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福岡、北九州、そして筑豊へ
〜“合従連衡”のノスタルジア〜

 2017年11月3日と4日の2日間、福岡市から宗像、北九州エリア、そして筑豊地方を訪れました。古来より海外との窓口として存立し、産業の成長や都市圏の成熟により、多様な変遷を示した特徴溢れる地域を見つめます。

シーサイドももち

シーサイドももち海浜公園
(福岡市早良区百道浜二丁目、2017.11.3撮影)
石炭記念公園

石炭記念公園の風景
(田川市伊田、2017.11.4撮影)


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ページ設置:2019年10月15日

福岡市の中心市街地を歩く 〜博多と福岡のコナベーションの現在〜

 2017年11月3日、空路で到着した福岡空港は屈託のない快晴の下にありました。地下鉄で快適にアクセスできる博多駅前へ移動、2日間投宿するホテルに荷を置き、福岡市の市街地の散策へと出発しました。九州新幹線(鹿児島ルート)の全線開業に合わせて建設された新駅ビル「JR博多シティ」が燦然とした都市景観を見せていました。

福岡市街地俯瞰

福岡市街地俯瞰
(航空機内より、2017.11.3撮影)
JR博多シティ

JR博多駅・JR博多シティ
(福岡市博多区博多駅中央街、2017.11.3撮影)
楽水園

楽水園
(福岡市博多区住吉二丁目、2017.11.3撮影)
住吉神社

住吉神社
(福岡市博多区住吉三丁目、2017.11.3撮影)
キャナルシティ博多

キャナルシティ博多
(福岡市博多区住吉一丁目、2017.11.3撮影)
博多川

博多川の風景
(福岡市博多区上川端町、2017.11.3撮影)

 福岡市は、那珂川を挟んで右岸に位置する歴史ある商業町である「博多」と、左岸の城下町起源の「福岡」とが合併して成立した都市であることは、この町のことを知る人にとっては知られていることだと思います。拙稿でも、2001年夏に福岡市を訪れた内容を、「福岡」と「博多」という視点から紹介しています。福岡市が九州の広域中心都市として中枢性を高めるにつれて高度に発達した中心市街地は、こうしたかつての歴史的な町の垣根を越えて連担し、両地域の特質を包含した多彩な都市的要素に彩られる近代都市としての表情を濃厚に見せています。博多駅からオフィス街を南西へ進み、後述する「太閤町割」によって築かれたという伝統的な土塀である「博多塀」に囲まれた日本庭園「楽水園」へ。楽水園は、1906(明治39)年に博多商人である下澤善右衛門親正(しもざわぜんえもんちかまさ)が住吉別荘を建てた跡地に、福岡市が池泉回遊式日本庭園として1995(平成7)年整備したものです。庭園の名前の「楽水」は、親正の雅号から採られました。南に接する筑前国一宮の住吉神社の杜とともに、都心における穏やかな緑地帯を構成しています。住吉神社は公開守護神の住吉三神を祀り、その参道はかつては入江となっていた那珂川端へと向かうように伸びています。

 住吉神社からは北へ歩を進め、博多エリアにおける再開発の象徴的な施設であるキャナルシティ博多方面へ向かいます。カネボウ工場跡地をリノベートした同施設は、1996(平成8)年に開業、博多と天神という福岡市内における2大繁華街を結ぶ立地から、開業から20年以上を経ても多くの利用客を集めています。博多川の穏やかな流れを挟んで中洲の歓楽街と向き合うロケーションも、活力に満ちたこの町の性格を表わしているようで、ある意味において気の利いた磊落として捉えられるような器量さえ感じさせます。施設の周辺はやや時代の経た中小のビルや戸建ての建物が連なる景観となっていまして、絶えず変化を続けてきた地域を現在進行形で投影しています。アーケード街となっている川端商店街の様子を一瞥しながら、博多エリアの総鎮守である櫛田神社の境内へと移動しました。

川端商店街

川端商店街
(福岡市博多区上川端町、2017.11.3撮影)
飾り山

櫛田神社境内・飾り山
(福岡市博多区上川端町、2017.11.3撮影)
櫛田神社

櫛田神社
(福岡市博多区上川端町、2017.11.3撮影)
櫛田神社

櫛田神社・石鳥居
(福岡市博多区上川端町、2017.11.3撮影)
博多町家ふるさと館

「博多町家」ふるさと館
(福岡市博多区冷泉町、2017.11.3撮影)
大博通り

大博通りの景観
(福岡市博多区御供所町、2017.11.3撮影)

 櫛田神社は、博多を代表する神事の一つである「博多祇園山笠」で知られます。境内には豪勢な装飾の「飾り山」が常に設置されています。市街地に埋もれるようにしてある神域には、この日もたくさんの参詣の人々が訪れていまして、伝統ある商人町において「お櫛田さん」と敬愛を込めて呼ばれる古社の「大きさ」を実感しました。御笠川と那珂川に挟まれた博多の町並みのど真ん中を突き抜ける大博通りに向かって進む表参道に面して建つ石鳥居には、「博多津」の氏子中が延宝3年(1675年)正月に奉納したことが刻まれています。入母屋の山門を背にして立つ重厚な鳥居がつくる風景は、穏やかさと厳かさに溢れていまして、古来より太宰府の外交として築かれ、商業が盛んな港湾都市として栄えてきた博多が積み重ねてきた歴史の厚みを感じさせます。表参道沿いには明治中期に建てられた町家を移築復元した「博多町家」ふるさと館が面していまして、そうした雰囲気をいっそう盛り上げていました。

 大博通りに出てからは、博多部(はかたぶ)と呼ばれる、町人町としての系譜をつなぐエリアへと進みます。この地域は流(ながれ)と呼ばれる町の共同体が現在に息づいていまして、博多祇園山笠などの行事も承継しています。大博通りを中心線として、碁盤目状に区画された町割りは、1587(天正15)年に九州を平定した豊臣秀吉が荒廃した町並みを復興するように命じた「太閤町割」によるものです。その博多部の東側、御供所・冷泉地区には、日本最古の禅寺と知られる聖福寺をはじめ由緒ある寺社が残り、戦災によって現代都市景観へと大きく変化した中にあって、地域は昔ながらの歴史的な町並みの風合いを今にとどめています。若八幡宮を訪ねた後、この寺社町へのウエルカムゲートとして近年建設された「博多千年門」をくぐり、承天寺通りの穏やかな松波と石畳の街路を歩き、辻の堂通り(国道202号)を挟んだ妙楽寺や聖福寺方面へと辿りました。禅宗様式の伽藍配置が伝わる境内が国の史跡の指定を受ける聖福寺は、1195(承久6)年の創建です。勅使門、山門、仏殿、方丈が直線的に並ぶ禅宗様式のラインは、太閤町割よりも前に成立していたものであり、太閤町割を基礎とする現代の町並みと微妙な不整合が認められることも、この町の長い変遷を記録するものです。

博多千年門

博多千年門
(福岡市博多区博多駅前一丁目、2017.11.3撮影)
承天寺

承天寺
(福岡市博多区博多駅前一丁目、2017.11.3撮影)
承天寺通り

承天寺通り
(福岡市博多区博多駅前一丁目、2017.11.3撮影)
聖福寺

聖福寺
(福岡市博多区御供所町、2017.11.3撮影)
聖福寺門前の景観

聖福寺門前の景観
(福岡市博多区御供所町、2017.11.3撮影)
明治通り

明治通り、秋空が映るビル(博多リバレイン)
(福岡市博多区上川端町、2017.11.3撮影)

 明治後期より市電が貫通し、福岡市中心部における中心業務地区を形成してきた明治通りを歩きます。通りの両側はオフィスビルや商業施設などによって充填されていますが、空港が至近に存在する関係で超高層ビルは皆無であり、道路の上を見上げますと、鰯雲がさわやかな空がビルの窓に映り込んで、晩秋らしい風景を観察することができました。中洲川端駅付近の商業施設集積エリア(博多リバレインなど)を過ぎますと、大きな都会の只中を静かに流れる博多川沿いに到達しました。博多大橋でその穏やかな流れを渡って中洲へ、その繁華な町並みを一瞥して那珂川端へ。博多川とは比較にならないほど広い川幅を持つその流れは、商人の町博多と武士の町福岡とを分かつのに十分な景観的象徴性を持ち合わせているように感じられました。両地区をつなぐという意味合いをその名に込めた福博であい橋は、パラソルに黒田節の盃と槍がデザインされていまして、ウォーターフロントにおける粋な装飾として機能していました。

 明治通りに沿った市街地は、往時この道を走った市電が「貫通線」を名乗ったとおり、福岡市街を横断する中枢部であると言えます。市電の役割を受け継いだ地下鉄も通りの直下を進んで、ターミナルである博多駅、そして福岡空港を結んでいます。この通り沿いの都市景観こそが、出自の異なる2つの町を有機的につないでひとつの現代都市へと昇華させた原動力の一つになっているのではないかとも実感します。今では押しも押されもしない九州最大の都市となっている福岡市も、近代初期には九州全体を統括するほどの都市基盤は備えていませんでした。明治末期から大正期にかけて一旦最大都市に躍り出るも、高度経済成長期における北九州市発足(1963(昭和38)年)で首位都市の座を譲ります。その後1979(昭和54)年に北九州市を抜いて以降は広域中心都市としてめざましい飛躍ととげ、現在に至っています。旧福岡県公会堂貴賓館や福岡市赤煉瓦文化館といった近代洋風建築を確認しながら、福岡市の中心的繁華街として多くの人々を惹きつける天神へと進みます。赤煉瓦文化館隣には、天神の地名の由来とされる水鏡神社(水鏡天神)が鎮座します。太宰府に赴任した菅原道真が自身の姿を映した場所に社殿を建てたことを端緒とするこの神社は、1612(慶長12)年に福岡藩初代藩主黒田長政がこの地に移したものです。

博多川と中洲

博多川と中洲の町並み
(博多大橋より、2017.11.3撮影)
那珂川

那珂川と福博であい橋
(福岡市博多区中洲四丁目、2017.11.3撮影)


福博であい橋
( 博多区/中央区、2017.11.3撮影)
アクロス福岡

アクロス福岡
(福岡市中央区西中洲、2017.11.3撮影)
旧福岡県公会堂貴賓館

旧福岡県公会堂貴賓館
(福岡市中央区西中洲、2017.11.3撮影)
水鏡神社

水鏡神社
(福岡市中央区天神一丁目、2017.11.3撮影)

 引き続き、秋の様相を呈する快い青空の下、九州最大の繁華街である天神の町並みを歩きます。現在の西日本鉄道の前身にあたる博多電気軌道設立に尽力した呉服商・渡辺與八郎にちなむ渡辺通りと明治通りの交差点(天神交差点)は、西鉄福岡(天神)駅を中心に多くのデパートやホテルなどが立ち並んで、この町の活力を最もダイナミックに感じることのできるエリアを形成しています。表通りに面していない一帯にもたくさんのショップが軒を連ねている様子もとても煌びやかな印象です。地下鉄七隈線の天神南駅から博多駅への延伸を見据えて商業集積エリアは南側へと拡大しているようでした。天神エリアを含む福岡の市街地は、近世初頭に前出の黒田長政が当時「福崎」と呼ばれたこの地に居城と城下町を建設し、出身地の備中国福岡に因み「福岡」と改称したことを萌芽としています。西鉄グランドホテル北のクランク状の街路(天神西交差点)などに、城下町時代の名残を辿ることができます。現在では埋められていますが、赤坂一丁目9番から東へ、大名二丁目2番、1番を経て西鉄福岡駅、渡辺通りを貫いて天神中央公園あたりまではかつて肥前堀や中堀といった規模の大きい堀が存在していました。

 明治通りをさらに西へ歩き、こちらは今も残る堀を越えて、福岡城跡を中心に整備された舞鶴公園内へと進みます。平安時代の外交・交易施設である「鴻臚館」の跡が発見され現在も発掘調査が進む鴻臚館広場には、かつて平和台球場が立地していました。広大な大空の宙空をひっきりなしに航空機が往来する園内を、往時に思いを馳せながら散策しました。ソメイヨシノの名所としても知られる城跡には、時代を経た石垣の上にわずかながら往時の面影を感じさせる櫓が残り、藩政期における城郭の姿を今に伝えていました。天守台からは城跡の緑の向こうにしなやかに展開する町並みが、さわやかな秋空と向かい合っている風景を望むことができました。

福岡市赤煉瓦文化館

福岡市赤煉瓦文化館
(福岡市中央区天神一丁目、2017.11.3撮影)
天神交差点

天神交差点付近の景観
(福岡市中央区天神一丁目、2017.11.3撮影)
天神交差点

天神交差点付近の都市景観
(福岡市中央区天神二丁目、2017.11.3撮影)
天神西交差点

天神西交差点付近
(福岡市中央区天神二丁目、2017.11.3撮影)


福岡城跡北の濠
(福岡市中央区城内、2017.11.3撮影)
舞鶴公園

舞鶴公園・鴻臚館広場
(福岡市中央区城内、2017.11.3撮影)

 福岡城跡西の大濠公園(城の外濠。草ヶ江と呼ばれた入江であった)周辺を経て、下町的な風情を感じさせる唐人町の商店街を抜けて福岡エリアの散策を進めました。福岡ヤフオク!ドームや福岡タワーなどがあるウォーターフロント再開発エリアである「シーサイドももち」へを足を伸ばし、博多湾に向かって建設された埋め立て地の現在を観察しました。福岡空港から離れていることもあり、百道浜周辺には超高層ビルも複数立地を見ていまして、郊外エリアにおいて高層の建物が多く見られるこの町の特徴をも捉えることができました。また、福岡タワー階上からは、志賀島と海ノ中道をはじめ、能古島がつくる博多湾の風景や都心部の輝き、そして糸島半島や背振山地へと続くやわらかな山並みなどを美しく眺望しました。

 「漢委奴国王印」を収蔵する福岡市博物館前を通過しながら「サザエさん通り」を進んで西新駅へ。そこから地下鉄で都心部へ戻りこの日の大方の活動を終えました。マリンメッセ福岡でのエンタテインメント鑑賞後、博多駅前の投宿先へは徒歩で戻ることにしました。全国的に知られる中洲の屋台や、那珂川に沿って煌びやかな街明かりを移す博多の夜は、どこまでも活気に溢れていました。

福岡城跡

福岡城跡・本丸天守台跡
(福岡市中央区城内、2017.11.3撮影)
大濠公園

大濠公園
(福岡市中央区大濠公園、2017.11.3撮影))
福岡ヤフオク!ドーム

福岡ヤフオク!ドームを望む
(福岡市中央区知行浜一丁目、2017.11.3撮影)
能古島と志賀島

福岡タワーから能古島、志賀島を望む
(福岡市早良区百道浜二丁目、2017.11.3撮影)


福岡タワーを周辺の都市景観
(福岡市早良区百道浜二丁目、2017.11.3撮影)
夜の中洲の風景

夜の中洲の風景
(福岡市博多区中州付近、2017.11.3撮影)

 今回久しぶりに福岡市街地を、「博多」と「福岡」という視点も意識しながら歩きましたが、そうした歴史的な枠組みを基礎としながら一体的な現代都市へと成長したこの町の現在を、さらに強烈に、そして濃厚に感じることができたような気がいたしました。その姿こそ、ここを訪れる人々の心を揺さぶるのだと思われました。


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