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そして、近江路へ・・・


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#11 初冬の湖東三山行脚 〜紅葉の名所たる古刹の陰影〜 前編

 2018年12月2日、前日に宿泊していた京都市内を早朝に出発し、JR琵琶湖線で彦根へ向かいました。彦根駅からは、同駅に乗り入れる近江鉄道線に乗り換え、高宮駅でさらに列車を乗り継いで、多賀大社前駅へと到達しました。京阪圏を中心とした通勤圏に含まれる滋賀県東部では、宅地化が進展するとともに、家々の間に水田も残る、伸びやかな郊外の風景が広がります。切妻屋根の建物の両側に、一段低い屋根の建物が連結したような駅舎は、簡素ながらも神社のような風合いを持っていまして、歴史ある多賀神社の玄関口であることを想起させました。

多賀大社前駅

多賀大社前駅
(多賀町多賀、2018.12.2撮影)
多賀大社前駅前の鳥居

多賀大社前駅前の鳥居
(多賀町多賀、2018.12.2撮影)
雁木の見える風景

雁木の見える風景
(多賀町多賀、2018.12.2撮影)
多賀大社参道の町並み

多賀大社参道の町並み
(多賀町多賀、2018.12.2撮影)
真如寺前の風景

真如寺前の風景
(多賀町多賀、2018.12.2撮影)
多賀大社前の町並み

多賀大社前の町並み
(多賀町多賀、2018.12.2撮影)

 駅前の大鳥居をくぐり、昔ながらの建物も多く残る参道を進みます。石造りの欄干がしなやかな橋を渡り、さらに密度を増した鳥居前の町並みを歩きます。橋の近くには雁木も見受けられまして、地図で確認した限りでは、自然の川に他の河川から導水して水上交通用にも供していたかのような雰囲気を感じさせます。旅館や茶店、名物を売る店などが伝統的な結構のまま穏やかな町並みをつくっていまして、「お伊勢参らばお多賀に参れ」ともいいならわれた神社の賑わいを今に伝えています。参道が鉤の手に曲がる位置にある真如寺は、その本尊が明治期の廃仏毀釈の前までは多賀大社の本地仏でありました。趣ある建物が連続する参道をさらに進んでいきますと、杉木立に抱かれるような多賀大社の鳥居前へと導かれました。正面は参道も広く明るい雰囲気で、役場が隣接して駐車場も広く確保されていまして、現代のライフスタイルにも適応した風景となっていたのが印象的です。

 境内の参道が越える太鼓橋の下を流れる水路は、先ほど駅前で越えた流れにつながります。雲一つない青空の下、杉の成熟した松葉色の樹冠の下、檜皮葺の拝殿は輝かしくそこに鎮座していまして、冬空が醸し出す清浄な風合いに見事に呼応していました。境内にある小社をめぐりながら、随所に植えられた、錦色に染まるカエデの木と、冬の日差しとが作り出す灯火のような色彩に魅了されました。多賀大社の参拝の後は、国道307号へと出て、南へと針路を採ります。ここからは湖東三山と呼ばれる、滋賀県東部、鈴鹿山脈の山懐に鎮座する寺院を訪ねていきます。国道は郊外を貫通する幹線道路で、多くの自動車が通行していまして、程なくして、名神高速道路とも交わる地勢は、比較的狭い可住地域に都市インフラが収斂する関西エリアの特徴といえます。そうした現代的な構造物が、昔ながらの集落や寺社のある風景と目と鼻の先にあるような空気感もまた、実に関西らしい風景であるとも指摘できます。多賀大社と同じ伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)を祭神とする胡宮(このみや)神社も、名神高速を間近に見下ろす場所で、そうしたコントラストがごく自然に顕在化していました。この神社も中世以降、付近の地名にも待っている敏満寺(戦国期に戦火で廃寺)の境内社として存立した史実を持つ古社です。なめらかに摩耗した石段を覆うような紅葉が圧巻のきらめきを放っていました。

多賀大社

多賀大社・鳥居前の風景
(多賀町多賀、2018.12.2撮影)
多賀大社

多賀大社
(多賀町多賀、2018.12.2撮影)
日向神社

式内社・日向神社
(多賀町多賀、2018.12.2撮影)
胡宮神社参道の紅葉

胡宮神社参道の紅葉
(多賀町敏満寺、2018.12.2撮影)
名神高速・近江盆地を望む

胡宮神社境内から名神高速、近江盆地を望む
(多賀町敏満寺、2018.12.2撮影)
田園風景

国道307号沿いの田園風景
(甲良町金屋付近、2018.12.2撮影)

 近江盆地(琵琶湖の膨大さを考えると「近江平野」と表現したくなります)は、鈴鹿山脈から流出する河川が琵琶湖へ達するまでの間に多くの土砂を堆積させて扇状地を形成し、広大な低地と、天井川や水無川とを現出させた風景を、その典型としています。胡宮神社から名神高速をくぐった先には、そうした水の得にくい地勢を反映した、溜池を擁する集落があり、その背景にはそうした大地に通水するための用水路の史跡の石碑があり、その先に広々とした水田が広がって、近江盆地らしい景観が次々と展開していきました。犬上川をそれがつくる扇状地の扇頂部付近で渡り、さらに歩き続けていきますと、扇状地の南端の丘陵地へと国道が近づいて、続いて名神高速が併走するようになりました。そして、それらの道路が南の宇曽川流域へと下る峠へと差し掛かる手前に、湖東三山のひとつである西明寺(さいみょうじ)の門前へと至りました。紅葉の見頃を迎えていた参道は穏やかな雰囲気に整えられていまして、直下を高速道路が貫通していることをあまり気にさせない配慮がなされているのが見て取れます。

 西明寺は天台宗の寺院で、龍応山と号する古刹です。寺伝によりますと834(承和元)年に三修上人の創建とされています。寺号は、琵琶湖を西に控え、その東方に鎮座することから東を司る青龍が鎮護する人々の願いに応えるという意味が込められているといいます。参道は少しずつその勾配を上げながら、朱色や黄色、まだ黄緑色の多いものなどの色とりどりの紅葉の下を続いていきます。それらのカラフルなカエデの枝が光の当たり具合の微妙な差異によって驚くほどの明暗を見せていまして、季節の移ろいの中でこの一時に収斂した生命の輝きの尊さを感じさせました。そうした萌えるようなカエデの木々が生える参道沿いには、多くの僧坊があったと伝えられます。さらに上り坂の参道を上り詰めますと、いずれも国宝の本堂と三重塔が厳かな佇まいを見せていました。本堂は鎌倉時代初期の建立で、入母屋造檜皮葺、均整の取れた結構が、なめらかな周囲の木々のしなやかさに重なります。三重塔は鎌倉時代後期の完成で、やや盛りを過ぎて茶色がかった紅葉の色彩の中で、落ち着いた風韻を醸していました。

西明寺参道

西明寺参道
(甲良町池寺、2018.12.2撮影)
西明寺本堂

西明寺本堂
(甲良町池寺、2018.12.2撮影)
西明寺三重塔

西明寺三重塔
(甲良町池寺、2018.12.2撮影)
西明寺庭園

西明寺・庭園(蓬莱庭)
(甲良町池寺、2018.12.2撮影)
冬桜が咲いていました

最明寺境内・冬桜が咲いていました
(甲良町池寺、2018.12.2撮影)
西明寺の紅葉

西明寺の紅葉
(甲良町池寺、2018.12.2撮影)

 山上と麓とで微妙に色づく具合の異なる見事な紅葉の波の下、参道を下りながら、1年という循環の中で繰り返す静と動との胎動のクライマックスとして命を燃やす生命の営みを実感します。本坊前の庭園は国の名勝指定を受けていまして、「蓬莱庭」の異名を持ちます。境内の段差を生かした作庭は、自然のありのままの美しさを余すところなく描写していまして、我が国における伝統的な美意識の粋を感じさせました。西明寺からは、滋賀県が管理する「湖東三山自然歩道」を辿り、二つ目の寺院である金剛輪寺へと向かうこととしました。

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