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大阪ストーリーズ


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#25 中之島から船場へ 〜水都と商都を象徴する風景(後)〜

 2019年9月7日、大阪中心部・中之島周辺を歩いてきた私は、天神橋を渡って土佐堀通へと進みました。大阪城の西惣構堀として開削され、城内と町人地とを分ける存在だった東横堀川を渡った先には、「ライオン橋」の通称で知られる難波橋。北詰及び南詰の高欄上にはライオンの彫像が置かれていることがその由来です。北浜一丁目交差点の東南には、大阪取引所の建物があり、大阪経済の父とも称される五代友厚の銅像が目を引きます。

難波橋南詰

難波橋南詰、ライオンの彫像
(中央区北浜一丁目、2019.9.7撮影)
難波橋と土佐堀川

難波橋と土佐堀川
(中央区北浜一丁目、2019.9.7撮影)
大阪取引所・五代友厚像

大阪取引所・五代友厚像
(中央区北浜一丁目、2019.9.7撮影)
大阪俵物会所跡

大阪俵物会所跡
(中央区北浜二丁目、2019.9.7撮影)
旧鴻池家邸宅跡

旧鴻池家邸宅跡
(中央区今橋二丁目、2019.9.7撮影)
適塾・緒方洪庵旧宅

適塾・緒方洪庵旧宅
(中央区北浜三丁目、2019.9.7撮影)

 
難波橋の南側一帯は北浜と呼ばれるエリアです。藩政期を通じ水運を介して金相場会所、俵物会所、銅座などが設置され、各種問屋や両替商などが軒を連ねる、大坂随一の経済の中心地となりました。現在でもその歴史が踏襲され、大阪取引所をはじめとした金融取引のまちとなっています。ここから南、現在の土佐堀川と東横堀川、そして埋め立てられた西横堀川と長堀川の囲まれた一帯は、大阪の中心業務地区で、一般に「船場(せんば)」と呼ばれる地域です。藩政期から近代にかけての町並みのほとんどは空襲により失われていますが、碁盤目上に整えられた区画はほぼ往時のままで、通りに面して両側が同じ町域である、いわゆる「両側町」のブロック構成とともに、現代に息づいています。北浜エリアは、現代的な都市景観の中に藩政期の遺構が残っていまして、適塾・緒方公園旧宅(重要文化財)もそのひとつです。江戸時代末期の町屋建築の意匠を残すこの建物は、現代的なビルの合間にあって、往時の町の姿を今にとどめています。

 現代の船場は、高層ビルの谷間に街路樹が植えられた歩道が整備された、人工的な構造物の中にあっても自然のしなやかさにもふれあえる風景が整えられている印象です。藩政期、「天下の台所」と呼ばれたこの町では、縦横に張り巡らされた水路を介して、西廻り航路から供給される物流をダイレクトに受け止める、実際に物や金が現物として日々取引される舞台であったことでしょう。大阪の町はそうした歴史の上に都市基盤が確立した一方で、現在はいわゆるビジネス街であり、見た目にはそうした商流は認められません。そこは日本の他の多くの業務地区と同様に、日中に就業者が集まる場であって、いわゆるコミュニティとしての商業の町であるとは言えなくなっています。しかしながら、地区に点在する「大坂」の事物の跡を示す石碑や、点在する近代の建物の存在に、この町が経た歴史に思いを致すことができます。銅座跡に建てられた愛珠幼稚園は1880(明治13)年の建築で、これは我が国最古の現役の木造園舎です。

適塾と現代の船場

適塾と現代の船場のビル群
(中央区北浜三丁目、2019.9.7撮影)
船場の町並み

船場の町並み
(中央区今橋三丁目付近、2019.9.7撮影)
愛珠幼稚園

愛珠幼稚園
(中央区今橋三丁目、2019.9.7撮影)
高麗橋ビルディング

高麗橋ビルディング
(中央区高麗橋二丁目、2019.9.7撮影)
少彦名神社

少彦名神社
(中央区道修町二丁目、2019.9.7撮影)
旧小西家住宅

旧小西家住宅
(中央区道修町一丁目、2019.9.7撮影)

  製薬会社が建ち並び、かつて薬問屋が集積していた歴史を残す道修町(どしょうまち)の通りを東へ歩きます。ビルに隠れるように、薬の神様として崇敬を受ける少彦名(すくなひこ)神社がこぢんまりとした社殿を構えていました。神社には中国の薬神である神農も祀っていることから、神社は「神農さん」の名でも親しまれています。堺筋を南へ1ブロック下り、平野町の通りを西へ進みますと、北組惣会所跡の石碑が佇みます。大坂の町は大川以北の天満組、本町通北の北組、同以南の南組からなり、「大坂三郷」と称しました。惣会所は町人の代表が行政を担った場所で、町人が自治の中心的な役割を持ったこの町の特質を示しています。船場エリアの現代的な都市景観と、点在する近代建築の佇まいを一瞥しながら堺筋に出て、コミュニティを分ける存在であった本町通を東へ進んでいきます。

 船場の東縁である東横堀川の上には、阪神高速の高架がすっぽりと被さっていまして、現代における都市の物流の姿をまじまじと表現しています。堀に架かる本町橋は1913(大正2)年に掛け替えられた、大阪市内でも最古の現役の橋梁です。石造の橋はモダンな雰囲気を存分に感じさせまして、この町の商都としてのたゆみない歩みを実感させていました。本町よりすぐ南には、東横堀川がクランク状に曲がる、「本町の曲がり」と呼ばれる部分が現存しています。このクランクがあるのは、掘削時に寺院があったのを避けるためともいわれています。現在ではこのクランクが目立たないほどの大通りとなった中央大通りが東西に貫通していまして、藩政期以来の伝統をもつ商業の町が、現代における大都市へと進化した道程を今に示しているようにも感じられます。

北組惣会所跡

北組惣会所跡
(中央区平野町三丁目、2019.9.7撮影)
船場ビルディング

船場ビルディング
(中央区淡路町二丁目、2019.9.7撮影)


綿業会館
(中央区備後町二丁目、2019.9.7撮影)
本町一丁目交差点

本町一丁目交差点
(中央区本町一丁目、2019.9.7撮影)


本町橋
(中央区本町橋、2019.9.7撮影)
御堂筋

御堂筋の風景
(中央区本町三一丁目、2019.9.7撮影)

 東横堀川とその周辺の風景を一瞥した後は、本町通を東へと辿り、大阪都心における南北の基軸となるメインストリートとして全国的に知られる御堂筋へと進みました。中央大通に来ますと、その道路下に建設された「船場センタービル」に、道路拡幅区の際の代替として、高架下に商業ビルを建設するアイデアを出したという、この町の商業中心の気質を感じました。御堂筋より一筋東の道路(心斎橋筋)へと歩を進めました。

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