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スペイン周遊、鮮烈と鷹揚の大地

 2020年1月、はじめての海外訪問先としてスペインを訪れました。有史以来の歴史に裏打ちされた町並みや美術作品などに触れて、この国の魅力の一端を感じることができました。
 ※写真の日付は現地でのものです。

訪問者カウンタ
ページ設置:2021年12月31日

バルセロナ、サグラダファミリアに出会う

 2020年1月11日午後0時20分定刻で出発した成田発マドリード行きのイベリア航空6800便にて、人生初めて日本国境を越えて異国へと出発しました。最初の訪問地はバルセロナ。直行便は無く、マドリードに到着後国内線でバルセロナへと向かう形となります。到着予定時刻は現地時間で午後6時30分。時差も加味するとおよそ14時間のフライトです。マドリードのバラハス国際空港からバルセロナへ。午後9時を回った空港は既に人も少なく、この日はホテルに直行となりました。両空港ともに現代的な意匠のゆったりとした空間が印象的でした。

バラハス国際空港

バラハス国際空港の景観
(2020.1.11撮影)
ホテル前

ホテル前、まだ薄暗い
(2020.1.12撮影)
トラムが走る

トラムが走る
(2020.1.12撮影)
グエル公園からの眺望

グエル公園からの眺望
(2020.1.12撮影)
グエル公園

グエル公園
(2020.1.12撮影)
グエル公園

グエル公園、トカゲの造形
(2020.1.12撮影)

 翌12日現地時間8時に、ホテルをバスで出発します。これから17日にかけての全日程はすべてバスでの移動となります。バスはフリーWi-Fiが完備されていたので、スマートフォンの地図アプリを時々確認しながら、車外の風景を眺めていました。スペインと日本との時差はマイナス8時間ですが、実際の経度は協定世界時を採るイギリスと同程度であるため、私たちが感じる午前8時の感覚よりもかなり薄暗い空の下での一日の始まりでした。宿泊したホテルはバルセロナ旧市街の西郊にあり、旧市街を囲むように郊外に広がる碁盤目上の新市街地に立地していました。バルセロナでの周遊は、この町を世界的に有名にしている世界遺産・サグラダファミリアをはじめとする、アントニ・ガウディの作品群を巡る内容でした。旧市街に向かって緩やかに下る町並みを車内から眺めていました。市街地にはトラムも走っていまして、ヨーロッパでは一般的な、公共交通の態様を実感します。

 ガウディの作品群のひとつであるグエル公園に到着する頃には朝日が射し込み始めていました。冬の地中海沿岸らしい、雲一つ無い快晴の空の下、ガウディとグエル伯爵が企図した、自然と芸術とが調和した分譲住宅地(開発当時は先進的過ぎ宅地としては完成されなかった)の雰囲気を濃厚に残す公園からは、バルセロナの市街地を一望できました。旧市街の歴史を感じさせるスカイラインの向こうには、朝靄に滲むような地中海の水平線を望むことができました。園内のガウディが残したモザイクによる作品群の鮮烈さも相まって、それらがこれから訪問することとなるこの国の大地の、どこまでも抜けるような明るさに満ちた風景を十分に予感させることとなったように思います。続いて移動したサグラダファミリアは、あまりに著名な概観の複雑かつ計算された端麗さもさることながら、内部のステンドグラスの豊かな色彩を纏った風景は、キリスト教世界がながらく標榜してきた物質的な美をしなやかに再現しているように感じられました。

サグラダファミリア

サグラダファミリア
(2020.1.12撮影)
サグラダファミリア

サグラダファミリア、ステンドグラスの光彩
(2020.1.12撮影)
サグラダファミリア

サグラダファミリアの内部
(2020.1.12撮影)
カサ・ミラ

カサ・ミラ
(2020.1.12撮影)
カサ・バトリョ

カサ・バトリョ
(2020.1.12撮影)
エスパーニャ広場とベニチアの塔

エスパーニャ広場とベネチアの塔
(2020.1.12撮影)

 ガウディの作品群としてサグラダファミリアと一体的に世界遺産指定を受けるカサ・ミラとカサ・バトリョのあるグラシア通りの風景を散策した後、かつての闘牛場を商業施設に改築したアレーナス・デ・バルセロナへ。屋上からは旧市街と新市街が一体となった現代のバルセロナの市街地を浮く津敷く眺望することができました。眼下にはエスパーニャ広場のロータリーがあって、カタルーニャ美術館へと続く通りの両側に立つ一対のベネチアの塔が目を引きました。この施設で昼食を摂った後は、この日の宿泊先であるバレンシアへと一路向かうこととなりました。バルセロナ訪問は、ガウディの残した作品群を巡るテーマとなっていたため、旧市街へ足を踏み入れることはありませんでしたが、グエル公園などから俯瞰したバルセロナの町の広がりは、現代的な活力に溢れていまして、スペイン国内にあって、ヨーロッパにとどまらず世界的な影響力を持つ都市としての一端を垣間見ることができました。


グラナダ、アルハンブラ宮殿にみるアラブ世界との邂逅

 バルセロナから既に陽の落ちたバレンシアについて落ち着いたのもつかの間、翌日の目的地であるグラナダへの長距離移動に備え、朝は5時30分の出発でした。ホテルは旧市街地からは離れた、高速道路の入口近くであったようで、ホテルの窓から見たバレンシアは、有数の港湾都市としての繁華を感じさせる町並みを持っているように感じました。未だ薄明のバレンシアを発って、広大なスペインの大地をただひたすらに、バスにて高速道路を走り抜けます。朝食は車中ですませながら、赤々とのぼる朝日の昇るのを眺めていました。

ラスファレラス水道橋

ラスファレラス水道橋を眺望
(2020.1.12撮影)
教会と集落

教会を中心とした集落の見える景観
(2020.1.12撮影)
バレンシア

バレンシアの夜景
(2020.1.12撮影)
シエラネバダ山脈

シエラネバダ山脈とアーモンド畑
(2020.1.13撮影)
アルハンブラ宮殿から見たグラナダの町並み

アルハンブラ宮殿から見たグラナダの町並み
(2020.1.13撮影)
アルハンブラ宮殿・コマレスの塔

アルハンブラ宮殿・コマレスの塔
(2020.1.13撮影)

 車窓からの風景は、かつて地理の授業で学習した地中海性気候の特徴がほぼそのまま現出しているかのようなものでした。地中海性気候は、夏は乾燥し高温となるものの、冬は比較的温暖で雨も多いというものです。滞在期間中雨が降ることはありませんでしたが、空はどこまでも透き通った輝きに満ちていました。なだらかな丘陵には一面にオリーブやブドウ、アーモンドなどが植えられている場所が多く、あまりに広い農園地帯に、収穫期における活気がどのようなものかを想像しました。そうした農地の間間に、石造りの建物が固まった町が点在しているのが見て取れまして、その中心に尖塔を持つ教会があるのが、ヨーロッパらしい風景として目に入りました。スペインではバスドライバーの定期的な休憩が義務づけられており、ドライブレコーダーの提出も必須であるとのことで、昼食など適宜休憩を挟みながら、南部アンダルシア州へと進んでいきます。

 屈託のない蒼穹に、時々垣間見える紺碧の地中海を一瞥しながら進みますと、進行方向左手、南側に頂に雪を纏った山脈が見えるようになりました。3000メートル級のピークを持つシエラネバダ山脈のその山容は、イベリア半島南端にあってアフリカ大陸にあるアトラス山脈と対をなすような存在です。フランス国境のピレネー山脈などとともに、アルプス・ヒマラヤ造山帯をなす山塊が徐々に近づいてきた頃、グラナダの町に到着しました。現地ガイドの方のお話によると、夏は気温が50度近くになることもあるとのことで、冬のこの日の気候から一変する真夏の灼熱に思いを馳せました。グラナダを象徴する世界遺産・アルハンブラ宮殿を見学します。

アルハンブラ宮殿

アルハンブラ宮殿の装飾
(2020.1.13撮影)
アルハンブラ宮殿・ライオンの中庭

アルハンブラ宮殿・ライオンの中庭
(2020.1.13撮影)
アルハンブラ宮殿

アルハンブラ宮殿の精緻な装飾
(2020.1.13撮影)
町を囲む城壁と町並み

町を囲む城壁と町並み(グラナダ)
(2020.1.13撮影)
グラナダ・カテドラル

グラナダ・カテドラル
(2020.1.13撮影)
グラナダの町並み

グラナダの町並み
(2020.1.13撮影)

 スペインを含むイベリア半島一帯は、7世紀にウマイヤ朝による侵略を受け、その後多くのアラブ系勢力が支配する時代が15世紀半ばまで続きました。13世紀以降、キリスト教勢力によるレコンキスタが進み、最後に陥落したイスラム勢力であるナスル朝が本拠を置いていたのがグラナダでした。町を見下ろす高台(サビカの丘)に広がるアルハンブラは、宮殿と呼ばれるもののそれは城柵内に王宮や城柵、都市を含んだ「城塞都市」の遺構です。チケット売り場のあるメインゲートから入り、美しい水と緑が織りなす庭園であるへネラリフェへ。そこから糸杉の小路を経てサンタ・マリア教会、カルロス5世宮殿へと進んで、いよいよ王宮の中へと進みます。丘陵上の宮殿からは、眼下にグラナダの町並みを随所で見下ろすことができます。チケットには王宮への時間厳守の入場時刻が記載されています。

 アルハンブラ宮殿のメインとなるナスル朝宮殿は3つの構造物によって構成されており、まずは西側のメスアール宮より入場します。中央のコマレス宮にあるアラヤネスの中庭では、巨大な水鏡にコマレスの塔が映り込む美しい光景を目にすることができます。東側のライオン宮におけるライオンの中庭とともに、この風致に満ちた宮殿を象徴する空間となっています。そうした王城そのもの以上に見る者を惹きつけるのは、天井や柱、柱頭や壁を覆う華麗かつ緻密な、多様な素材により整えられた、夥しい数の装飾です。木組やモルタル、タイルを駆使した装飾のきめ細やかさは、往時におけるアラブ文化の質の高さと、技巧の確かさを物語っています。長いアラブ勢力の支配は、そうした唯一無二の美を、このアンダルシアの一都市に極上の楽園を誕生させたのでした。アルハンブラ宮殿の散策を終え、ホテルに入った後、少しだけグラナダの町を歩きました。オレンジがたわわに実る街路樹が目を引く街角には夕刻、多くの人々が行き交っていまして、中世然とした町並みを彩っていました。そんな稠密な建物の中にあって一段と厳かな佇まいを見せるカテドラルは既に門塀が閉まっていましたが、ここが確かにキリスト教世界であることを物語っていました。


ミハスからセビリア、コルドバへ、アンダルシアの大地の風光

 アンダルシア州の中でも比較的内陸に位置するグラナダで一泊した翌日は、「白い村」と呼ばれる美しい集落景観を持つ海辺の「ミハス」を経由し、アンダルシア最大の都市で州都でもあるセビリアへと向かいました。車中から眺めるアンダルシアの風景は依然として茫漠とした雰囲気で、なめらかな地面は広大なオリーブの畑であったり、丘を削る谷に拠る林であったり、そして岩肌がむき出しな残丘でありました。そうした景色は、地中海性気候の特質をあますことなく表現し尽くしているように感じられ、そしてそうした乾燥帯に準じた気候が、この地に長くアラブ文化が根付いた要因のうちの重要な部分を占めているのではないかと思われたのでした。

ミハスの風景

ミハスの風景
(2020.1.14撮影)
ミハスより地中海を望む

ミハスより地中海を望む
(2020.1.14撮影)
ミハス

ミハスからジブラルタル方面を俯瞰
(2020.1.14撮影)
ミハス・闘牛場

ミハス・闘牛場
(2020.1.14撮影)
ミハスの風景

ミハスの風景
(2020.1.14撮影)
オリーブ畑

一面のオリーブ畑
(2020.1.14撮影)

 ミハスは、アンダルシア南部の「コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)」と呼ばれる沿岸エリアにおける、著名な観光地として知られます。地中海を望む傾斜地に、白を基調とした住宅が建ち並んでいて、温暖な当地らしい鮮やかな町並みが形成されています。観光バスが止まる中心部の「ビルヘンデラ ペーニャ広場」から、美しい白亜の住宅や商店が建ち並ぶ坂道を上り、サンセバスチャン教会から憲法広場、そしてイスラムの城柵の跡地に立てられた教区教会へ。ここまで来るとかなりの高台となり、眼下にミハスの家並み、そしてコスタ・デル・ソルの風景の先に朝日を浴びて輝く地中海が広がります。ミハスの坂と白い家と、見晴台から望む壮大なパノラマは冬の清浄な青空の下、どこまでも輝かしく、しなやかな風合いに彩られていました。

 ミハスでのひとときの後は、アンダルシアの大地を進む高速道路を辿りながら、セビリアへと向かいます。セビリアへは一度この地域の中心都市であるマラガ方面へと東進し、内陸を西へ入るルートを採ったようでした。ミハスはイベリア半島最南端をなぞるジブラルタルの近傍であり、ジブラルタルの先には一番狭い場所で約14キロメートルの距離でアフリカ大陸に対峙する形となります。ミハスからはジブラルタルへの視界は届きませんでしたが、イベリア半島の文化的背景に大きな影響を与えたアフリカ世界をかすかに感じさせる海原であったように思います。オリーブ畑が大きく広がる景観を堪能しながら、バスはセビリアの町へと進んでいきます。



セビリア・スペイン広場
(2020.1.14撮影)
セビリア・新市街

セビリア・新市街の風景
(2020.1.14撮影)
グアダルキビル川と黄金の塔

セビリア・グアダルキビル川と黄金の塔
(2020.1.14撮影)
カテドラル横の街路

セビリア・カトドラル横の街路
(2020.1.14撮影)
カテドラルとヒラルダの塔

セビリア・カテドラルとヒラルダの塔
(2020.1.14撮影)
カトドラルの中庭

セビリア・カテドラルの中庭
(2020.1.14撮影)

 イベリア半島はイスラム勢力の侵入により、その文化的影響を濃厚に受けてきたことはこれまでお話ししてきました。特にアフリカ大陸に近いアンダルシアはその傾向がさらに顕著で、都市の多くの建造物にその面影を見て取ることができます。地中海性気候の環境は乾燥するアラブ世界の地域との親和性もあって、イスラムの支配が長期にわたったことも相まって、こうしたイスラム文化とキリスト教世界との融合がごく自然に受け入れられ、受け継がれてきたと言えるのかもしれません。レコンキスタというとイスラム勢力に奪われた領国をキリスト教勢力が奪還するという構図で捉えられることが一般的だと思いますが、地域に暮す住民にとっては存外「領主が変わった」といった心象で受け取られる源證に過ぎず、双方の文化的な特質を柔軟に受け入れながら、今日までその歴史的資産を保存させてきたと言うことなのかもしれない、と感じます。

 バスは1929年に開催されたセビリア万博の会場として建設されたスペイン広場にまず立ち寄りました。半円形に弧を描く形のパビリオン施設はイスラム教とキリスト教の要素を融合させた、アンダルシアにおける典型的な建築様式である「ムデハル様式」によるもので、建物に接してスペイン国内の各州を象徴する絵とその周の地図とがタイルで表現されたモニュメントが並んでいました。グアダルキビル川に沿って広がるセビリアの市街地は、旧市街にトラムが走り、郊外には高層ビルも見えて、現代的な町並みへと接続していることが理解できます。マエストランサ闘牛場前から細い石畳の街路が続く旧市街地に入り、その狭い道路を進むトラムのレールをまたぎ、セビリア大聖堂(カテドラル)へ。かつてはイスラム教のモスクにおける尖塔(ミナレット)だったヒラルダの塔を一瞥しながら、聖堂内へ。オレンジの木がたくさん植えられた中庭を見学後、ヒラルダの塔を上り、セビリアの市街地を一望しました。聖堂内は荘厳な雰囲気で、薄暗い内部にステンドグラス越しに差し込む薄明かりがその張り詰めた世界観をより鮮烈なものにしていました。同聖堂は、クリストファー・コロンブスの墓があることでも知られます。

ヒラルダの塔からの眺望

ヒラルダの塔からセビリアの町を望む
(2020.1.14撮影)
カテドラルの内部景観

カテドラル(セビリア大聖堂)の内部景観
(2020.1.14撮影)
コロンブスの墓

コロンブスの墓
(2020.1.14撮影)
サンタクルス街

サンタクルス街
(2020.1.14撮影)
アルカサルの外壁

アルカサルの外壁
(2020.1.14撮影)
グアダルキビル川を渡り、コルドバへ入る

グアダルキビル川を渡り、コルドバへ入る
(2020.1.15撮影)

 入り組んだ街路に小ぢんまりとした中庭の見える町並みが美しいサンタクルス街(旧ユダヤ人街)を散策しながら、アルカサルの外壁に沿って進んで、コロンブスの記念碑のある場所へと歩いた頃には既に夕刻となっていました。この日は劇場でフラメンコを見学し、ホテルへと入りました。翌日はグアダルキビル川を遡上し、メスキータで知られるコルドバへ向かいました。天候は相変わらず晴天で、徐々に内陸に向かう車窓の風景も引き続きオリーブ畑が広がる光景が印象的で、この作物が地中海沿岸の気候にまさに適合しているということをこれでもかと実感させられます。セビリアから続く高速道路を下り、中心市街地へ入る手前、緑に穏やかに覆われたグアダルキビル川を渡ります。

 メスキータとは、スペイン語でモスクのことを指しますが、スペインではこのコルドバのモスクが現存する唯一ものであるため、ほぼ固有名詞のように使用される言葉であるようです。内部には円柱の森と呼ばれる、赤と白の縞模様が無数のアーチを描く礼拝の間があって、イスラム教寺院であった時代の面影を今に伝えます。メスキータは数度の拡張が行われて、キリスト教勢力の征服後はカトリック寺院(聖マリア大聖堂)への改修もなされて、有数の規模と独特な構造を持つ、唯一無二の建造物としての偉容を持つようになりました。モスクとしての特徴は、中庭(パティオ、ここでもオレンジの木がたくさん植栽されていました)やアミナール(尖塔)の存在によっても窺い知ることができます。

コルドバ・メスキータ近くの街路

コルドバ・メスキータ近くの街路
(2020.1.15撮影)
メスキータ内部の円柱の森

コルドバ・メスキータ内部の円柱の森
(2020.1.15撮影)
メスキータ・中庭

メスキータ・中庭
(2020.1.15撮影)
ユダヤ人街

ユダヤ人街からメスキータの塔を望む
(2020.1.15撮影)
橋の城門

コルドバ・橋の城門
(2020.1.15撮影)
ローマ橋

ローマ橋とコルドバの町並み
(2020.1.15撮影)

 メスキータの北側には、入り組んだ街路に面した家々から除く中庭(パティオ)の風景が美しい、ユダヤ人街が広がっています。家々の壁には色とりどりの草花が植わった鉢がくくりつけられていまして、狭い路地の向こうに時折見通すメスキータの尖塔のしなやかな姿とともに、この町独自の豊かな都市景観が形づくられていました。メスキータの西側の街路を南へ進み、大天使ラファエルの像の横を下っていきますと、城門の先に、穏やかなグアダルキビル川の流れを跨ぐローマ橋が見えてきます。2000年前のローマ時代につくられたという橋は、コルドバの町が長い長い歴史を紡いで今日まであることを今に伝えています。対岸には、ローマ橋と町を守護するため、イスラム統治時代につくられたというカラオーラの塔が屹立しています。塔のたもとから町並みを振り返りますと、ローマ橋の向こうに昔ながらの家並みがあって、その上にゆるやかな佇まいを見せるメスキータの結構が青空に向かい合って、実にのびやかな風景が広がっていました。

 コルドバ訪問後は、この旅程最後の訪問地となるマドリードへ向かうべく、茫漠な高原地帯を北へと進みました。アンダルシア州と北のカスティーリャ=ラ・マンチャ州の州境付近は本格的な山岳地帯の風貌を呈していまして、メセタと呼ばれるイベリア半島内陸における高原地帯へと移り変わりつつあることを予感させました。途中立ち寄ったラ・マンチャの風車のある丘の上は周囲よりも一段と標高の高い場所で、吹き抜ける風は冬の冷たさをそんぶんに含ませて、眼下の広大な高原地帯の風景をより寒々しいものにしていました。マドリードに近づくにつれて高速道路は車線を増して交通量が増え、都市の密度が急激に大きくなっていくのが手に取るように分かりました。その光景に、スペインの首都たるこの町の趨勢を自覚しました。


トレドとマドリードを歩く、古都の風韻と首都の喧噪

 前日マドリードに入り宿泊した翌日は、マドリードを朝出発し、西ゴート王国の首都として出発し、マドリードに王宮が移るまでは一時的な旧邸の所在地でもありました。イベリア半島最長の流路を持つタホ川が削る丘の上に展開する町並みは、中世以降、キリスト教、イスラム教、そしてユダヤ教の文化が交錯した歩みを如実に反映していまして、古都たる風情を至る所に感じさせています。タホ川の渓谷を挟み旧市街を臨む展望台からは、石造りの家々のスカイラインから覗くカテドラルとアルカサルの建物がとても壮麗に眺められました。

ラ・マンチャの風車

ラ・マンチャの風車
(2020.1.15撮影)
ラマンチャの風車から見下ろした風景

ラマンチャの風車から見下ろした風景
(2020.1.15撮影)
トレド

トレド遠景(タホ川越し)
(2020.1.16撮影)
トレド大聖堂とアルカサル

トレド大聖堂(左)とアルカサル(右)
(2020.1.16撮影)
トレド城壁とエスカレータ入口

トレド・城壁とエスカレータ入口
(2020.1.16撮影)
トレド大聖堂

トレド大聖堂
(2020.1.16撮影)

 町を俯瞰した後は、いよいよ旧市街地へと足を踏み入れます。北側のビサグラ新門付近でバスを降り、城壁に沿って設置されているエスカレータを使って急崖を登っていきます。細い路地にひしめく建物の間は坂道と石段の部分が多く、その風景は要塞としてのこの町の出自を色濃く感じさせています。サントドミンゴ・エル・アンティーグオ教会の簡素な建物の前を過ぎ、さらに石畳の街路に沿って歩を進めますと、カテドラル(トレド大聖堂)の前へと誘われます。ムデハル様式の粋を垣間見る聖堂のファサードは、凜然とした尖塔と、なめらかなカーブを描くドームとが混然となって調和し、冬のしっとりとした雲を抱く青空に映えていました。

 瀟洒な円柱と細やかな装飾、ステンドグラスの鮮烈な輝きと厳かな佇まいの礼拝堂は息をのむような清廉さに満ちているように感じられます。カテドラルを見学した後は、最初に通過してきた道を戻り、このトレドの地で後半生を過ごした画家・エルグレコの作品を所蔵するサント・トメ教会へ。エルグレコの最高傑作とされる「オルガス伯の埋葬」は、幾星霜の時を超えて存在し、画家が在世した時代の空気と息づかいとが感じられるような容貌を呈していました。

トレド大聖堂の内部景観

トレド大聖堂の内部景観
(2020.1.16撮影)
サント・トメ教会

サント・トメ教会
(2020.1.16撮影)
マドリード・アトーチャ駅

マドリード・アトーチャ駅前のロータリー
(2020.1.16撮影)
マドリード・アトーチャ通り

マドリード・アトーチャ通りの景観
(2020.1.16撮影)
マドリード・マヨール広場

マドリード・マヨール広場館
(2020.1.16撮影)
マドリード・アルムデーナ大聖堂

マドリード・アルムデーナ大聖堂
(2020.1.16撮影)

 トレド散策を終えて、大都会・マドリードへと向かいます。バルセロナの旧市街とそれを取り囲む新市街との対象とはやや趣を異にし、郊外から幹線道路が発達する巨大都市の態様は、徐々にその規模を増して、そのまま中世の町並みの中へと溶け込むような雰囲気を感じさせました。バスは多くの車両が行き交う大通りを進み、車窓からはたくさんの人々が闊歩する世界都市の今がはっきりと見て取ることができました。マドリードにおけるターミナル駅のアトーチャ駅前を通過し、マヨール広場へと続く通りでバスを下車、付近の飲食店で昼食後、市内散策へと進みました。フェリペ三世の騎馬像があるマヨール広場は広場へ続くアーチのある建物に囲まれていまして、元は市場の建つ広場として成長していた経緯を持ちます。

 アルムデーナ大聖堂と王宮の豪奢な建物、そしてオリエンテ広場へと散歩をした後は、バスで多くの有名な絵画を収蔵するプラド美術館へと向かいました。先に観賞したエルグレコの「オルガス伯の埋葬」とともに世界三大名画の一つにもされる、ベラスケスの「ラス・メニーナス」のほか、西洋芸術史で重要な位置を占める多くの名画を目にすることができます。プラド美術館の次は、ピカソの「ベルニカ」を展示する国立ソフィア王妃センターへも歩を進めることができました。

マドリード・王宮

マドリード・王宮
(2020.1.16撮影)
マドリード・オリエンテ広場

マドリード・オリエンテ広場
(2020.1.16撮影)
マドリード・プラド美術館

マドリード・プラド美術館
(2020.1.16撮影)
マドリード・アルカラ門

マドリード・アルカラ門
(2020.1.16撮影)
マドリード・コロンブス記念碑

マドリード・コロンブス記念碑
(2020.1.16撮影)
マドリード・太陽の門の広場

マドリード・太陽の門の広場
(2020.1.16撮影)

 美術館での絵画鑑賞の後は、ツアー本体はバスでホテルに戻りましたが、私は途中下車して、もう少しマドリードの町を散策してみることにしました。夕刻の町は非常に多くの人々でごったがえしていまして、歩道に設けられた屋外のテラス席にもたくさんの人々が食事と歓談を楽しんでいました。シベーレス広場からアルカラ門、発見の庭とコロンブスの記念碑、アルカラ通りを経てマドリード随一の繁華街である太陽の門広場(プエルタ・デル・ソル)へ。そしてマヨール広場へと戻って、タクシーを拾いホテルへと戻りました。穏やかな街灯と建物の電飾に彩られた広場はたくさんの輝きに満ちていまして、人々の活気を迎えていました。

 この日の宿泊でスペインでのすべての行程を終え、翌日の直行機で成田へと帰国しました。バラハス空港のロビーでは、ヨーロッパ各地のほか、中南米を中心に多くの都市との直行便が運行されていることが見て取れまして、この町の外交的な位置を窺い知ることもできました。初めて訪れた海外の大地、スペインの光景は、この上のない鮮烈と鷹揚に満ちあふれていまして、長い歴史に培われた多様な文化的背景の機微も相まって、この国の今を存分に感じ取ることはできたように思います。



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