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シリーズさいたま市の風景

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#10 大宮と浦和 (後) 〜行政中心浦和のいま〜

JR与野駅前から、線路をまたぐ歩道橋を過ぎ、JR北浦和駅に至る道のりは、区画整理により整えられた、穏やかさの感じられる住宅地でした。所々に集合住宅も建てられ、平日の日中ということで人は多くなかったのですが、時折こどもを呼ぶ母親の声を耳にしたり、自転車に乗ったご老人などが通り過ぎたりと、どこにでもあるのどかな都心近郊の住宅地の趣でした。

北浦和駅西口は、南北にさいたま市を貫く国道17号線(通称「中山道」といわれていますが、もちろんかつての中山道のルートではありません)と、所沢市まで続く東西の幹線である国道463号線(埼大通り)とを基軸に整理されたターミナルと位置付けられます。駅前のコンパクトな商店街と、北浦和公園の緑とが配置されており、ある程度のせせこましさはありますが、都市を構成する一結節点として十分な機能を持つターミナルであるように感じられました。北浦和公園を右手に、国道17号線を南に歩き、さいたま市役所方面に進みました。

さいたま市役所
さいたま市役所
(2002.11.20撮影)

前項で触れましたが、北浦和駅のある常盤地区と、浦和仲町地区、高砂地区の範囲が概ねかつての中山道浦和宿の範囲に一致します。旧来の呼称との対応関係からみれば、およそ、浦和宿上町が常盤地区、同中町が浦和仲町地区、同下町が高砂地区という関係になるとのことですね。この宿町の北の一角である常盤地区は、街路や歩道も整えられた、整然とした中心業務街として特化した景観のように思われました。労働会館、あさひ銀行本店などを一瞥し、大宮市街地とはまた違ったオフィス街としての街の美しさと、若干の冷ややかさとを感じたような気がします。

やがて、六間通りを横断し、目指すさいたま市役所前まで到達しました。周囲に緑を配した空間に屹立する庁舎は美しく、また近接して高層の建物が存在しないため、落ち着いた雰囲気をも併せ持った建物のように思われました。入口の自動ドアのガラス面には、「さいたま市役所」という文字の下に「さいたま市浦和総合行政センター」という文字が併記されています。この総合行政センター部分(市庁舎の1階と2階)が、来年4月1日には「浦和区役所」としての機能を果たすようになります。さいたま市の場合、市役所と浦和区役所が同じ建物を共有することになるのですね。

埼玉県庁付近
埼玉県庁付近のケヤキ並木
(2002.11.20撮影)

さいたま市役所を過ぎると、埼玉県警本部や埼玉県庁、さいたま地裁などが連続し、県行政の中核地区であることを改めて実感させられます。埼玉県庁南の県庁通りは、豊かに色づいたケヤキ並木が美しく街の美観を演出しながらも、帰宅を急ぐ学生やサラリーマンなどが闊歩する、ちょっと変な言い方かもしれませんが、「閑かさ」と「活気」とが並存する、行政の中心たるにふさわしい、表現を変えれば行政中心に特有な「懐の深さ」のようなものを感じました。こういった毅然とした雰囲気は、県庁都市としての浦和が培ってきた、埼玉県(あるいはさいたま市)では浦和でしか持ち得なかった空気であり、その空気を十分に吸収し発展してきた市街地の景観は、浦和の何物にも替え難い財産なのではないかとも思われたのでした。

埼玉県庁の南から、埼玉会館の南を通過すると、JR浦和駅前の商店街として一気に町の密度が濃くなります。今回は歩くことができませんでしたが、県道64号線から国道463号線になっている南北の通りがかつての中山道のルートであり、この旧中山道の界隈には、玉蔵院や本陣跡(仲町公園)、酉の市の開かれる調(つき)神社などの史跡も点在します。夕刻が迫り薄暗くなった市街地は商店の照明や街路のイルミネーションによって彩られており、中心業務地区としての街の賑わいを演出していました。駅前の歩道と車道とをわける柵の柱頭には、サッカーボールと浦和レッズのマスコットとがデザインされていたのが印象に残りました。

JR浦和駅前付近
JR浦和駅前の商店街
(2002.11.20撮影)

JR浦和駅前は、他の一般的な県庁都市の代表駅前と比べてしまうと、その「迫力」のようなものは弱いかもしれませんが、それは宿場町であったことと、かつての浦和市が成長した背景に「首都圏の住宅都市としての成長」であったこと、さらに何より大宮という一大商業中心が近接して存在していたことを考慮すれば、十分な機能を備えているといえるのではないかと思われます。

浦和市街地は、大宮ほどの鮮烈さはないし、大宮における氷川神社のような街を象徴する事物なども主だったものがないなど、一般に影の薄い行政中心とされているきらいがあるようです。とはいえ、市役所と県庁を中心とした行政地域の佇まいには懐の深い情景を垣間見ることができますし、県政の中心地区としての役割という、これ以上にないほどの特質を持っています。新たな行政中心として再開発されたさいたま新都心の陰に隠れがちですが、行政中心としてこの市街地が維持してきた底力はそんなやわなものではないはずです。


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