がるその向こうに、ゆるやかな台地上の稜線の上に市街地がはりつくように発達しているのが目に飛び込んできました。周囲の低平な土地の多くが水田となっている中で、高まりとなっている台地に高密に展開している市街地の態様は、今まで目にした事がなくて、新鮮な驚きを覚えました。このときは時間が遅く市街地の中まで見ることはできませんで、いずれこの「丘の町」を散策してみたい、と思っていたわけです。2005年11月12日、あの衝撃の出会いの日と同じく袋田の滝を観にいった後に、常陸太田市へ向かいました。

国道349号線から市街地の乗る台地に近接した市役所に向かい、自家用車を降りて中心市街地へと向かいます。市役所は台地上ではなく台地の東側、低地上のエリアに立地しています。周辺はショッピングセンター等の施設も見られまして、今日のモータリゼーションに適応した郊外化の一端が垣間見られます。市街地へ向かい、西方向へ進んでいきますと「板谷坂下」の交差点へと行き着きます。市街地に向かってゆるやかに続く石畳と石段、おだやかに両側に展開する市街地、歴史を感じさせる瓦屋根のシックな風合い、家々の間を埋めるようにみずみずしい雰囲気をつくる緑の木々が一体となって、たいへん趣のある坂道の景観がつくられています。何と言っても、交差点北西にある商家の重厚な町屋が慎ましやかながらも風格を感じさせるのでして、坂道の風景を1つの味わいのある情景として見事にまとめあげているように感じられました。欲を言いますと信号機がもっと落ち着いた雰囲気のカラーリングになっていると良いかなとも思いますが、車社会にあってはやむを得ないことなのかもしれませんね。この常陸太田を代表する坂の名前は、「板谷(ばんや)坂」といいます。坂上には坂についての説明が刻まれた石碑が建てられてありました。

板谷坂は古街道の1つで、ここから見た阿武隈連山を背景とした風景はまゆずみに例えて「眉美千石」と呼ばれ、広大で豊かな田園風景が広がっている。(板谷の文字を)番屋と書いた古文書もあることから、佐竹時代には東方から街へ入るいわば見附になっていたのかもしれない。
※( )内はYSKによる註です。

坂上から緩やかに低地へ下る坂道を眺めながら視線を遠くへ向けますと、現代の町並みの彼方、阿武隈山地の南端を構成する山並みが坂の丸みを帯びた容貌そのままに、悠然と連なっていました。

板谷坂下

板谷坂下交差点
(常陸太田市金井町、2005.11.12撮影)

板谷坂

板谷坂・坂上より見下ろす
(常陸太田市東二町、2005.11.12撮影)

東通りの景観

東通りの景観
(常陸太田市東二町、2005.11.12撮影)
俯瞰

阿武隈山地を見下ろす
(常陸太田市東三町、2005.11.12撮影)

坂の上は、いよいよ台地の上に発達した常陸太田の市街地となります。国道293号線となっている通りは東通りと呼ばれて南行きの一方通行となっているのに対し、西側に並行してつけられた市道(西通り)は北行きの一方通行となっておりまして、古くからの市街地であることを実感させます。東通りをまずは南へ向かい、市街地の玄関口ともなっているJR駅を目指します。現代的なコンクリートの建造物が道路の両側に立ち並ぶ家々は、時折町屋風の木造の商家や土蔵造りの建物も混在しており、全体として落ち着きのある町並みを形成していました。西通りが合流するあたりからは源氏川のつくる西側の谷筋を介した景観も見られるようになり、南北に細長い台地上につくられた市街地であることがよりいっそう実感されるようになってきます。木崎一町から二町、そして台地下の山下町へとゆるやかに下っていきますと、JR常陸太田駅前へと導かれます。駅前は北から合流する国道349号線、北西から合流し東へ抜けていく国道293号線、そして293号線と並行するように北西へ台地下を抜けていく県道が複合的に交わる変則的な交差点となっており、市内における最も交通渋滞の多い場所の1つとなっていると聞いています。現在は廃止された日立電鉄の踏切もこの交差点付近に存在していました。駅の南側を跨ぐように架橋されている歩道橋から眺めますと、台地上に展開していく市街地の様子と、その南端においてその市街地へと向かうように設置された鉄道的との関係が一望の下に見渡すことができました。鉄道需要の変化から今でこそ単純な構造となっている常陸太田駅も、かつては西側に数本の貨物用の引込み線も擁した、拠点性の高い駅であったようです。現在その貨物用の鉄路のあった部分は周囲の市街地・住宅地の中に取り込まれてしまっているようです。

再び常陸太田市街地の丘を登ります。一部板谷坂の石碑碑文のところに記述が見られますとおり、常陸太田市街地の乗る台地は、当地の豪族佐竹氏の支配地として平安初期より発展、江戸初期には水戸藩の要地として現在の市街地の基礎が築かれました。水戸光圀が晩年を過ごした西山荘など水戸家にまつわる史跡が多いことでも知られていることは申し上げるまでもないことと思います。土蔵や木造の町屋の残る穏やかな町並みは、車社会の波に現れて最盛期の輝きが失われて久しいものと思われます。ところどころに建物が取り壊されてそのまま更新されないでいると思われる更地も認められます。しかしながら、この台地の上につくりあげられてきた町が編み上げてきた歴史の堆積の“すごみ”は、その落ち着きのある雰囲気の中に確かに感じられました。「通り塩町地区」は、常陸太田のおおらかな歴史性を生かしたまちづくりが積極的に進められているエリアです。路面は天然石を用いた石張り舗装に整えられ、中世より塩街道として栄えた町並みとの対照が美しく表現されています。辻には休憩ができる東屋のようなポケットパークが設置されていまして、その町並みをゆったりと眺めることができます。地域の歴史的なまちなみを保存する活動は各地において多様な展開を見せているようです。地域の文化様式や建造物の特質・形式等を尊重しながら、それが輝かしく結実していく道筋を歩んでいけるか、注目すべき界隈であるように感じられました。

常陸太田駅前

JR常陸太田駅前
(常陸太田市山下町、2005.11.12撮影)

通り塩町

「通り塩町」東の辻
(常陸太田市東一町、2005.11.12撮影)

十王坂

十王坂
(常陸太田市西一町、2005.11.12撮影)
鯨ヶ丘

常陸太田市街地遠望
(常陸太田市馬場町、2005.11.12撮影)

 内堀町の交差点付近はクランク状に道路が結節する巷となっており、城郭起源の市街地であることを実感させます。中世の太田城はこのエリアを南縁として北へ造営されていました。常陸太田郵便局前から南へ、西通りを歩みます。先に触れた「通り塩町」の路地から郷土資料館までの界隈はひときわ重厚感のある土蔵や町屋が多くて、その豪奢な佇まいがたいへん印象に残りました。通り塩町から西へ台地を下る坂は「十王坂」と呼ばれます。郷土資料館北のなまこ壁や土蔵の風合いがたいへん美しくて、西山公園へと続く市街地西側の山並みや周囲の家並みとあいまって、穏やかな情景がつくりあげられていました。

 市街地散策を一通り終え、市役所への帰路は「通り塩町」の路地を進んで東へ、木々が周囲をやわらかく包み込むような潤いあふれる坂道を緩やかに下っていきました。板谷坂下の美しい町や景観を再び確認して、市役所に戻りました。国道349号線の端から再び眺めた常陸太田の台地は夕暮れの鮮やかな茜色の空に溶け込むように、たおやかなスカイラインを描いていました。常陸太田の市街地となっているこの台地は、「鯨ヶ丘(くじらがおか)」というすがすがしい異名を持ちます。街中で見かけた案内表示によりますと、この「鯨ヶ丘」の由来を次のように記していました。景行天皇の時代(4世紀頃)、日本武尊が東夷征伐のためにこの地をめぐった際、丘陵の起伏があたかも鯨が洋上に浮遊している様に似ているので「久自(くじ)」と名づけた。これが後に「久慈」と転訛しこの地域を指す名称として鯨ヶ丘という呼び名が生まれた、と。
最初のくだりは置いておくといたしまして、丘陵の形状が鯨が大海原を浮き沈み進んでいくようすに似ているという部分はたいへんに的を射た比喩であると思います。そしてそのやわらかさを内包した「久慈」の名前は、周囲の柔和な色彩と風合いをみせる和やかな山並み全体へと伝播して、今日の「久慈」のおくゆかしさがある。その中心にあって輝きを見せてきた鯨ヶ丘−常陸太田−は今まさに眼前にあって、オレンジの夕闇にいっそうのかがやきをみせているように思われました。


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