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横浜三塔、春空明澄
〜立春の港と町並みを歩く〜

 2017年2月4日、立春の晴れ渡る空の下、横浜を訪れました。開港場として近代化がいち早く進み、世界有数の港湾都市となった横浜の港と町並みは今日でも多くの人々を惹きつけています。横浜を象徴する建造物である「横浜三塔(神奈川県庁:キング、横浜税関:クイーン、開港記念会館:ジャック)」を訪ねながら、文明開化をリードした町のいまを探勝しました。

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ページ設置:2019年3月4日

関内から広がった町並みをゆく

 JR関内駅は横浜都心の中心に位置しています。駅舎は比較的簡素な高架駅ですが、付近には横浜市役所や横浜スタジアムなどがあり、中華街も至近に位置していることから、日時を問わず多くの利用者のある駅です。周知のとおり、駅名の「関内」は開港後の横浜に設けられた外国人居留地を含む町場を指しました。関内地区は堀は川に囲まれ、それらに架けられた橋には関門が建てられていたことから、関門の内側という意味でそう呼んだことが由来です。横浜が港湾都市として成長するにつれて市街地は関内地区の外側(関外)にまで広がり、また関内と関外とを分けた運河はその流路をなぞるように現在首都高速横羽線が通過していまして、神奈川県や横浜市の中枢管理機能も集積する、同市における最大の都心エリアを構成しています。高速道路を半地下として鉄路の北側、横浜公園から日本大通りへと続く軸との一体化が企図されたといわれる大通り公園を進みます。ビル群の間を快い空の青が埋めていまして、冷たい空気の下で花を咲かせていた黄色いデージーにぬくもりを届けていました。

大通り公園

大通り公園
(中区蓬莱町三丁目付近、2017.2.4撮影)
イセザキモール

イセザキモール
(中区伊勢佐木町一丁目、2017.2.4撮影)
馬車道

馬車道
(中区常盤町四丁目、2017.2.4撮影)
県立歴史博物館

県立歴史博物館
(中区南仲通五丁目、2017.2.4撮影)
東京藝術大学大学院キャンパス

馬車道、近代建築の残る町並み
(中区南仲通五丁目、2017.2.4撮影)
みなとみらい

みなとみらい地区を望む
(中区新港二丁目、2017.2.4撮影)

 伊勢佐木長者町駅付近からは、動き始めたばかりでまだ人通りも少ないイセザキモールを歩き、再びJR根岸線下を通って馬車道方面へと歩きました。関内への入口に設けられていた吉田橋関門跡の下は前述のとおり首都高が旧来の堀割の中を半地下状に進んでいまして、関内と関外の市街地を分断しないように配慮された形となっています。馬車道は街路樹とガス灯が設置された街路に沿って中高層のビル群が建ち並ぶ景観となっていまして、近代洋風建築も多く残されていることも特徴となっています。神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店)や東京藝術大学大学院映像研究科横浜キャンパス(旧富士銀行横浜支店)などが馬車道に面して往時の面影を見せています。

 本町四丁目交差点からはベイエリアが近くなって、頭上にさわやかな青空が広がるようになって、より開放的な雰囲気に包まれるようになります。JR桜木町駅方面から続く汽車道を辿りながら、多くの人々で溢れる赤レンガ倉庫へ。横浜ランドマークタワーやコスモワールドの観覧車(コスモロック21)などを中心としたみなとみらい地区の建造物群や港を跨ぐ横浜ベイブリッジも見通すことのできる、港町横浜を代表する景観を楽しむことができるエリアです。赤レンガ倉庫の南の岩壁からは、「横浜三塔」と呼ばれる3つの塔屋を持つ建物を同時に見通すことができる場所があります。立春の空からやわらかに降りる日の光をいっぱいに受けて空さながらにゆらめく構内の海面越しに、むかって左に神奈川県庁舎の荘厳なキングの塔、右側には瀟洒なアウトラインがしなやかな横浜税関のクイーンの塔が見え、その間のビル群から突き出す鉄塔の下に、ジャックの塔と呼ばれる開港記念会館の時計塔が顔を出していました。

赤レンガ倉庫とランドマークタワー

赤レンガ倉庫とランドマークタワー
(中区新港一丁目、2017.2.4撮影)
赤レンガパークから横浜三塔を望む

赤レンガパークから横浜三塔を望む
(中区新港一丁目、2017.2.4撮影)
赤レンガパークから象の鼻を望む

赤レンガパークから象の鼻を望む
(中区新港一丁目、2017.2.4撮影)
横浜税関(クイーンの塔)

横浜税関・クイーンの塔
(中区海岸通二丁目、2017.2.4撮影)
象の鼻と大さん橋、ベイブリッジを望む

象の鼻と大さん橋、ベイブリッジを望む
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)
象の鼻パーク

象の鼻パーク・旧転車台の保存エリア
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)


横浜三塔と港町の風景を訪ねる

 キング、クイーン、ジャックの愛称で市民に親しまれる横浜三塔は、これらの塔が横浜港に寄港する際船上から目印のように見えて、横浜港のシンボル的な存在であったという来歴を持ちます。トランプの札からの連想とも目されるその命名と、それぞれの塔の表情との対照も実に的確であるように感じられます。キングの塔を頂く神奈川県庁舎は1928(昭和3)年建築。当時流行した和洋折衷の建築様式(帝冠様式)の雰囲気を持つ重厚な佇まいが印象的です。横浜税関は1934(昭和9)年竣工。銅板の一文字葺きで整えられた緑色の屋根が印象的なドームは、そのニックネームのとおり、女性的なしなやかさに溢れています。開港記念会館は1917(大正6)年の完成と、3つの中では最も古い建造物で唯一関東大震災を経験しています。赤レンガの塔身と気品のある容貌は、震災や戦災を越えて市民を勇気づけ、復興の象徴ともなりました。

日本大通と神奈川県庁舎

日本大通と神奈川県庁舎
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)
象の鼻

山下臨港線プロムナードから望む象の鼻
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)
象の鼻防波堤

象の鼻防波堤
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)
象の鼻防波堤

象の鼻防波堤の先端から横浜税関を望む
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)
大さん橋

大さん橋の風景
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)
大さん橋からみなとみらい地区、富士山を望む

大さん橋からみなとみらい地区、富士山を望む
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)

 赤レンガ倉庫前の三塔眺望スポットから汽車道へ戻り、その延長上の廃線跡を整備した「山下臨港線プロムナード」を、クイーンの塔の間近に見ながら進みます。大さん橋と赤レンガ倉庫とに挟まれた一帯は横浜港発祥の地区です。大さん橋の西側から延びる防波堤は、ゆるやかに湾曲する形状から「象の鼻」の愛称で知られていまして、横浜港開港当時から存在する防波堤です。2009(平成21)年に、横浜港開港150年を記念して、この象の鼻波止場を明治期の形状に復元、横浜港の歴史と未来を象徴する空間である「象の鼻パーク」として整備が行われました。園内には明治時代に使用され、関東大震災後に瓦礫の下に埋もれていた転車台や軌道の遺構が保存・展示されているほか、復元された象の鼻防波堤も散策することができるようになっています。象の鼻パークからは、赤レンガ倉庫や大さん橋、ベイブリッジやキング、クイーンの塔といった横浜港を構成する近現代の建造物群を手に取るように鑑賞することができます。まさに、そこは横浜港の過去と現在、そして未来とを体感できる場所でした。

 象の鼻パークでの散策の次は、横浜港の中心にあって港の発展を支え、現在でも国際客船ターミナルとして機能する大さん橋へ。大さん橋の竣工は1894(明治27)年。港の起源である象の鼻波止場を抱え込むように延びる大さん橋の偉容は、国際港として急激に成長を遂げてきた横浜港の趨勢そのものを体現しているようです。港の美しいマリンブルーに囲まれ、ウッドデッキや芝生で覆われたさん橋の上からは、よりダイナミックに横浜港周辺の風景を望むことができます。この日は雲一つ無いクリアなシーイングにも恵まれまして、みなとみらいのビル群の間から雪で一面を覆われた富士山もくっきりと視認することができました。大さん橋からも、横浜三塔をいっぺんに見ることができる場所がありまして、その場所にはデッキ上にその旨のペインティングが施されています。赤レンガパークよりは高い視点で見ることができるので、ジャックの塔を含めより一体的な画角で三塔を捉えることが可能です。まだ高層建築物によって覆われていなかった時代の視点に一番近い眺めであると言えるのかもしれません。「くじらのせなか」の愛称を持つ大さん橋の屋上広場からの風景をしばらく堪能した後、くぐった山下臨港線プロムナード下には、1910(明治43)年頃の横浜港を描いた絵が掲げられていまして、往時を感じさせました。

ベイブリッジ

大さん橋からベイブリッジを望む
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)
大さん橋から横浜三塔を望む

大さん橋から横浜三塔を望む
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)
横浜三塔眺望ポイント

大さん橋、デッキ上の横浜三塔眺望ポイントの目印
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)


大さん橋入口付近で見かけた明治期の絵画
(中区海岸通一丁目、2017.2.4撮影)
山下公園とマリンタワー

山下公園とマリンタワー
(中区山下町、2017.2.4撮影)


マリンタワーから本牧ふ頭、浦賀水道方面を望む
(中区山下町、2017.2.4撮影)

 大さん橋からは開港広場前を経て山下公園へと歩を進めました。関東大震災後の復興事業により完成した山下公園は、横浜港における散策スポットとして、近傍に位置する横浜中華街とともに、異国情緒に彩られる横浜らしい、変わらぬ風景を訪れる人々に提供しています。係留される氷川丸は1930(昭和5)年竣工の貨客船で、現在は博物館として一般公開されています。また、同船は2016(平成28)年に國の重要文化財指定を受けています。公園に隣接するマリンタワー階上からは、現代の横浜の風景をよりドラスティックに俯瞰することができます。足許の山下公園に隣接して山下埠頭があり、ベイブリッジの南側には複数のガントリークレーンが立ち並んで、我が国有数の港湾として現在進行形で機能する横浜の今を間近にすれば、そこから目を転じていくとノスタルジックな風景が今に残る山手の町並みが目に入り、さらに山下公園を経て大さん橋、象の鼻パーク、赤レンガパークへと風景が連接していきます。

 その都市的な建築物群の先は京浜工業地域へと続く臨海部の風景がつながっていき、都心方向への視界が開けます。この日は東京スカイツリーもしっかりと確認することができました。さらに内陸部の景色は首都圏のベッドタウンとして宅地化が進んだ町並みが展開して、大山や丹沢の山塊の向こうに白妙の富士が穏やかな佇まいを見せていました。それらのすべて、横浜とその周辺のパノラマは、立春の清浄な晴天の下にこの上ないきらめきの下に輝いていまして、この町が歩んできた近代から現代へと受け継がれた至宝そのものであるように思われました。特に、南側の風景、三浦半島と房総半島とが接近する海域と、クレーンや丘陵とが重なる展望は、この町が近代都市への歩みを始めた開港の歴史と重なるように目に映りました。

山手方面を望む

マリンタワーから山手方面を望む
(中区山下町、2017.2.4撮影)
山下埠頭を望む

マリンタワーから山下埠頭を望む
(中区山下町、2017.2.4撮影)
象の鼻、赤レンガ、MM方面

マリンタワーから象の鼻、赤レンガ倉庫、MM地区を望む
(中区山下町、2017.2.4撮影)
丹沢、富士山を望む

マリンタワーから丹沢・富士山を望む
(中区山下町、2017.2.4撮影)
キングとクイーン

神奈川県庁舎(キングの塔)と横浜税関(右端)
(中区日本大通、2017.2.4撮影)
キングとジャック

神奈川県庁舎(キングの塔)と開港記念会館(左端)
(中区日本大通、2017.2.4撮影)
開港記念会館(ジャックの塔)

開港記念会館・ジャックの塔
(中区本町一丁目、2017.2.4撮影)
日本大通と横浜公園を望む

日本大通から横浜公園を望む
(中区日本大通、2017.2.4撮影)

 マリンタワーからの眺望を確認した後は、日本の道100選にも採られている山下公園通りを辿って日本大通へと進みました。日本大通は、1866(慶応2)年に発生した豚屋火事が契機となり締結された約書に規定された火災延焼防止のための街路です。横浜公園から海岸までを貫通する道路として計画され、1872(明治4)年に明治政府により着工、歩道と植樹帯を持つ近代的な街路として完成をみました。港側の入口には、旧英国総領事館である横浜開港資料館旧館の向かいに、神奈川県庁舎が立地する配置となっています。この日本大通をはさみ神奈川県庁舎を目の前にする場所が、横浜三塔を一望できる最後のスポットです。歩道に埋め込まれたレリーフの上に立ちますと、県庁舎の右側にクイーンの塔を、左側にジャックの塔が視界に入り、目の前のキングの塔とのコラボを目にすることができます。横浜三塔を同時に観察することのできる場所は赤レンガパーク、大さん橋、そして神奈川県庁前日本大通のこの三カ所のみであるとされています。この3カ所をめぐると願いが叶うという「都市伝説」も吹聴されているようで、この日も少なくない訪問客が、このスポットを巡廻していたようでした。

 県庁舎前からは、ジャックの塔を擁する開港記念会館前へと向かって、そのレンガと花崗岩とが織りなす美しいファサードを見学し、日本大通とともに一体的に計画された横浜公園を経て関内駅へと戻って、この日の横浜散策を終えました。拙稿「Another phases of "YOKOHAMA"」で記述した2004年の訪問以来、約13年ぶりの再訪となった横浜の町は、みなとみらいから赤レンガパーク、象の鼻パーク、そして山下公園へと続くウォーターフロントが一体的なプロムナードで連結して、より魅力的なまちへと変貌を遂げていました。その姿を跡づけたこの日の訪問によって、藩政期の開港から現在にかけての歴史を感じさせながら、未来へと飛翔する横浜を存分に感じることができました。


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