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HIROSHIMA REVIEW

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#12 己斐(こい)・西広島界隈 〜広島郊外エリアへの入口〜

 戦後の河川改修事業でかつての福島川と山手川の流路を統合・廃止して誕生した太田川放水路は、2つの河川を統合しただけの川幅のある、堂々たる姿を見せています。満々と水をたたえた放水路の流れの彼方には、広島市中心部を構成するデルタ上の市街地のスカイラインが颯爽と目に入ります。そして市街地の建物群のさらに向こうには、広島平野を取り囲む丘陵地の山並みが穏やかに繋がっていきます。下流方向には広島湾に浮かぶ似島の最高峰・安芸小富士のピークが市街地の向こうに見えまして、瀬戸内の海に向かう広島らしい独特な景観も楽しむことができます。己斐新橋は頻繁に往来する路面電車やあまたの車両を日々迎え入れながら、市街地を水害から守る大きな水路を跨いでいます。

 放水路の西側は、己斐(こい)の町です。広島にゆかりの無い人間には読むことが難しい地名ですね。私も初めて見たときはまったく読み方を想像することができませんでした。地名としてはたいへん歴史のあるもののようで、地名の由来についても諸説があるようです。地形的には、西から北、北東方面は山に接し、南東には太田川放水路(かつては山手川)が流れて、南西方向に平坦部が連続するエリアに位置しています。そのため、西から海岸沿いに北東へ進み、広島市街地の展開する太田川のデルタ地帯へ向かいますとちょうど北側の丘陵地に突き当たる位置となり、自然と広島市街地へ入るルートの西側の玄関口としての機能が備わったような場所であるように思います。また、広島地方では近世以降伝統的な花卉栽培地域としても知られているようです。己斐駅周辺の自治体であった旧己斐町は、横川駅周辺(旧三篠町)などと同時(1929(昭和4)年)に広島市に編入され、以降、広島都市圏の核のひとつとして成長してきました。

広電西広島駅前

広電西広島駅前、都心方向
(西区己斐本町一丁目、2007.9.4撮影)
JR西広島駅前

JR西広島駅前
(西区己斐本町一丁目、2007.9.4撮影)
太田川放水路

太田川放水路から市街地を眺望
(西区・新己斐橋上より、2007.9.4撮影)
似島

太田川放水路より似島を望む
(西区・新己斐橋上より、2007.9.4撮影)

 己斐の結節点は、ふたつの鉄道駅です。すなわち、JR山陽線の西広島駅と、広島電鉄の広電西広島(己斐)駅です。両駅は隣接して立地していまして、平和大通りから新己斐橋を渡ってすぐに南へ折れる宮島街道に接して広電の駅が、そしてバスターミナルやタクシープールを挟んでその西にJR駅が、それぞれ立地しています。広電はこの駅を境に系統上は市街地方面の「市内線」と、宮島口方面まで専用軌道を走る「宮島線(鉄道線)」とに分かれます。現在では多くの列車が市内線と宮島線とを直通するようになり、2001(平成13)年11月に両線の電停を統合、駅舎もリニューアルされ、現在に至ります。1960(昭和35)年に開業した駅ビル「ひろでん会館(マダムジョイ己斐店)」前にあった市内線の電停(己斐電停)は使用されずに宮島街道沿いに残されていました。

 新己斐橋西詰から程なくして南へ進路を変える広復員の道路に面して、先述した駅ビルをはじめとした中層の建物が集積する景観は、JR駅のすぐ西側にせまる丘陵地の姿もあいまって、たいへん大きな市街地に見えます。交差点を横切って駅ビルの前に滑り込んでいく路面電車の往来が、町並みの凄みをいっそう際立たせています。横川駅前のような相対的に広い平坦地に乏しい土地柄も、己斐の町を大きく見せるのに一役買っています。広島市街地とその西郊の後背地とをつなぐ動脈上にあって、継続的また高度経済成長期においても早くから郊外化の影響を受けてきたであろう己斐の町を象徴するかのように、市街地を構成する建物はそのほとんどが中低層の雑居ビルでして、横川駅付近に多く見られたような高層のマンションはあまりおおくありません。その代わり、宮島街道筋やその北側の延長上にはアーケード状になった昔ながらの商店街も形成されていまして、周辺地域の最寄品を中心に扱う近隣商店街としての機能を果たし続けてきた地域であることを十分に窺わせました。

西広島

JR西広島駅前から西方の宅地化された丘陵地を望む
(西区己斐本町一丁目、2007.9.4撮影)
広電西広島(己斐)駅

広電西広島(己斐)駅構内
(西区己斐本町一丁目、2007.9.4撮影)
己斐

広電駅ビルと宮島街道を望む
(西区己斐本町一丁目、2007.9.4撮影)
己斐

広電駅南、宮島街道沿いの景観
(西区己斐本町一丁目、2007.9.4撮影)

 昔懐かしい中心商店街としての顔もある一方で、また市街地と郊外とをつなぐ交通の結節点としての中心性もまた、このエリアを存立させてきた主要なファクターのひとつですね。広島市西郊の宅地化は、郊外地域におけるゆったりとした居住空間を志向した宅地開発という形で主に進行し、それは丘陵地上に多くの大規模住宅団地を出現させました。こうした団地に居住する都心への通勤者によって、JR線や広島電鉄は日々のライフラインであり、自然、両線の接点である己斐の拠点性は維持されることとなったのでしょう。近年はJR駅・広電の駅ともに「西広島」の名前を冠することから、「西広島」やこれを略した「にしひろ」といった呼称が、新たに地域呼称として浸透しつつある状況を指摘するホームページも見られるようです。

 己斐を訪れたときは、既に夕刻となっていまして、平日の夕方の西広島駅は、買い物客や通勤・通学先から帰路に就こうとする多くの人々で溢れていました。広電の構内はそうした利用者のスムーズな移動に配慮し、大きな屋根の下に広大なホームと電光掲示板を擁した、利便性の高い構造になっています。入口も複数設けられ、またプリペイドカード等のカードリーダーも多数設置されていました。己斐・西広島エリアは、広島市街地をホームタウンとする多くの人々を日々温かく見守りながら、やさしく見つめるハートフルなエリアであるように感じられました。

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