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シリーズ・クローズアップ仙台

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#42 土橋通を歩く 〜変わるもの、変わらないもの〜
 

 近年改築された厚生病院前にて市バスを下車し、北四番丁-国道48号線-を西へ歩み始めます。かつて市電通りとして広幅員となった道路の沿線は中高層のマンションが多く立地し、商店も多く、市街地近傍における良好な住宅地域となっています。しばらく直進していた国道は、広瀬町と八幡一丁目との境界となる、仙台銀行の接する交差点で西南西にやや曲がって、八幡町方面へと向かいます。この微妙なカーブはこの付近の地形と関係しています。現在ではほぼ埋め立てられているものの、この西南西に折れる部分を、北西から南東方向に流れ込む、深い渓谷-へくり沢(巴谷)-がありました。

 へくり沢は尚絅女学院の東側、広瀬川の北ににわずかにその痕跡を残しています(水は暗渠となり地表を流れていません)。へくり沢は仙台城下町から八幡町方面へ向かう際通行の難所で、谷を東西に直接横断することは困難でした。そこで、江戸期に北四番丁の一筋南の北三番丁から中島丁(現在の第一女子高校南の東西の通り)へ、沢を埋め立てて土橋が作られ、通行を容易にしました。さらに北三番丁から西へ直進する十二軒丁への土橋も完成し、八幡町への交通は飛躍的に改善しました。最初に指摘した国道のカーブ部分は市電開通にあたり整備された道路であるようです。この土橋へ向かい、巴谷に沿って北西から南東へまっすぐに切れ込む道路は、土橋に行き着く道であることから「土橋通」と呼ばれるようになりました。土橋通は国道を貫き、八幡町へ向かうかつてのメイン道路であった北三番丁まで伸びています。 

土橋通

土橋通、北三番丁交差点より北西方向
(青葉区広瀬町、2006.12.29撮影)
澱橋へ向かう道路、拡幅が進む

「土橋」部分、澱橋方向
(青葉区八幡一丁目、2006.12.29撮影)
北四番丁

北四番丁との交差点、超高層マンション
(青葉区八幡二丁目、2006.12.29撮影)
土橋通

土橋通の景観
(青葉区八幡二丁目、2006.12.29撮影)

 国道と土橋通の交差点を南へ、北東に切れ込む通りへと折れました。通りの東側に超高層マンション「ライオンズタワー仙台広瀬」が屹立し、通り沿いも緑に囲まれた歩道が整備されたため、以前よりも格段に明るいイメージの街路となっています。土橋通から北三番丁、そして澱橋方面へ下る前述の土橋部分に当たる道路はアルファベットの「Z」字のような変則クランクとなっていまして、自動車等での通行には特に注意を要するポイントです。そのため、現在、このクランク部分を通らず直接国道に出ることができるよう、新たな道路を建設する事業が進んでいるようです。澱橋への道路の西側がセットバックされ、北三番丁と国道との間の部分も徐々に道路敷とするために建物などの移転が進行している最中でした。この新道は、将来的には川内地区から澱橋を経由して青葉区西部の芋沢地区方面へと抜ける都市計画道路「川内芋沢線」の一部となる見込みであるようです。

 拙稿「八幡町を歩く 〜伝統と現代とが息づく門前町〜」でも触れていますとおり、現在この付近は幹線道路である国道48号線の裏通り的な、穏やかな住商混在地域となっていまして、高層マンション等の現代的な都市景観の中にありながらも、たいへん落ち着いた、明るい雰囲気のあるエリアです。再び北へ戻り、国道を越えて、土橋通沿線へと進んでいきました。


四ツ谷用水

四ツ谷用水路(土橋通より西側)
(青葉区八幡二丁目、2006.12.29撮影)
洗い場跡

四ツ谷用水、洗い場跡
(青葉区八幡二丁目、2006.12.29撮影)
春日神社

春日神社(階段手前を横切るのは四ツ谷用水)
(青葉区八幡二丁目、2006.12.29撮影)
土橋通

北八番丁/半子町の交差点より南東方向を望む
(青葉区八幡二丁目、2006.12.29撮影)

 土橋通は、片側一車線ずつ車道がとられているものの、歩道は十分ではない、どちらかといえばあまり広いほうではない道路です。しかしながら、国見方面へ向かう至便なルートとなっており、バス通りでもあることから、道路幅に比して自動車の通行量の多い道路です。通り沿いには中高層のマンションもあるものの、ほとんどは昔ながらの商店や個人住宅が立ち並ぶ町並みが続いていまして、道を行く自動車たちの喧騒をよそに穏やかな風景が印象的な町です。年末となり正月飾りなどを彩る花木などが店頭で鮮やかな生花店や、湯気を立てながら餅を製造する店など、小粒ながらぴりりと辛い商店や飲食店が軒を連ねています。個人の住宅が多いこともあって庭木も随所に植栽されていますから、緑も比較的豊富な印象です。

 そんな温かみに満ちた風景のなか通りを歩いていますと、通りを横切る暗渠を見つけることができます。暗渠といっても、見た目は家々の間を縫っていく歩行者通路(実際通りに面した部分の一部は歩行者と自転車専用の道路として供用されています)のように見えますので、注意深く見ないとそれが用水路にふたをしたものであることにはあるいは気づきにくいのかもしれません。この水路は、「四ツ谷用水」と呼ばれます。拙稿でも何度かご紹介してきた、かつての仙台城下町を縦横に潤した都市用水路です。ここを通過する部分は四ツ谷用水の「本流」にあたります。その総延長が広瀬川のそれに匹敵することから、「第二の広瀬川」とも称された用水路は、ここより西方、郷六地区にて広瀬川より取水され、この「本流」を通って城下町に至って、無数に分流して城下町へと水をいきわたらせていました。現在は暗渠となって往時の機能と景観とは失われています。しかしながら、仙台城下町の姿を今に伝える貴重な事物として、今日でも身近な存在であることには変わりはないと思います。四ツ谷用水の上を西へ歩いていきますと、「洗い場の跡」があって、生活用水として市民に親しまれた往時を偲ぶことができました。

 通りに戻り、北八番丁と伊勢堂下、半子町とが合流する交差点へと到着しました。国見方面からやってくる自動車の列、大きな車体を器用に曲げて市街地へ向かう市バスなどが交錯する交差点の騒がしさに比べて、周囲の町並みはどこまでも穏やかでした。振り返りますと、ライオンズタワー仙台広瀬のビルがその落ち着き払った家並みの上にさっそうと伸びているのが鮮やかに眺望されます。土橋通沿線は、確実に現代の仙台都市圏のダイナミクスの中にあるといえる光景かなとも思える一方で、そんな現代的な都市の要素でさえ、人情的な商店街と住宅地とが織り成す人間味溢れた地域の「借景」として取り込んでしまっているのではないかとも思えてしまうほど、土橋通は豊かな感受性に溢れる町場なのではないかなとも考えられました。


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