Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > 新潟天地豊穣・目次

新潟・天地豊穣

#3ページへ #5のページへ
#4 港町新潟 〜水が結び、水に挑み、水とともに生きる町〜  後編

新潟市役所の庁舎は1989(平成元)年落成の比較的新しい建物で、白山神社前の広い交差点の先に屹立しています。この広い交差点には、かつて新潟交通電車線の「白山前駅」がありました。歩道に設置されていた案内表示によりますと、「この駅舎は田中賢太郎の設計により1936(昭和11)年に建設されました。隣接する石造りの県庁舎とともに昭和初期のモダン都市新潟の雰囲気を漂わせていました」、とあります。新潟市役所が立地する場所こそ、そのかつての県庁舎があった場所です。1985(昭和60)年に、県庁は現在の位置(信濃川右岸、新光町)に移転しています。その県庁の跡地に市役所が建築される前に市役所があった場所には、現在は新潟市街地のシンボルタワーである、21階建ての高層ビル「NEXT21」が建っています。新潟交通電車線「白山前駅」は県庁の移転によって「県庁前駅」から改称されて新潟の町を走る市内電車線の終着駅として機能し続け、1992(平成4)年の東関屋〜白山前間の廃止に伴ってその役割を終え、その年の秋に撤去されたとのことです(なお、同線東関屋以南の路線も、その後廃止されています)。多くの自動車が通り抜け、前述の市庁舎や新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)等の建築物が並ぶこの界隈は着実に現代の都市空間へとその風貌を変える一方で、白山神社の緑や大鳥居、昔懐かしい雰囲気を残す古町の雁木、県政記念館の白亜の建物などもあり、実にのびやかな、はつらつとしたエリアであるように思いました。

昭和大橋北詰から、信濃川の左岸の堤を歩きます。このあたりは「やすらぎ堤緑地」として整備されていまして、水辺空間とのふれあいと、桜並木とのたおやかな出会いが快い空間となっております。悠然と、しずかに流れる信濃川を右手に、並木の列とやわらかい風情の住宅地が背後の市街地の高層建築物を隠す様子を左手に、大きく大きく広がる空の下、ゆっくりと散策します。八千代橋をくぐり、朱鷺メッセのビルが川の向こうにはっきり見えるようになりますと、万代橋の姿がはっきと眼前に迫ってきます。

市役所前交差点

市役所前交差点
(新潟市学校町通1番町、2004.11.14撮影)
県政記念館

新潟県県政記念館
(新潟市一番堀通町、2004.11.14撮影)
古町通の景観

古町通の景観
(新潟市古町通1番町、2004.11.14撮影)
やすらぎ堤緑地

やすらぎ堤緑地
(新潟市川端町一丁目、2004.11.14撮影)

水と向かい合う新潟の市街地景観を象徴する事物の1つである万代橋は、六連のゆったりとしたアーチの姿を信濃川の水面に映していました。初代のものは、1886(明治19)年に竣工し、木造の橋が当時はまだ現在よりも川幅が広かった信濃川の両岸を結んでいました。その橋の長さは782メートル(現在の約2.5倍)だったそうです。新潟市街地は、元来信濃川西岸の新潟町と、東岸の沼垂(ぬったり)町とでそれぞれ別の市街地を形成していました。万代橋の架橋は両市街地の結合を促進し、1914(大正3)年に新潟市は沼垂町を合併しました。当初は、「萬代橋」と書いて「よろづよばし」と読んでいました。それがいつの間にか読み方は「ばんだいばし」、表記は「万代橋」と変化したのだそうです。現在の鉄筋コンクリート橋は、1929(昭和4)年に完成しています。そして、本年架橋75周年を記念する改修により、正式表記は再び「萬代橋」に定められたとのことです。新潟市の中心商店街と、新潟駅前とを結ぶメーンストリートの動線上に位置し、新潟をシンボライズする美しい、絵になる場所として、今後とも多くの市民に愛される場所となるでしょうか。

万代橋

万代橋(東岸より)
(新潟市万代三丁目、2004.11.14撮影)
万代橋夜景

万代橋夜景(東岸より)
(新潟市万代三丁目、2004.11.13撮影)
ふるまちモール

「ふるまちモール」の景観
(新潟市古町通7番町付近、2004.11.13撮影)
背後のビルは「NEXT21」

柾谷小路、本町通付近の景観
(新潟市本町通7番町付近、2004.11.13撮影)

万代橋のたもとから、市街地中心部へは、この日の前日の夕刻、ざっと散策しました。いずれの通りもアーケードや雁木が設置されていて、人々の通りも多くて、明るい、華やいだ雰囲気に好感を抱きました。雁木の慎ましやかな景観が印象的だった古町通も、この付近では大掛かりなアーケード街となっていて、新潟市中心部における一大繁華街となっていることが見て取れました。本町通では、「ニュー本町」として近代的にアーケード化した通りのここかしこに野菜などを並べた市(本町市場)がありました。また、本町通と柾谷小路の交差点には新潟市の道路元標が設置されていまして、ここが新潟の市街地のまさに中心であることを実感させました。付近に設置されていた案内標示板によりますと、この場所は江戸時代から新潟の町の中心だったとのことです。江戸時代、柾谷小路は幅6メートルほどで、その名のとおりの規模でした。その後、万代橋の架橋による改良と、昭和に入ってからの大拡幅を経て、現在の広幅員の街路となったものであるようです。本町は江戸期には呉服などを商う問屋のみが立地を許された場所で、市街地の中心性を牽引する役割を担ってきた問屋街だったのだそうです。その後時代は移り変わり、卸売の町としての色彩は薄くなりました。今は自由市場も立つ、庶民的な雰囲気を残した、市街地の中心商店街として変わらぬ喧騒を今に伝えています。

信濃川河口

朱鷺メッセより、信濃川河口
(新潟市万代島、2004.11.14撮影)
信濃川と市街地

朱鷺メッセより、信濃川、手前は万代橋
(新潟市万代島、2004.11.14撮影)

※ビルのガラスに反射した展望室内の様子が写真に映りこんでいますが、ご了承願います。

信濃川に程近い、「朱鷺メッセ」の展望室から、新潟の市街地を一望しました。なにより、このまちを、新潟の大地を潤す信濃川の姿が印象的です。そして、遥かなる広がりを見せる越後平野の雄大さ、その縁にゆるやかな稜線を描いて大地を包み込む山なみも、実にたおやかです。南には、弥彦山や角田山の姿もあります。港には、出航を待つ佐渡汽船のフェリーが停泊しています。旧税関の建物、砂丘の緑地、NEXT21を中心とした市街地、万代橋・柳都大橋をはじめとした橋の数々が、はっきりと確認できました。ほんとうに、すばらしい大地です。感嘆せずにはいられないほどです。

信濃川の水は、この日黄土色に濁っているように見えました。地元の方に伺ったところによれば、雨が降った後など、川面が濁ることは珍しくないことであるとのことでした。しかしながら、この日の川の色は、あるいは地震による土砂の流入が少なからず影響していたのではないかと思われました。私には、それが信濃川が中越地方の大地の色を溶け込ませ、涙している姿に見えました。新潟の大地に穏やかな生活の息吹が、着実に息を吹き返し、この豊穣の大地の上で、光り輝く明日を、願ってやみません。


#3ページへ

#5のページへ
このページのトップにもどる

新潟・天地豊穣のトップにもどる      ホームページのトップにもどる

(C)YSK(Y.Takada)2005 Ryomo Region,JAPAN