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シリーズさいたま市の風景

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#8 大宮と浦和 (前) 〜氷川神社と見沼〜

JR宮原駅周辺は、都市化や区画整理が一通り完成してから一定の時間がたったと思しき、まとまった住宅地域のように感じられました。ただ、新幹線・ニューシャトルの高架と、宇都宮線・東武線のガードの存在が、他地域との隔たりを感じさせる「エッジ」として存在し、町を幾つかの地域に分断させる構造物となってしまっているのは否めませんね。特に、宇都宮線と東武線のガードは、高架ではないためそれによってはっきりと町が二分されているわけで何ともいえない思いもよぎるところですが、逆に強いて好意的に解釈することができるとすれば、「ここからが大宮の中心市街地」という意識付けになっているとも思われるのでした。否応なくガード下の急な階段のつけられた歩道を下って、陰湿な地下道を通り、再び階段を上って、大宮の中心市街地へと入っていきました。このまま旧中山道を行って中心市街地に入ろうかとも思いましたが、「氷川神社裏参道」の表示を見つけたこともあり、最初の信号を左に(東に)折れて、氷川神社に向かいました。

氷川神社へ向かう道すがらは、首都圏北の一大ターミナル駅から至近の場所であるということが全く想像できないほど閑静で、人や車もあまり多くない、住宅地の趣でした。また、家々の表札を見ると、「土手町2丁目」と記載されていますが、丁目以下の部分には、旧来からの地番である三桁の数字が使用されていまして、住居表示は実施されていない様子でした。また、氷川神社が間近ということもあるのでしょうが、緑がとても多く、豊かな住環境が維持されている様子でした。

やがて、小ぢんまりとした朱色の鳥居が道路端に現れたので、県立博物館方向に続く道路から鳥居のある路地に入り、いくつかの住宅の間を縫うように歩くと、やがて武蔵国一ノ宮、氷川神社の境内に入りました。境内の池の周囲の楓や銀杏は見事に赤く、黄色く染まり、その豊かな色彩を水面に落としていました。かつては、この沼は在りし日の見沼とつながっていたとも言われ、船の霊を祀った神事では、此処から見沼へ船が進んだといいます。見沼と氷川神社の関係については、後で触れます。

氷川神社
氷川神社(2002.11.20撮影)

氷川参道に入り、すぐ左手に朱色の柱とうす緑色の屋根の荘厳な楼門が現れます。門をくぐれば、緑白色の屋根に落ち着いた色調の柱で統一された社殿の氷川神社本殿は目の前です。楠や榎で覆われた杜のつくる静けさの中、七五三やお宮参りと思われる参詣客が平日の昼下がりにもかかわらず、多く訪れていました。この神社は、正月には全国で十指に入る参詣客を集めるということも頷けるような気がしました。

もともとの中山道であったという氷川神社参道を南へ進みました。欅や楠の並木の続く穏やかな参道は都市の景観の中にあって、この町に落ち着きと潤いを与えており、氷川神社やその北の大宮公園のつくる緑地帯と共に、大宮の市街地を特徴付ける最大の要素であるということが、十分過ぎるほど実感できました。参道という本来の機能以上に、この参道は都市のロード型公園的な色彩を持っており、この景観を今日まで維持してきた大宮の都市づくりに対し、敬意をはらわずにはいられない心持ちでした。

やがて、JR大宮駅東口からまっすぐに東へ伸びる駅前通に到達したところで、通りを左折し、東へ向かいました。沿道は、落ち着いた雰囲気の住宅地で、氷川神社参道により西の商業地、東の住宅地とが明瞭に区分されているような印象でした。東町、天沼町とひたすらに東して、やがて道は緩やかに下りへの勾配になり、第二東中学校と自治医科大学医療センターの手前で、やっとのことで見沼代用水西縁に再会することができました。用水路自体は三面をコンクリートに固められた何の変哲もない用水路となっていましたが、その東方に広がる低地帯と、彼方に見える片柳地域の台地の景観は、今月初頭に見沼を歩いたときに感じたものと同じでした。都市化が進もうとも、この低地と周囲の台地の持つ穏やかな姿こそが、この町が最も大切にしなければいけないものの1つではないか、そう素直に思えるほどの風景だったような気がします。

氷川神社参道
氷川神社参道(2002.11.20撮影)

見沼田んぼは、その名前が示すとおり、江戸享保期の新田開発で干拓されるまでは「見沼」という広大な沼でした。「見沼」は、一説には「御沼」あるいは「神沼」であったとされ、古くからこの地域にとっては、信仰の対象でした。氷川神社と、中川神社(旧大宮市内中川)、氷川女体神社(旧浦和市内宮本)は、見沼を神沼とする一体の神社として古くから信仰されていたといわれています。つまり、「見沼」は首都圏近郊に残る貴重な自然ということに加え、この地域で古くから信仰を集めてきた氷川神社の神域という性格も持っているということですね。このような「見沼」の持つ深い意味合いを十分に噛み締め、後世に伝えていっていただきたい、そう願わずにはいられません。


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