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シリーズ・クローズアップ仙台

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#40 西多賀方面へ 〜仙台地方の伝統的な街道筋〜


 西多賀地区は、長町地区の西に接し、秋保方面へ伸びる国道286号線の沿線を占めるエリアです。片側二車線の幹線道路となった国道286号線にロードサイド型の店舗が張り付く一方、国道の旧道筋は比較的落ち着いた雰囲気の住宅地域となっています。1889年に町村制が施行され藩政期の村などの多くが合併により淘汰されたとき(一般的に「明治の大合併」と呼ばれるできごとです)、当時は名取郡下であった大野田、富沢、富田、鈎取、山田の5村により「西多賀村」が発足しました。富沢三丁目に鎮座する多賀神社の名前を取って命名されたといわれます。単に「多賀村」としなかったのは、やはり域内にある別の多賀神社より「東多賀村」が時を同じくして名取郡内に発足したためであるようです。西多賀村は仙台市に編入(1932[昭和7]年)後も地域の名前として生き続けたのに対し、東多賀の方は地名としては存続せず、1928(昭和3)年に町制施行の際に閖上(ゆりあげ)町となっています(現在の名取市閖上地区)。かつての西多賀村の主部であったと思われる市役所西多賀市民センターの周辺はちょっとした町場となっていまして、行政中心が地域に与える影響についてうかがい知ることができます。

 西多賀地域はまた古来より存続してきた伝統的な街道筋にも当たります。仙台城下町が拡大する過程で長町宿が奥州街道筋の宿駅として確定したのは1612(慶長17)年のことであることは、長町界隈(前)〜河原町から長町へ、城下と在郷の接点〜にてお話しました。それ以前の奥州街道は長町を経由せず、三神峯の南から大年寺山のふもとをまわり、越路から鹿落坂(ししおちざか;霊屋橋の南から向山・八木山入口方面へ登る急坂)を通り、仙台へと入っていたのだそうで、この三神峯から大年寺までの部分はまさに西多賀エリア、国道の旧道筋に符合するようです。地図を追ってみますと、西多賀から東へ、丘陵のすそに寄り添うように進む旧国道は砂押町の東、滝沢寺南の三叉路から長町方面に向かいます。旧街道筋はこの丁字路をさらに木流堀に沿って北東方向へ進み、長町公園プールの南あたりから東へ方向を変えて長町へ進むルートにあたるようです。このルートの長町側の基点(旧奥州街道、国道4号)には「笹谷道」と記された石碑が残されています(長町界隈(後)〜奥州街道の宿駅から、仙台市南部の副都心へ〜の項参照)。奥州街道が長町経由となった後も、笹谷峠を越えて山形方面へ進む街道として重要な道路であり続けていました。

国道286号

国道286号線(愛称:秋保通)
(太白区鹿野一丁目、2006.8.6撮影)
大年寺山

国道286号線より大年寺山を眺める
(太白区鹿野一丁目、2006.8.6撮影)
大年寺惣門

大年寺・惣門
(太白区門前町、2006.8.6撮影)
大年寺より長町を眺める

大年寺門前より長町を望む
(太白区門前町、2006.8.6撮影)

 市街地化の著しい長町南地区から北へ進み、国道286号線の大幹線を都心方向へ戻り、大年寺山のふもとを行く国道の歩道を進みます。仙台市街地から愛宕大橋で広瀬川を越えた国道4号は、多くの車両を国道286号線へと供給しています。八木山丘陵の東、仙台市野草園などの立地する小高い丘は「茂ヶ崎(もがさき)山」と呼ばれます。山の名前は平坦な土地に突き出したような地形であることからこの丘陵の東端を「茂ヶ崎」と称したことに由来するようです(ちなみに、茂ヶ崎は「仙台七崎」の1つとされます。残りは青葉ヶ崎、藤ヶ崎、松ヶ崎(駒ヶ崎)、鴉崎、鹿島崎及び玉田崎(玉手崎)であるようです)。大年寺山はこの茂ヶ崎山の別称です。

 1695(元禄8)年に仙台藩4代藩主綱村がこの地に大年寺を造営したことによります。大年寺はこの綱村公以降の伊達家一族の菩提寺でありました。大伽藍を擁したという寺はすでに焼失し、その面影は深い木立の中、石段の途上に建てられた惣門のみに残されているようです。長町エリアから大年寺惣門へと至る街路が国道によって分断されながらも一直線につながっていることが見て取れます。長町は明治の大合併時は「名取郡茂ヶ崎村」と称していました(その後1915(大正4)年に町制施行し「名取郡長町」となり、1928(昭和3)年に仙台市の一部となっています)。「茂ヶ崎」が地域を代表する事物として、一定の存在感を持っていたことの証左であるのかもしれません。大年寺惣門下からは長町の市街地がゆるやかに眺望できました。

旧道筋

木流堀、旧道筋、大年寺山
(太白区鹿野二丁目、2006.8.6撮影)
西多賀

西多賀の景観
(太白区西多賀三丁目、2006.8.6撮影)
三神峯公園

三神峯公園
(太白区三神峯一丁目、2006.8.6撮影)
西多賀眺望

三神峯公園より西多賀を望む
(太白区三神峯一丁目、2006.8.6撮影)

 大年寺を一瞥した後、国道286号線から長町プール前より旧道に入り、西多賀方面へと進んでいきます。旧道に沿って流れる木流堀(きながしぼり)は、現在の富田付近の名取川から取水した水を仙台南高校付近より広瀬川へ落とした用水路です。全長はおよそ6キロメートルあります。「木流」の名前が表しているとおり、この水路は仙台藩が家臣に支給する燃料の丸太を二口峠付近で伐採し、名取川の水運によって運び、それを城下町まで運搬するために造られたものであるようです。現在は木を運ぶことは無く、浅い水深の穏やかな流れとなっています。堀より北の丘陵地域は「八木山」と呼ばれます。丘陵の土地の多くを所有した実業家の名前が地名の由来で、高度経済成長期を通して大いに宅地開発が進められました。動物園や遊園地なども立地しています。仙台市における大規模な郊外住宅地域の1つでありまして、今後現地を歩いて、別途ご紹介したいと思います。木流堀と穏やかな住宅地となった丘陵の景観を見ながら進みますと、街道筋は砂押橋を渡ることによって木流堀と別れを告げます。長町南から秋保電気軌道の軌道敷を踏襲している市道が東から合流してきます。市道は北方向へ更に延伸させるための工事が進捗しているようでした。八木山市民センター前から南東方向に伸びている市道と合流し、長町駅前方面へと結節する都市計画道路「長町八木山線」を構成する恰好のようですね。

 さらに西へ進んでいきますと、住居表示上の西多賀地区へと入ってまいります。西多賀は長町方面から出発し仙台市の西側や名取市北部方面へと向かうバス路線の多くが経由していまして、八木山を縦断しながら仙台市中心部方面へ向かう系統も充実するなど、バス交通上たいへん至便なエリアの一角となっています。国道286号線も至近にありかつ伝統的な近隣商業地域としての一定の中心性もあることなどから、中層の住居系の建築物なども見られます。モータリゼーションの進展や郊外型の店舗や大型ショッピングセンターの立地により人々の購買動向は大きく変容している中にあって、西多賀の商店街は仙台中心部へのバス交通上の優れたアクセス性から一定の中心性を維持しているようにも感じられました。私が訪れたこの日も多くの人々がバス停周辺に集まりながら、周辺の商店等で買物をする風景が見られました。西多賀の町の北には、「三神峯(みかみね)公園」の丘があります。丘の西に3つの塚(三神峯古墳群)があったことが地名の由来とされる三神峯は、桜の名所として近隣の人々の憩いの場となっています。


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