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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#60 光が丘とその周辺 〜練馬区北部の地域を歩く〜 (練馬区)

 2015年2月1日、数日前の降雪がまだわずかに残る東武東上線・東武練馬駅へ降り立ちました。この駅自体は練馬区の北端に接する板橋区徳丸地区に位置していますが、南口を出てほど無い位置にある旧川越街道下練馬宿に因んでこの名称が選定された経緯があります。練馬区は区域全体がかつての東京市に編入されたときにいったん板橋区の一部となりましたが、1947(昭和22)年に練馬区として分立し現在に至っています。先述の宿場町を基盤とする商店街を概観しながら南へ路地を入り進みますと田柄川(たがらがわ)緑道に至ります。

東武練馬駅前

東武練馬駅前の景観
(練馬区北町二丁目、2015.2.1撮影)
北町二丁目

北町商店街(旧川越街道下練馬宿)の景観
(練馬区北町二丁目、2015.2.1撮影)
田柄川緑道

田柄川緑道
(練馬区北町二丁目、2015.2.1撮影)
田柄地区の景観

田柄川緑道延長上の区道沿い
(練馬区田柄一丁目/二丁目、2015.2.1撮影)
秋の陽公園

秋の陽公園・長屋門風のエントランス景
(練馬区光が丘二丁目、2015.2.1撮影)
秋の陽公園

秋の陽公園
(練馬区光が丘二丁目、2015.2.1撮影)

 都内西郊の多くの河川と同じように、市街化の進展に伴い川は暗渠化され、現在は住宅街を縫うように進む緑道として整備されています。かつては水田や水車による製粉など、地域の日常生活と密接に結びついた自然の川であった緑道の上を進みます。緑道は北町中学校の敷地を取り囲むように西から南へ折れて国道254号を横断し、緩やかなカーブを描きながら西方へつながていきます。そのしなやかな曲線が、かつて武蔵野台地を刻んでいた小川の姿を今に伝えているようにも感じられます。街路樹が植えられていたり、色とりどりの花が育っていたりと、緑道は現代の市街地に変わらぬ潤いを与えているように目に映りました。道はやがて道路の中央分離帯となり、車道となって住宅街を貫いて、長屋門風のエントランスが特徴的な秋の陽公園へと導きました。秋の陽公園は、水辺や水田、雑木林を思わせる木立が整備された、都市化前の地域の原風景の再現をコンセプトに修景された公園です。周囲は学校や高層アパートが建ち並ぶ年のまさに只中なのですが、公園の中では田柄川沿いにかつて展開したであろう農村景観が現出していまして、雲ひとつ無い冬空の穏やかさそのままののびやかさを感じさせました。

 秋の陽公園を横断しさらに歩を進めます。アパート群を抜け、その大煙突が光が丘のシンボルとも目されてきた清掃工場(執筆時(2018年1月)現在解体建て替え中)の袂に至って、「ふたご橋」と呼ばれる跨道橋の下から階段を上って、都内でも最大級の都市公園である光が丘公園へ。芝生広場や数多くのスポーツ競技場を擁する広大な敷地は、快晴の青空からいっぱいの日の光を受けて、極上の輝きの中にありました。豊富な緑地が配される、都民の憩いの場としてももちろん、緊急時には広域避難場所としても機能するよう設計されています。この一帯は1940(昭和15)年に「東京大緑地計画」における整備地区と位置づけられたものの、戦時体制下で旧陸軍の「成増飛行場」の建設地となり、終戦後は跡地が米軍の住宅地「グラントハイツ」が建設されるという経緯を経ました。1973(昭和48)年に全面返還、都市計画公園と住宅地を基軸とする再開発が行われ、今日の光が丘地区が完成しました。黄葉の名所としても知られる銀杏並木のたおやかな散策路を歩きながら、田園地帯から飛行場、米軍接収の後生まれ変わった地域の歴史に思いをはせました。

都営光が丘アパート

都営光が丘アパートの景観
(練馬区光が丘二丁目、2015.2.1撮影)


光が丘公園・ふたご橋付近
(練馬区光が丘四丁目、2015.2.1撮影)
光が丘公園

光が丘公園・いちょう並木
(練馬区光が丘四丁目、2015.2.1撮影)
光が丘公園

光が丘公園・芝生広場
(練馬区光が丘四丁目、2015.2.1撮影)
笹目通り

笹目通り
(練馬区旭町一丁目、2015.2.1撮影)
宅地の間に点在する畑地

宅地の間に点在する畑地
(練馬区土支田一丁目、2015.2.1撮影)

 光が丘公園を後にして、公園の西側に広がる土支田(どしだ)地区へと移動しました。戸建ての住宅地が広がる中に畑地も点在しており、郊外住宅地域としての性格がより強まっていきます。地域を縦断する笹目通りを越えて、豊渓小学校周辺を経由しながら土支田通りを横断して進みますと、畑地に加えて雑木林が断片的に残された風景へとさらに移り変わって、秋の陽公園で概観したような、武蔵野の風景を思い起こさせるようになっていきます。土支田八幡宮の森や、稲荷山憩いの森の緑の中をそぞろ歩きながら、坂道を下りていきますと、白子川の流れへと行き着きます。白子川は荒川水系の河川で、埼玉県和光市域も目と鼻の先に迫る位置になります。桜が植えられた川沿いの道を歩き、上流方向へ、住宅地と、川が浸食した斜面に残された雑木林とが美しいコントラストを見せる近隣を散策します。

 清水山憩いの森のみずみずしい林を一瞥しながら、ゆるやかに住宅地を流下する白子川に寄り添い、武蔵野の風景と、大都市郊外の宅地の風景とが織りなす景観を確認しました。日だまりの梅の木は早くもたくさんの花をつけているものもあって、間近に迫った春を感じさせました。大泉町に入り、「あかまつ緑地」と名付けられたポケットパーク的なスペースには三日月型の池がありまして、曲流していた往時の白子川の流れをイメージしたものなのではないかとも想像しました。川が刻む低地は水田として利用され、斜面林を上がった台地上は畑地や集落が点在したかつての風景の断片を、その水辺の輝きの中に見たような気がしました。

土支田通り

土支田通り
(練馬区土支田二丁目、2015.2.1撮影)
稲荷山憩いの森

稲荷山憩いの森
(練馬区土支田四丁目、2015.2.1撮影)
土支田八幡宮

土支田八幡宮
(練馬区土支田四丁目、2015.2.1撮影)
白子川

白子川
(練馬区大泉町二丁目、2015.2.1撮影)
あかまつ緑地

あかまつ緑地の風景
(練馬区大泉町二丁目、2015.2.1撮影)
大泉ジャンクション付近

白子川比丘尼橋下流調整池
(練馬区大泉町四丁目、2015.2.1撮影)

 やがて、白子川は関越自動車道と東京外環自動車道との接点である大泉ジャンクションに到達しました。川は高速道の下を抜けて、さらに西へその流れを継続させて、練馬区西端の大泉井頭公園内の水源へと辿ることができます。付近のバス停からバスに乗車し、西武池袋線石神井公園駅へと向かい、練馬区北部の彷徨を終えました。武蔵野台地は地形的には西から東へと緩やかに傾斜する広大な扇状地で、随所に湧水があって、一部は中小の河川となって台地を潤してきました。江戸、東京が大都市圏を形成するに従い大きくその姿を変貌させた地域の今は、そうした歴史を随所に残した、静かな近郊の風景に収斂されていました。


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