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シリーズ・クローズアップ仙台

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#46 木町通を歩く 〜劇的な変化を遂げた道路〜
 

 都市計画道路「北四番丁大衡線」は、路線名が示すとおり、「北四番丁」と呼ばれる国道48号線・大学病院東から青葉区、泉区、大和町を経て大衡村の国道4号線まで至る南北の一大縦貫道路として計画されました。泉区内から青葉区桜ヶ丘までの区間は4車線から6車線の幅員を有する幹線道路となって完成しており、北山以南についても拡幅が進み、工事が順調に進んでいます。桜ヶ丘生協入口から輪王寺下までの区間について、現在大規模な工事が進められているところです。この区間は住宅団地や北山の緑地などによって覆われているため、橋梁やトンネルによって道路を貫通させる工法がとられています。梅田川の南では仮称「北山トンネル」の掘削工事が進んでいくようです。

 仙山線のガード下をくぐり、輪王寺の西を越えますと、道は下りとなって、北山へと抜けます。アパートや個人住宅などが並ぶ住宅地域ながらも輪王寺の門前としての穏やかさもまた残す北山の町並みも、都市計画道路の出現により変わっていくこととなるのでしょうか。都市計画道路の「北山トンネル」のうち、輪王寺参道を横切る部分については地表にきわめて近い位置を通過するため掘削工法が採用できず、一度土地を大きくくりぬいて構造物を建設後、埋め戻した上で参道を作り直すという施工方法がとられていました。輪王寺山門から本堂にかけての杉木立に覆われた静かな参道は今、見かけ上は姿を消して裸地となっています。既にトンネルはほぼ完成しているようで、2007年春には再植樹を行って、参道の復元を図るようです。傍らに設置された説明表示の「復元イメージ図」を見ますと、杉に豊かに覆われたかつての参道とは異なった雰囲気を感じさせるのが少々気がかりではあります。
木山へ

北山へ向かう道路
(青葉区山手町、2006.12.29撮影)
輪王寺付近

輪王寺西側あたり
(青葉区北山一/二丁目、2006.12.29撮影)
輪王寺参道

輪王寺参道(道路工事のため一時的にこのような姿に)
(青葉区八幡二丁目、2006.12.29撮影)
北山トンネル出口(上り線)付近

秀林寺前交差点、輪王寺方向
(青葉区北山一丁目、2006.12.29撮影)
 
 ※輪王寺参道の昔の写真のあるページです。上掲写真と比べてみてください。

 輪王寺下を東へ向かいますと、秀林寺前の交差点から南へ伸びる広復員の道路へと至ります。既に完成した都市計画道路です。この交差点から市道上杉山通木町通線(北仙台方向から東西に通る大通り)の交差点(以下、「木町交差点」と呼びます)までの区間は比較的早くから道幅が広げられていた区間です。北山トンネルは上り方向入口と下り方向入口を別にする構造で、市街地へ向かう(上り)トンネルの出口は秀林寺前交差点に直結し、反対に郊外方向へ向かう(下り)の入口は上りトンネル出口よりも南となります。この南側のトンネルも既に完成しているようで、木町交差点から北を見ますと、このトンネルの入口がはっきりと見て取れます。

 この木町交差点から南の道路が、ここ数年で景観が一変したエリアということになります。拙稿「仙台城下町の北辺を行く 〜奥州街道から北山へ〜」でも一部その内容をご紹介していました。現在はすっかり拡幅工事が終わっておりまして、道路も供用され、片側二車線の近代的な幹線道路となりました。この通りは覚範寺から南へ、ほぼ一直線に市街地を貫く古くからの通りであり、現在の立町付近にあたる本材木町(「木町」と俗称された)へ至る北側の部分は、木町へ至る通りということで「木町通」と呼ばれました。木町交差点の少し北、都市計画道路から斜めにそれて覚範寺下まで向かう部分が木町通のルートです(都市計画道路はまったく新しく割り出された道路でしょう)。「木町通」や「木町」などとして住居表示にも通りの名前が採用されています。上記の説明のとおり、元来の「木町」と住居表示の「木町」はまったく異なる別の場所であることは注意したい点です。木町交差点から南へ、私が学生時代に慣れ親しんだ姿とはまったく変わってしまった現代の木町通を歩いていきます。

木町交差点付近

木町交差点を北から望む
(青葉区木町、2006.12.29撮影)
北山トンネル

木町交差点から北山トンネル入口(下り線)を望む
(青葉区木町、2006.12.29撮影)
木町通

拡幅された木町通
(青葉区木町、2006.12.29撮影)
拡幅待ち区間

拡幅を待つ区間(大学病院東付近)
(青葉区星陵町、2006.12.29撮影)

 この木町交差点以南の木町通は、長らく道幅の狭い道路で、北七番丁(東北大学歯学部付属病院などのある一角の北を通過する通り)までの区間は北から南方向のみの一方通行であったと記憶しています。沿線も戦災を免れたエリアであったこともあって、昔ながらの古い住宅や商店などが立ち並ぶ街並みでした。歩道も十分に無い中、都心へ向かう抜け道的な需要もあって自動車の交通量も多い道路という環境下にあっても、落ち着きのある、どこか温かみに満ちた景観が続くエリア、それが私の脳裏にある木町の姿です。1993年から99年にかけて北仙台で暮らした私は、大学へ向かう際北仙台からこの木町を通って大学病院前に出て、澱橋を抜けて川内へと自転車で通っておりました。日常的に目にしてきた風景で、かつ大都市にありながらも落ち着きに満ちた風景は、本当に印象に残っています。

 現在の通りは、昔ながらの家並みは道路拡幅のためにほぼ消えて、セットバックした敷地に新しい住居や店舗を再建した家々や、中高層のマンションなどが並ぶ現代的な風景の中にありました。北七番丁や北六番丁などの通りに直行する道路はほとんど昔のままで、その方向を見たときは、かつての木町通の姿を思い起こすことができるような気がいたしました。何度か触れておりますとおり、この都市計画道路は仙台都市圏にとって相対的に不足気味であった、北部地域と中心市街地とを結ぶ道路機能を補う動線として、北四番丁付近における渋滞など懸念される問題もあるものの、荒巻地区等における渋滞などを解消させる効果なども期待できることから、私としては一定の必要性を感じています。しかしながら、この木町通沿線のこの地域における景観の変化はまさに劇的といえるもので、ちょっとした物悲しさも同時に湧いてきます。拡幅前の通りの写真を残しておけなかったことが今更ながら悔やまれます。北六番丁以南の通りも、建物のセットバックが完了していまして、道路の拡幅工事を待つのみとなっています。北山から桜ヶ丘へ抜ける工区が完成した暁には、仙台の都心から泉パークタウンまでを一直線に貫通する大幹線が出現することとなります。仙台にとって、まさに画期的なできごとであるわけで、都市交通等への影響は多大なるものがあるでしょう。今後を注意深く見守りたいエリアの1つです。

 北四番丁より南の木町通は、中心市街地近傍の穏やかな住商混在地区から、雑居ビルが連なる都心地域へと徐々に景観を変えながら、穏やかな姿を見せています。建物はずっと新しいとはいえ、どこかかつての木町通の雰囲気を感じさせまして、うれしくなりました。


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