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南部梅林、芳香光風
〜 2007年、和歌山訪問記 〜

2007年2月、日本一の梅の産地、和歌山県の中でも有数の規模を誇る、南部(みなべ)梅林の梅を見に行ってきました。
穏やかな早春の空と風の下、丘陵にたおやかに展開する梅園の風景に酔いました。


※この地域文は「2部構成」です。

南部梅林、芳香光風     和歌山ノスタルジー


II. 和歌山ノスタルジー

和歌山市街地を歩く

 南部梅林を後にした私は、御坊市街地の散策を経て和歌山市に入り、市内のホテルに投宿しました。夕刻に降り始めた雨は穏やかに大地を潤して、春の夜風になめらかな旋律のような雨音を重ねていました。春の雨は大地を目覚めさせるうるおいの慈雨。そのあたたかさは万物を陽春の輝かしさの只中へと導いて、よろこびの季節、萌え出ずる時へと昇華していきます。窓をたたく雨のやわらかな音に、そんな季節の変化を感じました。和歌山の町は、そんな春ののびやかなたたずまいに、どこか似ているような場所である。和歌山におけるフィールドワークを終えた際の素直な感想です。

和歌山市駅

南海和歌山市駅
(和歌山市杉ノ馬場一丁目、2007.2.18撮影)
和歌山駅前交差点

けやき大通り
(和歌山市美園町五丁目、2007.2.18撮影)

 南海和歌山市駅前の宿を出発、帰路は新幹線の利用を予定していたため、同駅前からJR和歌山駅前まで頻発するバスを利用しJR和歌山駅へ。コインロッカーに荷物を預け、和歌山フィールドワークへと出発しました。和歌山は、藩政期に御三家、紀州徳川家の一大城下町として栄えました。現在でも市街地の中央、紀ノ川のつくる低地の真ん中に小高い丘があり、丘の上の和歌山城が町を穏やかに見下ろしています。デパートや飲食店などが立ち並ぶJR和歌山駅は、同じく商業集積地となっている市街地西側の南海和歌山市駅とともに、和歌山市街地における二大ターミナルです。この2つの駅をJR紀勢本線が接続してその中間に紀和駅があります。この紀和駅がそもそも「和歌山駅」の名前を称し、和歌山市街地のメインターミナルであった歴史は、地元の方や鉄道関連に造詣の深い方を除けば、案外知られていないのかもしれません。
 
 現在のJR阪和線にあたる線路が大阪・天王寺から、元来「東和歌山駅」と呼ばれていた現在の和歌山駅に接続したことに伴って、駅のターミナルの地位が移り変わって、その流れに呼応してまず和歌山駅が紀和駅に名称変更し、その後東和歌山駅が和歌山駅と名前を変えて、名実ともにJRにおける和歌山の代表駅となったわけですね。和歌山駅前から西へ延びる大通りは「けやき大通り」。1923(大正12)年、現在の公園前交差点から和歌山駅前までの区間が県道認可され、以来和歌山市街地随一のシンボルロードとして親しまれてきました。1930(昭和5)年から1971(昭和46)年までは市電もこの通りを走っていました。現在では歩行者道路が多くとられた街路となって、ケヤキの美しい道路となっています。

葛城山系

和歌山城より北方向を俯瞰
(和歌山市一番丁、2007.2.18撮影)
紀ノ川河口方面

和歌山城より紀ノ川河口方向を俯瞰
(和歌山市一番丁、2007.2.18撮影)
本町通り

本町通りの景観(旧丸正百貨店前)
(和歌山市本町二丁目、2007.2.18撮影)
京橋プロムナード

本町通り、市堀川に架かる京橋の景観
(和歌山市本町一丁目/十二番丁、2007.2.18撮影)

 和歌山市街地は、中心部を広幅員の道路が縦横に走っていて、空が広い、たいへんのびやかな印象です。高層建築物も相対的に少ないようで、和歌山県におけるプライメイト・シティとして高い人口集積を持つ都市としては、市街地の集約性が相対的に小さいように感じられました。しかし、それは市街地の規模が小さいというわけではまったく無くて、県域中心都市としての先述したターミナル駅周辺や、商業中心としての本町通り付近は中高層の建物が多く集まっておりまして、紀州徳川家時代から続く都市基盤の奥行きの深さを感じさせました。

 和歌山城は廃城後和歌山公園となり、城郭や付属する一部の門などが国宝建築として指定を受けていました。1945(昭和20)年7月の空襲で消失後、1958(昭和33)年に再建されたものであるといいます。まず、北側に目を向けますと、母なる大河「紀ノ川」の悠然たる流れが堂々たる姿を見せています。河口付近右岸には重化学工業の工場群が立ち並び、高度経済成長期における工業地域の急成長時代の趨勢を垣間見せています。その北側には雲を纏った葛城山系とふもとの住宅地域が展開し、紀ノ川を挟んで、和歌山市街地が大きく展開してまいります。和歌山城の天守から望む和歌山の市街地は、壮観というよりは、雄大という言葉がしっくりくるような雰囲気です。都市の中心性をシンボライズするような際立った事物にはやや乏しいかもしれません。しかし、それを埋めて余りあるほどの市街地の広がりと、にじみ出る風格を十分に感じさせる風景でした。

和歌浦へ向かって

 和歌山における中心業務地区と目される和歌山市役所から本町通にかけての一帯や、藩政期からの伝統を持つ中心商店街「ぶらくり丁」などを一瞥し、南海和歌山市駅前に戻りました。ここからはバスに乗車し、和歌山市街地南に接する風光の地、和歌浦へと向かいます。和歌山市駅前からは和歌浦方面のバスが少なからず設定されています。これは先に紹介した和歌山市内電車(南海和歌山軌道線)の海南方面へ続いた路線を継承したものであるようで、ルートやバス停名も市内電車時代の電停名をそのまま受け継いでいるものがほとんどのようです。バスは和歌山市駅を出て一旦東し、本町四丁目の交差点を南下して中心業務地区の本町通りへ入ります。公園前交差点を西へ折れて市役所の前を通過、西汀丁を南へ曲がり、和歌浦方面へと進んでいきます。車窓から観察した市街地は一定の集積性を保持しつつもやはりのびやかな表情をしていまして、それは市電も通過したほどの広い道幅の道路の存在はあるいは大きいのかもしれないなとも感じましたね。

 「中央通り」と通称されるバス通りは、やがて住商混在の落ち着いた都市近郊地域へとその周辺風景を遷移させながら、ゆったりと南へ進んでいきます。市街地へストレートに入る主要道路であることから自動車の交通量もかなりのものです。和歌浦口で大通りを別れを告げますと、和歌浦の穏やかな雰囲気が濃厚な一帯へとバスは入っていきます。バスの終点、新和歌浦バス停は周辺の慎ましやかな光景とは不釣合いなほど広い道幅になっていまして、この地点まで路面電車が達していたことを示しています。新和歌浦バス停より西側には新和歌浦や雑賀崎などの景勝地が展開します。このフィールドワークでは時間が取れないため、御手洗池公園や和歌浦天満宮、東照宮などをめぐりながら、和歌浦の景観を堪能しました。天満宮、東照宮ともに長井石段を上った先に本殿が立地しておりまして、和歌浦方面の眺望にたいへん優れています。このことは、穏やかな水面を呈する和歌浦の象徴性とシンクロされたものであるのではないかとも思われました。

ぶらくり丁

ぶらくり丁商店街
(和歌山市米屋町付近、2007.2.18撮影)
和歌浦

天満宮から御手洗池(手前)、和歌浦を望む
(和歌山市和歌浦西二丁目、2007.2.18撮影)
不老橋

不老橋
(和歌山市和歌浦中三丁目、2007.2.18撮影)
片男波

片男波海水浴場
(和歌山市和歌浦南三丁目、2007.2.18撮影)

 東照宮の石段を降りて、御手洗池を過ぎ、アーチ型の石橋「不老橋」まで続くたおやかな水路景観を歩きながら、和歌川の河口がつくる水面に沿って整備された遊歩道を進み、古来からの歌枕、片男波へと歩みました。和歌川河口に砂州として伸びる片男波の海岸線は、早春の静まり返った海岸線はたいへんに穏やかで、やがて訪れる滾る季節の賑わいを髣髴とさせる風景でもあるように思われました。古来より受け継がれてきたたおやかな山並みと水平線の姿はそのままに、和歌山マリーナシティなどの現代的な景観も加わって、行楽の地としての地域性が息づいているように感じられました。砂州の部分もまた、都市公園・和歌公園として整えられています。

 片男波を後にして和歌浦に面した道路を戻り、不老橋の前を通り、河口に浮かぶ観海閣の景観を楽しみながら、和歌浦口へ。流していたタクシーに乗車し、国道を東へ向かいます。和歌山での最後の訪問予定地、紀三井寺へ向かうためです。国道沿線は、このエリアが和歌山市中心部へ近接する交通至便な特性を持つことを反映してか、多くのロードサイド型の店舗の集積が認められました。郊外的な都市機能が集まるエリアに接しながらも、紀三井寺の門前は比較的落ち着いた佇まいで、古くから多くの参詣者を集めてきた歴史性を感じさせます。朱塗りの楼門(訪問時は工事中でした)をくぐりますと、参道は231段の急な石段となります。この坂は「結縁坂(けちえんざか)」と呼ばれ、紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなったとする逸話が有名です。また、関西における早咲きの桜の名所としてのたいへん著名です。紀三井寺(正式には金剛宝寺護国院と呼びます)の名は、参道の脇に3つの湧き水(吉祥水、清浄水、楊柳水)があることから「三井寺」となり、近江の三井寺と区別するために紀州の三井寺という意味で「紀三井寺」となったとするのが定説であるようです。これら紀三井寺三井水は、1985(昭和60)年、当時の環境庁が発表した「名水百選」に選定されているのだそうです。

結縁坂

紀三井寺参道“結縁坂”
(和歌山市紀三井寺、2007.2.18撮影)
紀三井寺

紀三井寺
(和歌山市紀三井寺、2007.2.18撮影)
和歌浦

紀三井寺から和歌浦を望む(南西方向)
(和歌山市紀三井寺、2007.2.18撮影)
和歌浦

紀三井寺から和歌浦を望む(西方向)
(和歌山市紀三井寺、2007.2.18撮影)

 紀三井寺の境内からも、穏やかに和歌浦を眺望することができます。早春の和歌浦は、鈍色に沈む空の下、温かみを感じさせる瑠璃色を湛えていました。紀伊半島南部へとつらなっていく深き山並みと、和歌山市街地との間に横たわる雑賀崎方面の高まりとの間にあって、和歌浦はさながらそれらを借景とした庭園のようでもあります。天候がよければ、遥か淡路島や四国を遠望できるといいます。

 片男波のあたりから、紀三井寺のある名草山の山並みは和歌浦越しにたおやかに見通すことができます。紀三井寺周辺は都市機能としては前述のとおり、中核都市・和歌山における郊外的な商業集積地区、あるいは市街地外縁部における交通結節点的なエリアです。国道はたいへん多い交通量です。そのような現代的な要素に充填された中にあっても、それらを喧騒ある事物と相対的に感じさせないおおらかさ、それが和歌山の魅力ではないかと思われました。



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