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大阪ストーリーズ


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#16 古市から藤井寺へ 〜歴史性豊かな大都市圏近郊地帯〜

 富田林駅から再び近鉄長野線に乗車し、二駅目の古市駅で下車しました。南大阪線が接続するこの駅は羽曳野市における交通の要衝のひとつとなっており大都市圏近郊の町として一定の集積性があることに加え、歴史のある竹内街道が通過すること、そして何より「古市」という穏やかな名前に惹かれての訪問でした。竹内街道は古市駅の東側では国道166号への指定が信じられないほど、車道としては狭隘な道路で、自動車の行き違いができないことから道路は東から西方向の一方通行になっています。それほど狭い道路にもかかわらず国道指定されているあたりに、日本書紀の推古天皇21年(613年)の条に「難波より京(飛鳥)に至る大道を置く」と記される日本最古の「官道」として知られる由緒を持つ竹内街道ならではの存在感が垣間見えるような気がいたします。 駅に近いあたりは近隣商店街となっており、行き交う人波もそこそこにあって、大都市近隣通勤圏における小中心らしい光景が展開されていました。

 駅に東接したちょっとした高まりに白鳥神社が鎮座します。設置されていた表示板は、(1)もとは軽里(かるさと)地区西方の伊岐谷(いきだに)に祀られ「伊岐宮(いきのみや)」と呼ばれていた。(2)後に南北朝や戦国期の戦火で衰微し、峯ケ塚古墳(みねがづかこふん)に小祠として祀られたが1596年の慶長大地震で倒壊し放置された。(3)江戸時代の寛永末期に現在地に移され、日本武尊(やまとたけるのみこと)と素戔鳴命(すさのおのみこと)を祭神とする古市の産土神となった、という略史を伝えていました。神社としてはやや珍しい入母屋造に瓦屋根の社殿は、駅前の商店街の喧騒から離れた場所で、静かに地域の歴史を伝えているように感じられました。

白鳥神社

白鳥神社
(羽曳野市古市一丁目、2007.12.16撮影)
蓑の辻

蓑の辻・旧羽曳野市商工会館(建物は現存せず)
(羽曳野市古市二丁目、2007.12.16撮影)
竹内街道

クランク状に曲がった竹内街道
(羽曳野市古市二丁目、2007.12.16撮影)
竹内街道

竹内街道沿いの町並み
(羽曳野市古市一丁目、2007.12.16撮影)
白鳥北交差点

白鳥北交差点付近の景観
(羽曳野市白鳥三丁目、2007.12.16撮影)
古市駅

近鉄古市駅西側付近
(羽曳野市栄町、2007.12.16撮影)

 狭い国道を東へ、商店街と住宅街が交錯するような町並みを進みます。「左大和路 右大阪」と刻まれた道標の傍らには、コンクリート造のシンプルな洋館が佇みます。1909(明治42)年頃、富田林銀行古市支店として建設されたこの建物は、後に羽曳野市商工会館へと転用されて旧街道沿いの穏やかな商店街に豊かなアクセントを与えていました(商工会館は郊外に新設され、旧館となった建物はしばらく残されていたものの、後に取り壊されて現存はしていないようです)。この洋風建築前の辻は「蓑の辻」と呼ばれ、交差する南北の通りは東高野街道であり、古市の中心的な位置にある場所であったようです。現在の静かな印象の町並みは、クランク状になった道路構造(富田林で言う「あて曲げの道」)が認められるなど旧街道に沿って古くから発達してきた地域の歩みをのびやかに伝えていました。

 駅前に戻り、踏切を渡って西側に出ますと、中層のマンションやスーパーマーケット、バスターミナルなどが整備・建設されている現代的な町並みへと変貌します。広い国道には多くの車両が行き交って、大都市圏近傍の郊外における典型的な景観が広がります。そうした現代的な郊外景観に包まれる一方で、ここから藤井寺市域にかけてのエリアは、前方後円墳31基、円墳30基、方墳48基、墳刑不明14基、計123基から構成されるという、全国でも有数の規模を持つ古市古墳群の只中でもあります。およそ4キロメートル四方にも及ぶ古墳群の中には、日本で2番目の墳丘長を誇る応神陵古墳(誉田御廟山古墳)を筆頭に、墳丘長200mを超える巨大な前方後円墳が6基、100m以上の大古墳が9基もあるのだそうです(羽曳野市ホームページより一部引用)。ただし、上から見ればはっきりと形を見て取れる古墳も、下から見ますと、周辺の都市的な景観もあいまって小規模な雑木林のように視界に入ります。古墳群の作る森の緑は、史跡としての歴史性というよりも、むしろ東に広がる二上山系の山並みと連接しながら、無秩序に広がった郊外的な市街地に潤いを与える存在と言った方が的を射ているような気もいたしました。

応神天皇陵

応神天皇陵
(羽曳野市誉田五丁目付近、2007.12.16撮影)
葛生寺

葛井寺
(藤井寺市藤井寺一丁目、2007.12.16撮影)
門前商店街

葛井寺・西門筋商店街南の町並み
(藤井寺市藤井寺一丁目、2007.12.16撮影)
西門筋商店街

西門筋商店街の町並み
(藤井寺市藤井寺一丁目、2007.12.16撮影)
辛国神社

辛国神社
(藤井寺市藤井寺一丁目、2007.12.16撮影)
藤井寺駅

近鉄藤井寺駅北口の景観
(藤井寺市岡二丁目、2007.12.16撮影)

 藤井寺市に入り、西名阪道の高架を北に見ながら西に進み、マンションや戸建ての住宅街、畑などがモザイク状に続く景観の中を歩いていきます。時折豪奢な門構えの旧家があったり、道幅が急に狭くなったりして、農村的な土地利用形態であった地域が急激に市街化されていたプロセスが見て取れるような景観です。葛井寺(ふじいでら)は、そんな場末的な町並みの中に納まるかのように鎮座していました。葛井寺は、紫雲山三宝院剛琳寺と号し、剛琳寺とも称される古刹です。古代の氏族葛井氏の氏寺として、7世紀後半、いわゆる白鳳時代に建立されました。平安時代後半には観音霊場として知られるようになり、江戸時代から西国三十三番観音霊場の第五番札所として賑わっているとのことです。また、国宝の本尊を拝観できる毎月18日の観音会も著名で、毎年8月9日の「千日まいり」にはたくさんの拝観者が訪れるとのことです。お寺の西側に展開する門前の商店街がお寺の雰囲気に溶け込んでいてたいへん穏やかな印象です。西に接する辛国神社の佇まいとともに、古きよき町並みの味わいを十分に漂わせていました。

 神社を出て、大型マンション「グランスイート藤井寺」と四天王寺学園小学校の敷地へと生まれ変わりつつあった藤井寺小学校跡地を一瞥しながら、近鉄南大阪線藤井寺駅を目指しました。県道が駅前を通過して相対的にせせこましい印象の南口とは対照的に、バスターミナルやスーパーマーケットなどが立地する北口は開放的な町並みとして整えられていました。日本でも有数の古墳群の只中にある地域は、都市化の波にもまれながらも、随所に歴史が刻まれた景観を残していました。
 

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