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関東の諸都市・地域を歩く


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#56 湘南遥歩(後) 平塚漁港から茅ヶ崎へ 〜爽快な海岸散歩〜

 平塚駅前から旧東海道を東し、国道129号を南へ進み、平塚競輪場の前を過ぎて、穏やかな住宅地が広がる須賀地区へと至ります。須賀地区は、平塚市の南東部、相模川右岸に展開するエリアで、住所で言いますと千石河岸・札場町・高浜台・幸町・ 夕陽ケ丘の各地区にあたります。よく見ますと、相模川河口部の両岸にわずかに「須賀」の住所があり、もとは須賀地区一帯が「須賀」の住所であったものが住居表示によって「須賀」の名が次第に川沿いへと追いやられたようにも見えます。とはいえ、現在でも行政や地域コミュニティを中心にこの地域は「須賀地区」と呼ばれ、親しまれていることは確かなようです。

 須賀地区は相模川舟運の一大中心地として規模の大きい町場が形成されていたことは既にお話ししました。東海道筋の宿場町を形成した平塚宿・平塚新宿よりも多くの人口を擁していたとも言われているのだそうです。現在の家並みは低層の戸建ての住宅が卓越する、伸びやかな海岸近くの近隣という印象で、往時の賑やかなさは直接的には感じることは少ないものの、寺社が比較的多く立地していたり、漁協や昔ながらの商店などが立地していたりと、この地域が編んできた歴史の厚みを随所に感じさせる地域のように思われました。相模川にちょこっと口をあけたような平塚漁港(須賀港とも呼ばれる)は、相模湾岸の平塚新港の陰に隠れるように、規模の小さい漁港や手軽な釣り場・釣り船の拠点として存立しているようでした。
 


平塚漁港付近、湘南大橋を眺める
(平塚市須賀、2009.1.24撮影)
平塚漁港

平塚漁港
(平塚市須賀、2009.1.24撮影)


須賀地区、平塚漁港付近の景観
(平塚市千石河岸付近、2009.1.24撮影)
相模湾・伊豆大島

相模大橋より相模湾・伊豆大島を望む
(平塚市須賀、2009.1.24撮影)

 相模川に架かる湘南大橋を渡り、おおらかな雰囲気が爽快な相模川の河口からの相模湾を展望します。雲間からこぼれる白い日の光を受けた海面は光を受けた部分だけきらめいて、冬の海をあたたかく照らし出していました。沖にはうっすらながらも伊豆大島を遠望することもできました。

 湘南大橋は現在供用されているもので二代目であり、初代の橋が架けられたのは1936(昭和11)年のことでした。砂丘や松林が卓越していた相模湾岸のこの地域を開発するために神奈川県が藤沢市片瀬から大礒にかけてを貫通する道路を建設する事業の一環として建設された橋でした。この道路は現在では国道134号となって、温暖で現代的な観光エリアとして発達する地域を支えるとともに、湘南地域における東西交通の主要幹線道路の一つとして機能しています。

畑地

相模川左岸の畑地景観
(茅ヶ崎市柳島、2009.1.24撮影)
浜見平

浜見平団地の景観
(茅ヶ崎市浜見平、2009.1.24撮影)
南湖中央交差点

南湖中央交差点
(茅ヶ崎市南湖五丁目、2009.1.24撮影)
南醐地区の景観

南湖地区の景観
(茅ヶ崎市南湖四/六丁目、2009.1.24撮影)

 相模川沿いに広がる畑を眺めながら湘南大橋を下り、茅ヶ崎市域へと入っていきます。柳島交差点東で南東へ折れる国道を左に、直線的に東へ伸びる「鉄砲道(てっぽうみち)」を進んでみることにしました。「鉄砲道」の名の由来は、1728(享保13年)に、 享保の改革の一環で、幕府が現在の茅ヶ崎市柳島の相模川河口から、藤沢市片瀬までの海岸に「相州炮術調練場」を設置したことに因むものであるようです。茅ヶ崎市内には、この鉄砲道のほか、市の事業によって愛称が定められた道路が存在しているようです。鉄砲道の沿線は公団(現・UR都市機構)団地や戸建ての住宅が立ち並ぶ閑静な郊外といった印象です。

 「南湖中央」交差点から南へ、再び海岸線を目指します。南湖という特徴的な地名は「なんご」と読みます。由来について調べてみましたが、確証を得ることはできなかったものの、どうやら意味としては「南郷」の変化としたものととらえることができそうです。国道1号(このあたりでは旧東海道筋と重なります)の周辺から海岸まで広範に展開するこの「南湖」エリアは、明治期の地図を見ても旧東海道筋から現在の「南湖中央」交差点を中心としたあたりまで一定の戸数が集積する集落が形成されており、また「茅ヶ崎村」の内でした。茅ヶ崎のうち、東海道筋の本村から見て南の集落ということで「南郷」となり、それが「南湖」へと変わっていった、憶測の域を出ませんがそんなストーリーが考えられそうです。国道1号の「南湖入口」交差点から南へ、今歩いている「南湖中央」交差点を経て南下する道路は、前出の明治時代の地図にも相当する道路が描かれており、古くから存在するものであるようです。

茅ヶ崎漁港

茅ヶ崎漁港
(茅ヶ崎市南湖四丁目、2009.1.24撮影)
江の島方面

湘南海岸の景観(江の島方面を望む)
(茅ヶ崎市内、2009.1.24撮影)
茅ヶ崎駅(北口)

JR茅ヶ崎駅(北口)
(茅ヶ崎市元町、2009.1.24撮影)
茅ヶ崎一里塚

茅ヶ崎一里塚
(茅ヶ崎市元町、2009.1.24撮影)

 南湖地区を南へ、随所に松林が混じる閑静な住宅街を進みます。国道を超え、防風林の松林を抜けて茅ヶ崎漁港へ、そこから東に、相模湾沖に烏帽子岩を見ながら進みます。先には江の島が遠望できる砂浜は自転車歩行者専用道路(湘南海岸・砂浜のみち)として整備されていまして、潮風に吹かれながら穏やかなウォーキングやサイクリングを楽しむことができます。砂浜ではサーフィンを楽しむ人が多く訪れていまして、また遊歩道を行き過ぎる人や自転車もたくさんあって、手軽なレクリエーションの場としての湘南海岸の姿をまさに目の当たりにしました。サザンビーチモニュメント「サザンC」を確認し、駅南入口交差点から松が混交する住宅地の中を北へ進んで茅ヶ崎駅前へと至りました。ベッドタウンとして急成長した町の駅前は、ペデストリアンデッキが整備された近代的な商業中心として活気のある市街地が形成されていました。現代的な町並みの中にあって、旧東海道筋には一里塚が残されていまして、宿場間のいわゆる「間の宿」として存立した茅ヶ崎の歴史をも垣間見ることができました。


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