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きらめきの上州譜

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#3 白井宿の町並み 〜旧市場町の穏やかな景観〜

 2007年10月下旬の早朝、みなかみ町に赴き、奥利根水源の森の紅葉を眺めた後、利根川沿いに下って渋川市、2006年に合併するまでは北群馬郡子持村であったエリアへと到達しました。国道17号が吾妻川を渡り、中之条を経て草津方面へとつながる国道353号を分岐する鯉沢交差点付近の渋滞を避ける目的で東側に新設された国道17号のバイパスは農村的な風景の中をさっそうと取り付けられています。モータリゼーションが常態化した郊外としてもこの地域は例外ではなく、大規模なショッピングセンターも早くも立地していまして、観光振興を目的とした「道の駅こもち」の設置も相まって活気のある一角を形成しています。

奥利根水源の森

奥利根水源の森
(みなかみ町藤原、2007.10.20撮影)
奥利根水源の森

奥利根水源の森
みなかみ町藤原、2007.10.20撮影)


 道の駅には隣接して東屋や水車小屋、なまこ壁の町屋風の建物が整備された「まちなみみ公園」にも隣接しています。近世以降の市場町としての景観を今に残す白井宿はすぐ近くです。道の駅の駐車場に車を置いて白井宿へと歩を進めました。利根川と吾妻川の合流点に程近い河岸上に立地する白井宿は、古くは937(承平7)年に編纂された「和名抄」に群馬郡13郷のひとつ、「白衣(しろい)」郷として出現するほどの古い地名で、中世は西方の丘の上に建てられたし白井城の「城下町」として次第に町場が形成され、近世以降白井城は廃城となるも、白井は沼田街道や三国街道などの街道に接する在郷の中心地となり、六斉市の立つ市場町へと発達した歴史を持つようです。その町並みから「宿」とも呼ばれたようで、それが今日「白井宿」と称される端緒となったともいわれているようです。

白井宿

町並みの概観
(渋川市白井、2007.10.20撮影)
白井宿

井戸と白井堰
渋川市白井、2007.10.20撮影)

白井宿

白井宿の景観
渋川市白井、2007.10.20撮影)
白井宿

集落とこんにゃく畑の風景
渋川市白井、2007.10.20撮影)

 南北およそ900メートルにわたって市場町を形成した白井宿は、道路の中央に穏やかなせせらぎで潤わされる水路が通されているのが特徴で、植えられた八重桜の緑や石が敷き詰められた意匠(雑割石積)とともに昔ながらの景観をより奥ゆかしいものにしているように思われました。白井堰と呼ばれるこの水路は現在は群馬用水が流れているようです。水路に沿って8つものつるべ井戸が並んでいるなど、白井堰は古来より水の得にくい白井にとって、重要な生活用水路としての役割を持っていたようです。

 現在では少なくなっているものの、通りに対して建物を道路のラインより少しずらして建てて三角形の空き地を残し、見通しを利かなくした「武者返し」の遺構や、白壁の町並み、道標、鐘楼などが残されていまして、往時の白井宿の空気を十分に感じることができます。間口が狭く、奥行きの長い短冊状に建物が建てられていたという町割りの様子も所々に窺い知ることができました。
 
白井宿

「武者返し」で少し斜めに建てられた土蔵
(渋川市白井、2007.10.20撮影)
白井宿

短冊形の土地割が確認できる
渋川市白井、2007.10.20撮影)

白井宿

鐘楼が見える景観
渋川市白井、2007.10.20撮影)
白井宿

白井宿の景観
渋川市白井、2007.10.20撮影)

 近世の市場町としての事物のさることながら、周辺ののびやかな風景にもたいへん癒されます。名産のこんにゃくをはじめねぎや大根などが植えられた畑や背後のたおやかな山並みの緑がたいへんにみずみずしい印象で、軽やかに、そしてしなやかに白井堰に沿って立ち並ぶ桜並木の緑に連なります。道の駅やバイパス沿いの喧騒がうそのように穏やかな町並みは、そんな豊かな田園・自然風景に溶け込みながら、地域が積み重ねてきた時代を脈々と紡ぎながら、静かに現代を生きているように感じられました。

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