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そして、近江路へ・・・



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#1 比叡の山並み 〜序章、近江路への視角〜

 2007年12月14日、近江路への道筋をスタートさせる前に、京都市左京区、賀茂川と高野川が出会って鴨川となるほとりの出町柳を訪れました。冬の日の朝は川面の水もたいへん澄んだ紺色を呈していて、きらきらと朝日を照り返していました。静かな町並みの向こうに、たおやかな稜線の比叡の山並みがシンボリックに眺望されます。山頂は大比叡(標高848.3メートル)と四明ヶ岳(標高838.8メートル)に分かれているものの、京の町からはそれらを判別しにくいようです。京都の市街地からは北東方向にある山のため、鬼門を守る王城鎮護の山とされていた山は、古来から信仰の対象であり、最澄が庵を結んだことに始まる比叡山延暦寺の寺域が広く展開することでも知られております。京都市街地を見守るように、穏やかに佇むような比叡山のなめらかな山並みはたいへん美しくて、洛北を散策している間も、その姿に心癒されていました。

 ここ数年、関西というさまざまな色彩に彩られた地域をめぐるようになって、豊かな地域性に触れながらも、なかなか訪れることができず心残りを感じている地域もまたありました。滋賀県もそのひとつで、新幹線などで通過してばかりで、自分の足で地面を歩いたことはほとんどありませんでした。車窓などから眺める近江の風景はたいへんのびやかな雰囲気で、琵琶湖と同じかそれ以上の歴史的存在感を感じさせてあまりあるものでした。そうした感覚は京都を歩いていても時折意識されました。南禅寺の水路閣や疎水関連の史跡、そして何より近江路を印象づけたのは、ほかならぬ比叡のやわらかな山並みでした。近江路を歩き始めるにあたり、出町柳から比叡山を眺めておこうと思っての訪問でした。朝日に向かってゆるやかな姿を見せる比叡山は近江路への視角を十二分に与えてくれるものとなりました。

出町柳

出町柳からみた比叡山
(京都市左京区・賀茂大橋より、2007.12.14撮影)
坂本

坂本・日吉神社参道
(大津市坂本四丁目、2007.12.14撮影)
坂本

ケーブル坂本駅周辺の景観
(大津市坂本四丁目、2007.12.14撮影)
琵琶湖

比叡山坂本ケーブル車中から見た琵琶湖
(大津市坂本本町、2007.12.14撮影)

 出町柳から京阪で三条へ移動し、京都市営地下鉄に乗換え、乗り入れている京阪京津線を利用し浜大津へ。さらに石山坂本線に乗り換えて、比叡山の大津側の入口である坂本まで辿り着きました。駅前の道路を西へ、比叡山坂本ケーブルを目指します。緩やかなのぼりとなっている道路は古来からの信仰を受け継ぐ日吉大社の参道で、鳥居や石灯籠などが並んで、坂本の地域性を印象づけます。穴太積みで知られる坂本の町並みを抜け、枯葉がやわらかに舞い降りる木立の中、比叡山高校の裏手にひっそりと佇むケーブル駅に到着、比叡山に向かいました。まっすぐと立ち並ぶ杉木立を抜けると、背後に雄大な琵琶湖の水面が見えてまいります。この日はやや強い寒気が日本付近に入っていたようで、日本海側から侵入してくると思しき灰色の雲が空を緩やかに覆って、湖面を冬の寒さの中に滲ませているように感じられます。ケーブル延暦寺駅に降り立ちますと、山域は麓からさらに寒さが増していて、ここが人里から隔絶された修験の地であることを実感させました。

 天台宗総本山として、約2400ヘクタールにも及ぶ寺域を擁する延暦寺は、大きく分けて「東塔」「西塔」「横川」の三塔や谷々を合わせて16谷があり、山上山下に多くの堂塔伽藍や寺院を配する仏教修練における一大山岳道場です。その山並みはたいへんに厳かな雰囲気で、「一草一木にもそうした神秘的な精神が宿っている」という表現がまさに当を得ているように感じられます。「煙雨比叡の樹林」として近江八景のひとつに数えられる風景は、いよいよ寒さが加わってきた境内にあって、よりいっそう凄みを増してくるようです。

延暦寺・根本中堂

延暦寺・根本中堂
(大津市坂本本町、2007.12.14撮影)


戒壇院・雪が舞う
(大津市坂本本町、2007.12.14撮影)
琵琶湖

ケーブル車内より琵琶湖北方を望む
(大津市坂本本町、2007.12.14撮影)
大津市街

ケーブル延暦寺駅より大津市街を望む
(大津市坂本本町、2007.12.14撮影)

 国宝の根本中堂は、最澄が建立した一乗止観院の後身で、延暦寺における本堂にあたる建物です。現在の建物は織田信長焼き討ちの後、1642(寛永19)年に徳川家光によって再建されたものであるとのことです。ケーブル駅から緩やかに続く山道を辿り、なめらかに下る階段の下、根本中堂は大いなる山々にどっしりと鎮座していました。一定の威容を示しながらも、木々の中に寄り添うようにあるその姿は、自然への畏怖と共存、そして自己への戒めといった感情を示しているかのように、どこまでも実直な佇まいです。土間が外陣より3メートルも低いという内部は、本尊厨子の前に掲げられた吊り灯篭に「不滅の法灯」が灯ります。その揺らめくような光明が、いっそうの静寂を演出します。外に出ますと、鈍色の空から小雪がちらつき始めていました。はらはら舞う雪のひとひらひとひらに、仏教文化や修験の営みなどとともに、連綿と続いてきた比叡山の歴史が垣間見えるような気がいたしました。

 根本中堂のある一帯が前述の「東塔」にあたり、延暦寺のオリジンとなったエリアであるとのことです。広大な境内の展開する延暦寺は、東塔と西塔、横川とを連絡するシャトルバスが運行されて参詣者の足となっているものの、冬季は運行休止となります。出町柳からケーブルとロープウェイで到達する京都市街地からのルートも、同様に冬季は運行が行われません(初詣期間に限り臨時運行されるとのことです)。観光閑散期ということもあるのかもしれませんが、この事実は比叡山が人里から隔絶された厳しい気候の下に置かれた山間であることをよく示していることであるとも考えられます。雪は時折激しさを増しながら境内を流れていきます。場合によっては大雪の中に身を委ねなければならないこともあるのかもしれません。雪がひらひらと舞い降りる中、刹那木々の間から射す日の光が、たいへんやさしさに満ちているように感じられました。


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