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シリーズ・クローズアップ仙台

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#13 仙台市街地を歩く(後) 〜大町と東一番丁、仙台の一大繁華街〜


大町交差点は、現在でこそ、西公園通と青葉通とが交差する交差点として機能しておりますが、青葉通は戦後の都市計画によって作られた歴史の浅い道路でして、大橋で広瀬川を渡った城下の東西の幹線道路「大町」は、現在の「中央通」に相当します。手許に仙台市街地の地図をお持ちの方は、ご確認いただければ一目瞭然であると思います。大橋〜中央通のラインが直線的につながっているのに対し、青葉通は大町交差点に東南東方向から曲がって接続している様子が見て取れますよね。青葉通と中央通(大町)との接点には、「御譜代町」と鐘楼が建てられており、この道のかつての隆盛を伝えています。

「御譜代町(ごふだいまち)」とは、この地域に割り出された、大町、肴町、立町、元柳町が、伊達家に従い、米沢から岩出山、仙台と至るまで移り住んできた商家が営んだ町であることを意味しています。それだけ、伊達家との関わりが深く、多くの特権を与えられていたこれらの町は、このメインストリート周辺に依拠し、仙台城下町の繁栄を支えたのでした。しかし、現在の大町を歩いても、東一番丁(一番町通)以西のエリアにおいては、一部の区画を除いて、その面影を想起するものはほとんどないのが実状です。多くは、市街地に流入する駐車需要を当てこんだ駐車場や、中層のアパート、オフィスビルなどになっており、また一部には空き地も認められるほどでした。立町や肴町方面まで確認することができませんでしたが、少なくとも大町周辺は、戦後の幹線道路を中心とした都市化の中で相対的に取り残された、「都市のはざま」的なエリアであるように目に映りました。
大町入口

大町入口、「御譜代町」の鐘楼
(青葉区大町二丁目、2003.7.21撮影)
大町の景観

大町の景観
(青葉区大町二丁目、2003.7.21撮影)

芭蕉の辻を過ぎ、一番町に至ると、大町は「中央通」として、アーケード化された、近代的な商店街へと変貌を遂げます。ここで、大町からひとまず離れ、現代における仙台の繁華街の1つである、「一番町通」に目を移しましょう。一番町通は幾度となく言及してまいりましたが、正式には「東一番丁」と呼びます。アーケード化され、また住居表示として「一番町」が設定されるにつれて、「一番町通」という呼び名が公称的にも市民権を得ておりますので、以降は「一番町通」と呼ぶことといたします。

一番町通は、大きく分けて3つの商店街からなります。定禅寺通から広瀬通までの「一番町四丁目商店街(一番町買物公園)」、広瀬通から中央通までの「ぶらんどーむ一番町」、そして中央通から南町通までの「サンモール一番町」の3商店街です。北の「一番町四丁目商店街」は、両側に常時屋根のある部分を雁木状に残しつつ、中央は吹き抜けにしており、開放的なつくりになっています。付近には、141(一番町四丁目一番に立地するから、「141」なのです)や三越などの百貨店があり、また飲食店が最も集中する国分町通やそれに付随する横丁に接することから、かなりの活気がある一帯です。吹き抜けになっている関係から、正面に仙台市役所が眺められ、その正面に据えられた日付と時計の電光表示を見通すことができます。また、広瀬通側の入口には、かつて待合せ場所として利用された「水時計」がありましたが、20037月に、老朽化のため撤去されました。

「ぶらんどーむ一番町」は、広瀬通一番町に面したフォーラスから老舗百貨店である藤崎までの比較的最近リニューアルされたアーケード街で、白い柱の高いアーチは半透明の天蓋で覆われ、斬新なモニュメントが配された、近代的な商店街を形成しています。クリスロード(中央通)から、広瀬通一番町までを経て一番丁四丁目商店街までの、仙台の中心市街地におけるいわゆるハイライトゾーンを構成するルート上にあたり、また多くの人々を惹きつける専門店が軒を連ねる場所であたるために、休日ともなると多くの人出のある、最も活気のあるゾーンを構成しています。





一番町買物公園の景観

一番町買物公園の景観
(青葉区一番町四丁目、2003.9.13撮影)
ぶらんどーむ一番町の景観

ぶらんどーむ一番町の景観
(青葉区一番町三丁目、2003.9.13撮影)

水時計跡

広瀬通一番町、水時計跡
(青葉区一番町四丁目、2003.9.13撮影)




サンモール一番町の景観

サンモール一番町の景観
(青葉区一番町二丁目、2003.9.13撮影)
壱弐参横丁

壱弐参(いろは)横丁
(青葉区一番町二丁目、2003.9.13撮影)
野中神社・鳥居

野中神社
(青葉区一番町二丁目、2003.9.13撮影)

「サンモール一番町」は、中央通以南の一番町通にあたる商店街ですが、前述した2つの商店街と比べますと、やや落ち着いた雰囲気の場所です。人通りも心持ち少ないように感じられます。サンモール一番町のもう1つの顔は、特色ある「横丁」の存在です。「文化横丁」や「壱弐参横丁」といった、庶民的な店舗が軒を連ねるコミュニティが、生き生きと存在しているのです。今風の繁華街として大きな変貌を遂げた一番町の中にあっても、サンモール一番町には昔からの「東一番丁」の雰囲気が濃厚に残っている地域なのかな、と感じます。そう、昔からの商店街が、そのままアーケードの屋根をかぶせられたような、そんな感覚です。駐車場やビルの谷間になりながらも、「野中神社」のお社も佇んでいます。

大町に戻り、東へ進んでいくことにしましょう。ここからは、仙台駅に向かって、マーブルロードおおまち、クリスロード、ハピナ名掛丁といった、やはりきらびやかなアーケード街が続いていきます。個人的にはあまり関心がなく、こういった町をどう表現しようか分かりませんので、旧町名をお話しておきましょう。「大町」は、東二番丁を越えると、「新伝馬町」に入ります。新伝馬町は、元来は「日形町(ひがたまち)」と呼ばれたものが後に改められた地域で、大町に続く商人町を形成していました。東五番丁からは、「名掛丁(なかけちょう)」となります。この名前は、前述しましたとおり商店街名にもなっていますので、現在でも頻繁に使われているようです。藩政時代、藩士はいくつかの階級(門閥と呼びます)に区分されていましたが、その中に「御名懸(名掛)」と称される役があり、それらの藩士が配置された町であっため、「名掛丁」と呼ばれたものなのだそうです。

アエル前

ハピナ名掛丁東入口、アエル前
(青葉区中央一丁目、2003.7.21撮影)
名掛丁

名掛丁はこの先鉄路で分断されている
(青葉区中央一丁目、2003.7.21撮影)

「ハピナ名掛丁」を東へさらに進むと、駅前通に至り、再開発ビル「アエル」の麓に再び到達します。名掛丁は、アエルのすぐ南を東へ伸びていくのですが、それをすぱっと遮断しているのが、言うまでもない、東北線の鉄路です。東西の通行ができるように、一応地下通路が設けられているのですが、あまりに薄暗く、町の影のような場所となっているので、夜中に一人で通過するのには、少々勇気がいるように思われます。そして、その先にある町は、先にご紹介した、二十人町、鉄砲町、ということになるわけです。城下随一のメインストリートから、陸前浜街道へと接続していた、かつての幹線道路は、鉄路の形成によって、現在の区画整理という運命を招来する道を歩み始めたといえるのかもしれませんね。


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