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シリーズ・クローズアップ仙台

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#111 仙台市中心部の諸地域を巡る(1) ~大町から青葉山へ、城下町の基軸~

 2019年12月18日、所用で前日から仙台に投宿していた私は、この1日、仙台の城下町時代から受け継がれる街路を意識しながら彷徨することとしていました。仙台駅に荷物を置いて、仙台が誇る西口の大規模なペデストリアンデッキへ。近年は東口方面の開発がやや顕著になっており、駅前の風景はここ数年際だった変化はない印象ですが、仙台ホテル跡地の再開発や、2017年の閉店後もいまだに廃屋としてとどまる旧さくら野百貨店の行く末など、東北随一の大都会である仙台駅前の状況も流動的な要素を少なからず残していました。

仙台駅西口

JR仙台駅西口の景観
(青葉区中央一丁目、2019.12.18撮影)
青葉通

ペデストリアンデッキから見た青葉通
(青葉区中央一丁目、2019.12.18撮影)
駅前通り

駅前通り、北方向を望む
(青葉区中央一丁目、2019.12.18撮影)
青葉通

愛宕上杉通と青葉通の交差点(左が旧さくら野百貨店)
(青葉区中央一丁目、2019.12.18撮影)
中央通

中央通り、名掛丁と新伝馬町(クリスロード)の境界
(青葉区中央二丁目、2019.12.18撮影)
東四番丁

東四番丁の風景
(青葉区中央二丁目、2019.12.18撮影)

 ここ数年のルーティンのとおり、駅前通りをペデストリアンデッキで渡って名掛丁のアーケード前でそれを下り、中央通りへと歩を進めました。ハピナ名掛丁から愛宕上杉通(東五番丁)を横断してクリスロード(新伝馬町)、そして東二番丁を越えて大町へと進むアーケードについては、これまで過去に多くご紹介しておりますので詳述は避けますが、仙台の町を歩くキーワードは「町」と「丁」の違いと、「通」の意味です。前者については、「町」は町人の町、「丁」は武士の町。後者は、「○○通」は「○○へ向かう道」ということ。この2つのポイントを抑えながら、現代の町並みに息づく、藩政期時代の資産でもある通りを縦横に歩きます。

 愛宕上杉通は、北仙台駅近く、昭和町交差点から上杉地区を通って駅前を経由し、五橋まで続く幹線道路です。愛宕上杉通は江戸時代には現在のような大通りであったわけではなく、東五番丁から清水小路へと続く部分と、北側の上杉山通を拡幅した上で両者を連結して新しく整えられた街路です。中央通りとの交差点付近はかつての東五番丁で、ここから西へ東四番丁、東三番丁、東二番丁と、小さな街路が直交しています。大通りとなっている東五番丁と東二番丁を覗けば、繁華街となっている中央通りから見ると、ビルとビルとの間のこぢんまりとした町並みが広がります。これらの数詞が冠せられた通りは、国分町通り(旧奥州街道)を軸に、西から東へ町が割り出され、順番に東一番丁、東二番丁・・・と武士の町がつくられたことを今に伝えるものです。中心的な町場である大町から新伝馬町にかけてや、護符台町と呼ばれた町人町が芭蕉の辻を中心に東西に町並みを造り、その後背地は武士の町が形成され、城下町を支えた構図が想起されます。なお、東一番丁は現在の一番町のアーケード街、東六番丁は仙台駅の位置にほぼ相当しています。

東三番丁

東三番丁、写真の七十七銀行は「新伝馬町」支店
(青葉区中央二丁目、2019.12.18撮影)
東二番丁

東二番丁の大通り
(青葉区中央二丁目、2019.12.18撮影)
ぶらんど~む一番町(東一番丁)

ぶらんど~む一番町(旧東一番丁)

(青葉区一番町三丁目2019.12.18撮影)
大町の景観

大町の景観(日銀前)
(青葉区一番町三丁目、2019.12.18撮影)
晩翠通

晩翠通(旧・細横丁)
(青葉区大町一丁目、2019.12.18撮影)
大町交差点

大町交差点、御譜代町のモニュメント
(青葉区大町二丁目、2019.12.18撮影)

 芭蕉の辻を越えて西へ大町を進み、元柳町が拡幅された西公園通りを横断しますと、広瀬川に向かって下る大坂へとつながっていきます。地下鉄大町西公園駅も完成し、桜岡大神宮周辺も穏やかな現代的な公園として再整備された界隈には、新たなマンションも建築中のようで、広瀬川と青葉山の豊かな自然を俯瞰し、中心市街地へのアクセスもよい環境があらたな開発の呼び水となっているようでした。広瀬川を渡る大橋は、仙台城下と城下のメインストリートである大町とをつなぐ橋として、今も昔も重要な橋でした。大橋を起点に東へ、大町頭、大町一丁目、二丁目、・・・と町が割り出され、大町五丁目で新伝馬町と隣接していました。今ではなだらかに下る大町への道筋ですが、これは河岸段丘崖を盛り土してスロープを緩やかにしたもので、藩政期は大橋の手前が枡形になっていました。


 穏やかに仙台市街地を貫流する広瀬川と、川が浸食する経ヶ峯方面の景観を確認しながら、青葉山を徒歩で登って、青葉城址へと進みました。川内追廻地区の住居の移転は完了したようで、訪れた時には数台の重機が動いて、青葉城公園として再整備すべく土地の改良作業にあたっている様子が見て取れました。国際センターと博物館を中心に、地下鉄国際センター駅周辺が機能的に修景されて、青葉山エリアと一体的な文教・コンベンションエリアへと整えられていく青葉山のいまを概観しました。本丸跡から俯瞰する市街地もいつもながらに雄大な印象で、この日は雲が多いながらも雪を頂いた泉が岳や特徴的な山容を呈する七つ森、そして広瀬川のつくる河岸段丘上に広がる仙台市中心部の町並みがとても穏やかに目の前に広がっていました。広瀬川橋梁を時折通過する地下鉄の車両の風景が、新たにそのパノラマに加わって、変化を与えていたのも目を引きます。


大坂

大坂とマンション建築中の現場
(青葉区桜ケ丘公園、2019.12.18撮影)
大橋

大橋より広瀬川と追廻地区を望む
(青葉区大手町、2019.12.18撮影)
大橋

大橋より地下鉄が進む広瀬川橋梁を望む
(青葉区桜ケ岡公園、2019.12.18撮影)
青葉城址公園

青葉城址公園、市街地北部と七つ森を望む
(青葉区川内、2019.12.18撮影)
青葉城址公園

青葉城址公園から市中心部を望む
(青葉区川内、2019.12.18撮影)
西公園

西公園の展望スペースから東西線を望む
(青葉区桜ケ岡公園、2019.12.18撮影)

 青葉城址からは再び市道青葉山線を下りて大橋を渡り、西公園内の展望スペースから地下鉄の広瀬川橋梁を眺めました。西公園は旧仙台藩の重臣伊達藤五郎、古内左近介、大内縫殿(ぬい)の屋敷地を、明治に入り近代公園として整えたものです。西公園から片平丁にかけての広瀬川左岸には、裁判所や東北大学など比較的敷地の広い施設が並びますが、それらは仙台城近くに立ち並んだ有力な藩士の邸宅をそのルーツにしています。


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