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阪神間ドリームズ #1
〜阪神間地域を歩く〜

2006年11月、尼崎市から西宮市、そして芦屋市とめぐりました。大阪と神戸の間に展開する「阪神間地域」に注目したフィールドワーク第一弾を地域文としてリリースいたします。阪神間地域を見て、感じたことをそのままに記してまいります。

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ページ設置:2007年2月13日

城下町・尼崎

 11月24日、前日に京都から移動して(京都でのフィールドワーク結果は、拙稿「シリーズ京都を歩く」をご覧ください)訪れていた阪神尼崎駅前から、阪神間地域のフィールドワークをスタートさせました。駅前はルネセントラルタワーが近代的なシルエットを見せているほかは、中低層の建築物によって充填された大都市圏近郊の市街地の景観を呈していました。この1日は阪神間地域と呼ばれるこのエリアをできるだけ歩く予定でいました。某プロ野球球団のイメージが強い「阪神」という言葉は、文字通りそもそもは「大阪と神戸」を指す地域名称ですね。両市の間に展開する地域を指すことが一般的で、そのため「阪神間」と呼称されます。具体的には兵庫県内尼崎、西宮、芦屋、伊丹、川西、宝塚の各市を中心としたエリアのことであり、より広く捉えますと三田市、猪名川町のほか、大阪府下の豊中、箕面、池田の各市を含んだ地域ともなるようです。関東地方の一隅に居住する私にとって、この阪神間地域のイメージは、「四大工業地域のひとつである阪神工業地域」であり、臨海部における重化学工業の集積に代表される「工都」としてのものでありました。しかし、一方において近年脚光を浴びている「阪神間モダニズム」の舞台として、伝統を重んじながらも積極的に西洋文化を吸収してきた良好な郊外住宅地域としても側面も持ちます。

阪神尼崎

阪神尼崎駅付近の景観
(尼崎市御園町、2006.11.24撮影)
寺町

寺町の景観
(尼崎市開明町三丁目、2006.11.24撮影)
本興寺・大方丈

本興寺・大方丈
(尼崎市開明町三丁目、2006.11.24撮影)
寺町

寺町の景観・長遠寺南側付近
(尼崎市寺町、2006.11.24撮影)

 阪神尼崎から南西方向へ歩きますと、寺町の一角に出ます。築地塀が続く路地は静かな佇まいで、僧侶の集団ともすれ違いました。近代都市の中にあって独特の存在感を持つこの一角は、城下町・尼崎を今に伝える事物です。1618(元和4)年、前年に尼崎に転封されていた戸田氏鉄が尼崎城とその城下町を造営するにあたり、区画内にあった本興寺などの諸寺を移して形成されたのが寺町です。本興寺は寺町の中でも最大の伽藍を持ちます。国指定重要文化財となっている大方丈は、築城による移転後に現地にて建立されたものであるようで、建立以前の室町期における書院造の特質を残す貴重な建物です。唐破風の堂々たる門の向こうにある入母屋の方丈は、質素な中にも気品を兼ね備えているように感じられました。寺町周辺は歴史的な雰囲気を残そうと保存事業も積極的に実施されているようで、隣接する住宅地域の穏やかさそのままに、佇んでいました。寺町の南には、1921(大正10)年創業の本店建物(赤煉瓦の建物)を残す尼信記念館もあります。

尼信記念館

尼信記念館
(尼崎市東桜木町、2006.11.24撮影)
庄下川の景観

庄下川の景観(開明橋より)
(尼崎市開明町一/北城内、2006.11.24撮影)
城址公園

中央図書館を望む
(尼崎市北城内、2006.11.24撮影)
阪神電鉄旧発電所

城址公園越しに眺める阪神電鉄旧発電所
(尼崎市北城内、2006.11.24撮影)

 寺町を後にし、阪神高速沿いを東へ、工業地帯の雰囲気を間近に感じながら進みます。水の浄化の取り組みで知られる庄下川越しに望む市街地は、庶民的な穏やかさが印象的でした。川の東側はかつての尼崎城のあった一角です。中央図書館や城址公園は石垣の上に白壁を載せた城壁風の壁に囲まれていまして、ここが城跡であるということを演出していました。公園の北にルネセントラルタワーをバックにした赤煉瓦の建物がありました。これは阪神電鉄の旧発電所の建物です。1899(明治32)年に設立、1905(明治38)年に三宮〜大阪間を結ぶわが国初の広軌・高速電気鉄道を開業させた阪神電鉄は、阪神間における住宅地域化に大きな役割を果たしました。1908(明治41)に始められた一般への電力供給事業の中核をなしたのが、この旧発電所でありました。現在は発電所としての役割を追え、車庫の片隅に倉庫として残されているものなのだそうです。「工都」尼崎に残る城下町としての風情、阪神間モダニズムの時代を想起させる赤煉瓦の建物に、都市としての尼崎の凄みの一端を感じたような気がいたしました。



西宮、酒造地域へ

 阪神尼崎周辺散策の後は、大物駅付近から北へ、旧西国街道の雰囲気を残す町場を抜けてJR尼崎駅に入り、「近松通り」の商店街を歩きながら、近松門左衛門の墓がある広済寺へと進みました。付近は近松公園として整備されていまして、人々が囲碁や将棋に興じていました。森永の工場から漂う甘い香りを感じながら塚口駅へと向かい、尼崎にて乗り換えてJR西ノ宮駅(2007年3月には「ノ」を省いた「西宮駅」に改称される運びなのだそうです)に至りました。駅舎自体はシンプルなつくりであるものの、駅前には美しい花壇をとりまくロータリーの周りにはフレンデ西宮をはじめとした多くの商業集積がありました。西宮あたりまできますと、1995年の阪神淡路大震災の被害がかなり大きいものであったと思われます。地震の被害は物的なものに限定されるわけではないので一概に決めることはできないものの、都市景観上は震災の爪あとはほとんど感じさせない輝かしさを駅前から続く路上を歩きながら感じることができました。青々とした樹勢の良い楠たちが取り巻く市役所の前を通り、2003年3月に阪神百貨店を核施設として開業した複合商業施設「エビスタ西宮」を併設した阪神西宮駅前へ進みます。札場筋と呼ばれる通りを南へ行き、阪神高速が頭上を疾走する国道43号線を西しますと、「えべっさん」の名前で知られる西宮神社へと至ります。

 先に通過してきた「札場筋」の名称は江戸期にこの通り沿いに重要な事項を町人たちに伝達する掲示板のような役割を持った高札場があったことに由来しており、その跡は国道43号線から一筋北へ入ったところにある交番のあるあたりだったそうです。交番のある交差点を西へ進みますと、西宮神社の有名な「赤門」の門前となります。現在でこそ幹線たる国道43号線によって目立たない存在となっているものの、札場があり、赤門の門前に通ずるこの路地がかつての西国浜街道の道筋であったそうで、赤門の前に至った後、街道は神社の南を西へ進んでいったのだそうです。赤門は正式には「表大門」と呼び、1604(慶長9)年に豊臣秀頼が寄進したものと伝えられているようです。赤門の南には町人によって建てられた常夜燈型の道標も建てられていまして、メインの街道筋であったことを伝えています。さらに、神社の南にはおよそ250メートルの長さを持つという長大な築地塀があります。「西宮神社大練塀」として知られるこの築地塀は名古屋・熱田神宮の信長塀、京都・蓮華王院(三十三間堂)の太閤塀とともに日本三練塀に数えられるのだそうです。表大門・大練塀はともに国の重要文化財です。この地域における自然林的な要素を持った貴重な樹林帯として県の天然記念物に指定される穏やかな社叢の下、西宮神社は穏やかな佇まいを見せていました。西宮神社は、福の神「えびす様」の総本山として、また近年では全国的に話題となる福男選びの行事などが行われる「十日えびす祭り」の舞台として有名ですね。創建ははっきりしないものの、室町期には漁業の神・商売の神として庶民に信仰が厚い神社となっていました。西宮神社はまた傀儡師による人形操りや謡曲、狂言などの芸能を広く全国に広めて、その信仰は広がっていきました。大阪文楽や淡路島の人形浄瑠璃もこの流れによって派生したものであるのだそうです。クスノキやアベマキなどの豊かな緑の木々のむこうには、市街地の中高層の建物の形もはみ出して見えています。現代都市の中にあっても、西宮神社の穏やかさは凛としたものを感じさせます。

JR西ノ宮駅

JR西ノ宮駅南口
(西宮市池田町、2006.11.24撮影)
JR西ノ宮駅前

JR西ノ宮駅前の景観
(西宮市池田町、2006.11.24撮影)
西宮神社赤門

西宮神社表大門(赤門)
(西宮市社家町、2006.11.24撮影)
西宮神社

西宮神社・大練塀を俯瞰
(西宮市社家町、2006.11.24撮影)

 阪神高速の下を通過する横断歩道の上から眺めた海側の風景は、中高層住宅や製造業や物流関連と思われる建造物群が目立つ、現代の産業地域としての景観以上のものは感じられませんでした。しかしながら、歩道橋を降りてすぐに、その感想は的外れであることに気づかされました。近代的な工場のような外観のものに混じって昔ながらの風合いが美しい板壁の蔵が残されていまして、ここが酒造地域である「灘五郷」の1つ、「西宮郷」であることが実感されました。以前訪れた神戸市内の魚崎郷や御影郷、西郷に見られたとおり、ここ西宮郷でも阪神淡路大震災の影響は少なくなくて、酒造地域としての地域性を濃厚に感じさせた蔵などの建造物の多くが被災しています。そのような状況下にあっても酒造地域らしさを残しながら、地域は酒造りの本場としての脈動を続けていました。

 六甲山地より北の地域の棚田で生産される上質な酒米「山田錦」と、六甲山地に降った水が花崗岩で濾過され程よい塩分を含んだ「宮水」と呼ばれる水脈、酒造りに好適な気象条件をもたらす「六甲おろし」と、有能な酒の技術者である「丹波杜氏」の要素が融合して、この地域に酒造業が発達しました。周辺は都市化や震災などの影響もあって、産業地域としての色彩の強い中にあってもマンションや住宅地域などが目立つ地域となっているようです。地域は時代の趨勢に併せて変化していきます。そんな変化の只中にあっても揺ぎない、変わらない地域の姿。西宮の酒造りも、そうした地域の歴史の胎動に裏打ちされた文化であると実感しました。地域内には「宮水発祥の地」と記された石碑が建てられています。江戸期、酒造りの政策の変化により酒の量産化を迫られた西宮郷の危機を救ったものの1つが、宮水の発見であったといいます。酒造りの命運を握り続けてきた宮水への感謝と、酒造りに賭ける地域の力強さとがにじみ出ているようにも感じられました。

西宮神社

西宮神社社殿
(西宮市社家町、2006.11.24撮影)
酒蔵

板塀の酒蔵が見える景観
(西宮市浜町付近、2006.11.24撮影)
白鹿記念酒造博物館

白鹿記念酒造博物館
(西宮市鞍掛町、2006.11.24撮影)
宮水発祥の地の碑

宮水発祥の地の碑
(西宮市久保町、2006.11.24撮影)

 ここまでの散策で既に夕刻迫る時間となり、阪神西宮駅から引き続き行う予定でいた芦屋におけるフィールドワークは、本格的な実施を次回以降とし、概観的に散策するにとどめることにしました。高級住宅地域として知られる芦屋は、穏やかな自然景観と、洗練された都市景観とがあいまった、いわば「阪神間モダニズム」の残像を最も濃厚に宿した地域であるともいえるのかもしれません。この夢のお話の続きは、次回フィールドワーク終了以降とさせていただければと思います。

芦屋川の景観

芦屋川の景観
(芦屋市公光町、2006.11.24撮影)
芦屋警察署前

阪神芦屋駅周辺の景観
(芦屋市公光町、2006.11.24撮影)

<お断わり>
 取材に使用したデジタルカメラが現地にて突如調子が悪くなってしまい、一部写真の画像がやや不鮮明となっています。ご了承願います。


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