Japan Regional Explorerトップ > 地域文・東北地方 > シリーズ・クローズアップ仙台・目次

シリーズ・クローズアップ仙台

#38ページへ #40ページへ

#39 長町南地区 〜仙台市南部の新興中核地〜


 長町南地区は、地下鉄長町南駅を中心として仙台市南西部や名取市北部方面へのバス路線が収斂する交通の要衝として飛躍的な成長を見せてきたエリアです。1997年9月には工場跡地を利用して大規模ショッピングセンター「ザ・モール仙台長町」が開店し、その拠点性は更なる向上をみています。ショッピングセンターの南には太白区役所も立地しています。長町駅前から西へ続く、地下鉄のルートとも重なる市道は片側二車線の幹線道路で、この道路と国道286号線から南へ、太白大橋へと続く道路(県道仙台館腰線)との交差点を中心とした長町南地区は交通系統上の重要な結節点としての役割も担っているともいえます。ショッピングセンターは2000年には隣接してシネマコンプレックスを含む新館を完成させ、その存在感を増しております。

 地下鉄長町南駅は、太白区役所の最寄り駅であるとともに、上述のとおり太白区域や南の名取市域から集まるバス路線網とのアクセスポイントともなっており、私がフィールドワークを行った2006年8月6日も多くの利用者があるように感じられました。「ザ・モール仙台長町」へも連絡通路を通じて直接入店することができるようになっています。太白区役所方面への出入り口から地上へ出ますと、区役所の建物や大型ショッピングセンターが平坦な地形状にゆったりと立ち並ぶ、穏やかな街区へと導かれます。区役所とショッピングセンターとの間の東西の大通りに面してバス停が並び、長町地域を小回りよく連絡するコミュニティバスのような路線も設定されていることが窺えます。長町南エリアへはしばしば足を運んでいまして、年々中高層のマンションの立地も多くなってきているような印象です。その一方で、それらの建物の間には水田が散見されるなど、この地域が新興の市街地であり、まだまだ成長途上にあることも見て取れます。私はこういった面はマイナス方向にはとられていなくて、むしろ開放的でのびのびとした、ゆっくりと空気を吸いながら住むことのできる快適な環境として好感しています。もちろん、高密度で多くの都市機能の集積した中心性の高い住環境にもたくさんのメリットがあり、そういったエリアもまた違ったよさを持っていることも自認しております。地域には地域のよさがある、ということで。長町南地区は、広い道路、広い街区、そしてゆったりとした敷地を持つ大型店舗の存立、といったメルクマールで象徴される、ゆったりとした雰囲気が魅力といえるのかもしれません。

太白区役所

太白区役所
(太白区長町南三丁目、2006.8.6撮影)
バス停

太白区役所前のバス停
(太白区長町南三丁目、2006.8.6撮影)
ザ・モール仙台長町

ザ・モール仙台長町本館
(太白区長町七丁目、2006.8.6撮影)
ザ・モール新館

ザ・モール新館を望む
(太白区長町七丁目、2006.8.6撮影)

 開放感に溢れる長町南地区の歴史を遡りますと、このエリアが住宅・商業地域として市街地化を見せ始めるのは概ね1970年代後半あたりからのようで、それまでは名取川左岸の沖積地としての特性から、広大な水田地帯が大半を占める地域でした。長町地域における町場はやはり新旧奥州街道筋、つまりJR長町駅前の国道4号線沿線及び八木山丘陵のふもとを西へ進む旧国道286号線沿線一帯であり、戦後における市街地の拡大もまずこれらの地域から始まっていきました。地域には八木山丘陵から流出する名取川の支流も貫流していまして、それらの氾濫原としての低湿地が卓越する土地柄であったと思われます。その支流のひとつ「笊川(ざるがわ)」は、現在でこそ河川改良が進み、水辺環境の整えられた親水的な空間としての佇まいを見せています。しかしながらかつての笊川はしばしば氾濫する暴れ川として知られていまして、大野田地区と長町南地区との境界となっている曲流した水路はその流路の名残であるのでしょう。

 このように1970年代に入るまでは長らく水田の卓越する地域であった長町南地区にあって、特徴的な威容を示していたのが、「ザ・モール仙台長町」の位置に創業していた東北特殊鋼の工場であったのではないでしょうか。現在は
仙台市の南、村田町に移転している東北特殊鋼は、1937(昭和12)年に操業を始めた歴史を持ちます。その設立は仙台市の名誉市民であり、KS磁石鋼の発明などで知られる本多光太郎東北大名誉教授の提言を受けてのものであったといいます。当時の東北帝国大学(現・東北大学)で発明されたり特許を得たものを、遠く離れた大阪や東京の事業者に指導しながら開発しようとしても十分にそれが行き届かない悩みがあったとのことでした。仙台にて事業を起こし、大学の指導を密に行き渡らせることができ、地域産業や金属工業界へ多大な貢献をすることができるとの信念からのことであったといわれているのだそうです。

県道仙台館腰線

県道仙台館腰線、ザモール東、北方向
(太白区長町七丁目、2006.8.6撮影)
市道

地下鉄ルートと重なる市道、東方向
(太白区長町南三丁目、2006.8.6撮影)
幹線道路南、地底ミュージアム付近

長町南四丁目付近の景観
(太白区長町南四丁目、2006.8.6撮影)


地底の森ミュージアム
(太白区長町南四丁目、2003.9.13撮影)

 またこの地域を語る上での懐かしい記憶として、秋保電気軌道のこともお話しておきたいと思います。これまでも、長町界隈(後) 〜奥州街道の宿駅から、仙台市南部の副都心へ〜にて秋保電気軌道について触れています。これは長町駅前から秋保までを結んでいた鉄道で、1961(昭和36)年に廃止されたものです。長町駅付近には軌道の跡地が現在でも残されている場所があります。廃止された後もその軌道敷は東北特殊鋼の工場の南を東西にゆるやかに続く道路のような形で残されていたことが、1964(昭和39)年頃の地形図よりうかがい知ることができます。冒頭よりご紹介している、地下鉄のルートと重なる東西の幹線道路の道筋は、ほぼその軌道の跡地を承継しているものです。1970年代後半以降市街地化が進んでいった長町南地域にとって、一大画期となった地下鉄駅の開業は1987(昭和62)年7月のことでした。その後、1989(平成元)年4月の政令市移行に伴い太白区役所が設置され、1997年の大型ショッピングセンターの開業と、市街地化が加速して現在に至っています。

 太白区役所前を南西に入り、穏やかな住宅地域を歩きますと、地底の森ミュージアムがあります。この博物館がある周辺地域は水田遺跡である「富沢遺跡」として知られていました。1987年から1988年にかけて、小学校建設のための発掘調査の結果、約2万年前の旧石器時代に生きた人達の活動跡と森林跡がそれより新しい諸時代の遺構とともに発見されました。この世界的にも貴重な発見であったため、遺跡を発掘されたままの状態で保存・公開する方針とし、地底の森ミュージアムが建設されました。周辺は緑あふれる史跡公園として整備されていまして、緑地環境として穏やかな表情を見せています。幾星霜の時代から豊かな自然とともにあった地域は、のびやかな市街地化が進む現代都市地域としての長町南地区の姿とどこか重なって見えてくるような気もいたしました。


このページのトップへ

 #38ページへ           #40ページへ

目次のページに戻る


Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2006 Ryomo Region,JAPAN