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奈良クルージング


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#10 大和郡山市街地とその周辺 〜環濠集落と城下町の面影を歩く〜

 2019年7月15日、前日までの京都フィールドワークからは位置を変えて、およそ3年ぶりに奈良を訪れることとしました。前日の夜神戸の夜景を見る関係で宿泊先をJR新大阪駅近くに取っていたため、奈良へは新しい路線による地域変化を確認することも兼ねて、JRおおさか東線で久宝寺駅へと向かいました。同線は大阪の都心部の東側を迂回する形で供用されていた「城東貨物線」を旅客化し、一部新規路線を接続して新大阪駅まで延伸したもので、将来的には大阪駅北側の再開発エリアに新設される、いわゆる「うめきた新駅」への延伸も見込まれています。

佐保川

佐保川
(大和郡山市稗田町、2019.7.15撮影)
稗田環濠集落

稗田環濠集落、大和棟の見える風景
(大和郡山市稗田町、2019.7.15撮影)
賣田神社

賣田神社
(大和郡山市稗田町、2019.7.15撮影)
稗田環濠集落の風景

稗田環濠集落の風景
(大和郡山市稗田町、2019.7.15撮影)
稗田環濠集落の風景

稗田環濠集落の風景
(大和郡山市稗田町、2019.7.15撮影)
稗田環濠集落の風景

稗田環濠集落の風景
(大和郡山市稗田町、2019.7.15撮影)

 久宝寺駅からはJR大和路線(関西本線)で郡山駅へ。城下町を基礎とする市街地の東に位置する中心駅の一つです。西方には近鉄郡山駅もあり、こちらのほうが大阪都心へのアクセスが良く利用者も多い傾向にあります。市街地を散策する前に、駅から南方に位置する「稗田(ひえだ)環濠集落」を目指すべく、南へと歩を進めました。駅から離れますと、程なくして周囲は水田が卓越した土地利用へと変化していきます。奈良市から流出する佐保川を渡り、周囲を壕で巡らせた往時の佇まいを今に伝える稗田集落へと歩きます。稗田集落の近傍には、古代における主要な官営道路であった「下ツ道」の遺構を伝える説明板がありました。下ツ道は、平城京の中央を南北に貫いたメインストリートである朱雀大路を南に延長した、大和盆地における一大幹線道路でした。多く残る条里制の痕跡と共に、このエリアが古来より開かれてきたことを端的に示すものであるともいえます。

 集落は現在でも周囲を堀で囲んでいます。西側に架かる橋からその内側に入り込みますと、狭い路地に昔ながらの佇まいの土蔵造や板壁の建物が建ち並んでいました。集落の中程、堀に接して賣田(めた)神社の境内が広がっています。祭神として祀る稗田阿礼は、古事記の編纂者の一人ともされる人物で、この事績はこの地域の歴史の深さを物語っています。集落には勾配のある藁葺き屋根の妻側に瓦葺きの一段低い屋根をつけることが特徴の「大和棟(やまとむね)」の建築様式を今に残す建物も存在して、特色ある景観を残しています。多くの街路は道幅が極端に狭く、自衛のために環濠内に集住した往時の姿が、その集落構造に濃厚に記録されていたのが印象的でした。

稗田町付近の田園風景

稗田町付近の田園風景
(大和郡山市稗田町、2019.7.15撮影)
JR郡山駅前

JR郡山駅前
(大和郡山市高田町、2019.7.15撮影)
高田町大門跡

高田町大門跡
(大和郡山市高田口町、2019.7.15撮影)
外堀緑地

外堀緑地
(大和郡山市高田町、2019.7.15撮影)
薬園八幡神社

薬園八幡神社
(大和郡山市材木町、2019.7.15撮影)
都市計画道路藺町線

都市計画道路藺町線
(大和郡山市紺屋町、2019.7.15撮影)

 稲が青々と生長した水田の広がる中を市街地へと戻り、JRの郡山駅の構内を経て城下町を基礎とする大和郡山の町中を歩きます。もうひとつの中心駅である近鉄郡山駅前へと続く矢田筋を進み程なくしますと、外堀緑地と交差します。郡山城下町の外堀跡を公園として供しているもののようで、この場所が「高田町大門跡」となります。外堀は水路に沿って美しく修景された散策路となっていまして、植栽された木々のしなやかさとともに、市街地の家並みに調和していました。薬園(やくおん)八幡神社や実相寺といった寺社を訪ねながら矢田筋を進んでいきますと、市街地を南北に縦貫する藺町(いのまち)線へと到達します。両側に歩道を擁する片側一車線の現代的な通りは、大和郡山市街地における最初の本格的な幹線道路として完成させた都市計画道路であるようです。整備前は他の道路と同様に、道幅がそれほど広くない道路であったようです。

 その藺町線を北へ歩きますと、紺屋町の通りへと行き着きます。町を構成する東西の通りの中央には小さな水路が通っていまして、藍染めを生業とした職人の集まる町としての景観を今に残しています。郡山の城下町には、「箱本(はこもと)」と呼ばれる町の自治組織があり、参加した町の数から「箱本十三町」と称しました。各町が1か月ごとに城下町の治安や伝馬、消防などを担当する「箱本」を輪番で担当しました。紺屋町もその町の一つで、旧紺屋の建物を利用した展示・休憩施設である「箱本館「紺屋」」は、格子壁の風合いがとてもしなやかで、水路が残る町の景観と呼応していました。大和郡山の一大産業である金魚に触れられる施設も見かけました。

箱本館「紺屋」

箱本館「紺屋」
(大和郡山市紺屋町、2019.7.15撮影)
紺屋町

紺屋町の景観
(大和郡山市紺屋町、2019.7.15撮影)
金魚ストリート

やなぎまち商店街「金魚ストリート」
(大和郡山市柳町一丁目、2019.7.15撮影)
昔ながらの町屋建築

昔ながらの町屋建築
(大和郡山市堺町付近、2019.7.15撮影)
大和郡山市役所

大和郡山市役所
(大和郡山市北郡山町、2019.7.15撮影)
大手堀の一部

市役所前、大手堀の一部
(大和郡山市北郡山町、2019.7.15撮影)

 大手堀の一部が接する市役所前を過ぎ、頬當門跡と柳御門跡の枡形が石垣とともに残る一帯を通り、郡山城跡へ。東側を近鉄橿原線が通過し、近鉄郡山駅も至近であることから、鐵道に沿う市道の交通量も多めに見受けられました。緩やかに上る途上道を行き、鉄御門跡を経て堀に囲まれた本丸にある天守台へと歩を進めました。天守台の石垣には一部に地蔵尊が転用されており、それは「逆さ地蔵」として崇敬を集めています。

 周囲を深い緑と堀に囲まれた天守台からは、遙か東にみずみずしい雲をまとった大和青垣の山並みを、眼下には大和盆地の一角に発達した大和郡山市街地とを、美しく眺望することができました。係争の耐えなかった中世の大和盆地においてたくましく町場を整え、強固な城が築かれ、幾多の情趣の変遷も経ながら城下町として存立してきたこの町の趨勢を、重厚に、そして鮮烈に感じさせる風景であったと思います。郡山城跡は「日本さくら名所100選」にも取られる桜の名所としても知られていまして、盛夏の桜木は濃い緑色の葉をいっぱいに伸ばして、真夏の日射しを受け止めていました。

頬當門跡

頬當門跡
(大和郡山市北郡山町、2019.7.15撮影)
柳御門跡

柳御門跡
(大和郡山市北郡山町、2019.7.15撮影)
郡山城跡

郡山城跡の景観
(大和郡山市城内町、2019.7.15撮影)
郡山城跡・天守台

郡山城跡・天守台
(大和郡山市城内町、2019.7.15撮影)
郡山城天守台からの展望

郡山城天守台から大和青垣、市街地を望む
(大和郡山市城内町、2019.7.15撮影)
近鉄郡山駅

近鉄郡山駅
(大和郡山市南郡山町、2019.7.15撮影)

 帰路は、再興された追手門(梅林門)や追手向櫓、追手東隅櫓などの建造物を一瞥しながら市街地へと下り、近鉄郡山駅へと進みこの町の散策を終えました。係争の耐えなかった中世の大和盆地においてたくましく町場を整え、強固な城が築かれ、幾多の情趣の変遷も経ながら城下町として存立してきたこの町の趨勢を、重厚に、そして鮮烈に感じさせる風景であったと思います。

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