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シリーズ・クローズアップ仙台

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#4 イグネ、水と緑の遺産 〜若林区長喜城〜


仙台は、水田の多いところです。さて、いきなりですが、この表現は、適切でしょうか?

仙台東部道路の周辺や、泉区の七北田川流域、宮城野区の北部など、都市化が進んできたとはいえ、現在でも広大な水田が広がっていますね。おそらく、多くのみなさんが、このような風景を見て、米どころ宮城を実感するとともに、仙台も田んぼが多いという感想を持つのだと思います。ですので、一応は、冒頭の表現は適切、ということになるものと思います。

では、なぜこのような書き出しをしたかと申しますと、実は上に示した仙台の米どころの多くは、いわゆるもとの仙台の範域ではなく、都市化の進展などにともなって、仙台市に編入されてきた地域ばかりであるからです。現在の宮城野区の、仙台駅周辺をのぞくほぼ全域は、1941年に岩切・高砂の両村が仙台市に合併されるまでは仙台市の市域ではなかったですし、若林区の沿海部を構成していた六郷・七郷両村の編入も、同じ1941年のことでした。さらには、泉区に至っては、仙台市との合併は1988年のことです。つまりは、仙台市の穀倉地域は、その大部分が仙台市の外縁部に展開する、豊かな農村地域であったということです。そして、仙台市の一部となり、住所表記に「区」がつくようになった現在においても、仙台市街地の都市化を受けながらも、藩政期以降に培われてきたゆたかな農村地域としての風情も残す地域なのではないかな、そのように思うのです。今回は、仙台市街地東方に広がる海岸平野の、農村的な部分と、都市化の影響を受けている部分とをよく象徴している場所をフォローしながら、このあたりの特徴を私なりに書いてみたいなと思います。

2002824日、前日に岩手県遠野市に赴いて、みちのくの農村地域で育まれてきた文化や景観を堪能していた私は、仙台駅東口の宿泊先を出て、自動車で新寺通を東へ進みました。土曜日の朝ということで、道路も比較的車が多いほうではありませんでしたが、ほどなくして到達した仙台バイパスだけは例外で、片側3車線の動脈にはこんこんとその血流たるべき車両の流れが途絶えることはないようですね。ところで、仙台市の東部地域の都市化を考える上で、この仙台バイパスの供用をその画期と捉えることは、大方の賛同を得ることができるものであろうと考えます。仙台バイパスの供用が開始されたのは、1966年のことで、すでに前年造成が終了し機能していた卸商センターとあいまって、仙台市街地に軒を連ねていた卸売業者などの郊外化と時を同じくしながら、東郊への都市化が進行していきました。この仙台卸商センターには、付近に中央卸売市場も設置されるなど、東北随一の流通機能をもつ一大センターです。

この卸商センターを横に見ながら、仙台バイパスを横断し、六丁の目を経由して、荒浜方面へ進みました。この六丁の目付近も、伊在地区から仙台市七郷支所のあるあたりまで土地区画整理事業が進行しており、新たな住宅地域として整備が進められようとしているようでした。この七郷支所の南の交差点あたりから、東側には広大な水田が広がります。はるか彼方に建設された仙台東部道路の盛土も、小さく見えるばかりで、一面の緑の穂波が続いています。お盆を過ぎて、適当な降水と十分な陽光に恵まれた稲たちは、重たそうに穂を垂れており、豊作の予感を感じさせました。そして、この交差点より南に、豊かな屋敷林に囲まれた、農村集落−長喜城(ちょうきじょう)−があります。

仙台市街地東方の水田

仙台市街地東郊の水田(若林区長喜城)
(2002.8.24撮影)
頭を垂れる稲穂と露草

頭を垂れる稲穂と露草
(若林区長喜城、2002.8.24撮影)
“イグネ”と水路

“イグネ”と水路(若林区長喜城)
(2002.8.24撮影)
長喜城の景観

長喜城南端の風景(若林区長喜城)
(2002.8.24撮影)
長喜城の景観

左の写真の木立の中は、お社&公園に
(若林区長喜城、2002.8.24撮影)
長喜城遠景

長喜城集落遠景(“イグネ”に囲まれている)
(若林区長喜城、2002.8.24撮影)

仙台地方では、屋敷林のことを「イグネ」と呼びます。漢字に当てはまれば、居久根、イは、「住居」、クネは「垣根」を意味します。イグネは、単に北西の季節風から家屋を守るというだけでなく、薪や家屋建設のための木材の供給源となったり、祭祀が行われる場であったり、また地区住民のコミュニケーションの場であったりと、実に多様な機能を備えた緑地です。

仙台平野には各地域でイグネが発達していますが、この長喜城地区はそれが最もよく保存された地域の1つです。地区自体南北800メートルほど、東西500メートルほどの広さしかなく、そのうち南側の3分の2は水田になっているので、こぢんまりとした集落です。その集落そのものがこんもりとした屋敷林−イグネ−によって囲まれているのです。イグネの最大の特徴は、屋敷林と水路とが有機的に結びついていることです。つまり、集落は屋敷林に囲まれているとともに、水路にも囲まれているのです。仙台平野が現在のような美田に生まれ変わるためには、このような水路網の整備が欠かせませんでした。低地とはいえ、浜堤列とその間の低湿地とが連続する仙台平野は、そのままでは耕作には適さない、荒地でありました。まさに、イグネは「水と緑の遺産」と呼ぶにふさわしいものですね。

この緑溢れる集落内を歩きましたが、周囲には、なすやしそ、里芋などが栽培される畑地もあり、ビニールハウスあり、屋敷林に囲まれた旧家ありと、そこは、土地区画整理事業の施行地区がすぐそこまで迫っているとは到底信じられない、落ち着いた農村集落そのものなのでした。頭を垂れる稲穂、畦道で可憐な青さを輝かせる露草、集落の南にある公園内にある手作りのブランコ、そこは都市化が及ぼうとも、古くからの伝統を残し、豊かな近隣関係の残る、仙台地域の農村の原風景がよく残された地区なのでした。

そんな長喜城地区にも、都市化の波がゆっくりと、また着実に迫っております。前述の土地区画整理事業施工地域は、荒井地区土地区画整理事業」と呼ばれ、仙台東部道路の仙台東インターチェンジと、将来この地区に設置予定の仙台市営地下鉄東西線の始発駅とを軸とした都市づくりが進められる予定となっています。長喜城地区の北に隣接して、地下鉄が絡んだ土地区画整理が進行しているわけで、そう遠くない将来、長喜城地域に、都市化の影響が及ぶかもしれない素地があるわけです。そのとき、このイグネのある景観は、どのような状態となっているのでしょうか。


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