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神戸メモリーズ・アンド・メロディーズ

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V.神戸市東部の山手を歩く

(10)森地区から摂津本山駅へ 〜緑に囲まれた住宅地を行く〜

 阪急芦屋川駅は、その名のとおり芦屋川にせり出すような格好になっており、駅の北側には「山手サンモール」という小ぢんまりとした商店街が続いていました。びっしりと店舗が並ぶというよりは、一般住宅に混じりながら個人商店が並んでいるといった印象で、閑静な住宅地とともに寄り添い存立しているような雰囲気の、穏やかな風貌の商店街であるように感じられました。建物が密集しているこの地域では、北や南に入る道がある場所では急にそれぞれの方向への視界が広がって、短い間隔で列車が往来する阪急線の線路や、なめらかな山容を見せる六甲の山並みが色づいた様子などが鮮烈に目に入ります。

 ふと、路傍に「芦屋廃寺跡」と刻まれた碑(いしぶみ)を見つけました。調べますと、碑のある芦屋市西山町はかつて旧摂津国兎原郡(うはら・うばらぐん;現在の神戸市東部・芦屋市・西宮市西端にかけての地域に存在した郡)の中心的な古代寺院があった場所であるそうで、「塩通山法恩寺」なる名前の寺院があったとする記録もあるのだそうです。六甲の山々が海に迫るこの地域は、畿内と西国とを結ぶ要路が収斂し、その風光もあいまって、多くの歴史的エピソードの舞台となりました。何気ない現代の町並みの中で、並々ならぬ史実に「何気なく」出会えるのは、関西を歩く醍醐味のひとつです。芦屋市と神戸市の境となっている急坂の細道を登って、森北町の四丁目と同六丁目の境をなす街路を進みました。南には、穏やかな家並みの中に構想の建築物群が並立する現代都市の風景が軽やかに眺められます。おそらく、そう遠くない昔では、海岸線や、もしかしたら対岸の泉州方面も、ここから見通すことができたのかもしれません。

山手サンモール

山手サンモール
(芦屋市西山町、2007.12.15撮影)
阪急線

阪急神戸線の踏切
(芦屋市西山町、2007.12.15撮影)
森北町

森北町の景観
(東灘区森北町五丁目付近、2007.12.15撮影)
高橋川

高橋川
(東灘区森北町四丁目、2007.12.15撮影)

 高燥な住宅街を貫く道路の両側は、住宅地としては比較的急傾斜面であるように見える一方で、道路そのものにはアップダウンはほとんど無くて、道路に沿って歩いている間は、急な傾斜の中を進んでいるという印象はあまり受けません。道が跨いだ「高橋川」の名のある流れは、川というよりは三面を舗装された配水管のような姿をそこでは見せていました。この流れは下流に向かうにつれ、要玄寺川などの流れを集めて徐々に川幅を増し、深江大橋のたもとで海に注ぐ「河川」へと「急成長」します。都市化は、このエリアが本来持つ、「山の南面の急傾斜地であり、かつ狭い流域を持つ小河川があって、集中豪雨等の際にはそれらが氾濫し、水害が発生しやすい」という属性を十分に見えなくしてしまう嫌いがあるように思います。

 しかしながら、六甲山麓の南に穏やかに展開するこの地域は、なめらかな"茅渟(ちぬ)の海"に向かう、のびやかな風光に恵まれた地域であることには違いありません。そして、そうした地域性に惹かれながら日常を過ごす人々の生活の舞台でもあります。高橋川の右岸(西側)に鎮座する森稲荷神社は、森・深江・青木(おうぎ)3地区の鎮守。毎年5月、東灘区域でいっせいに開かれる祭礼では、各地区のだんじりが境内に一堂に会し、盛り上がりを見せます(深江地区のだんじりは森稲荷神社の宮司が神主を兼務する大日霊女神社(おおひるめじんじゃ;地域では「大日さん」として親しまれる)を鎮座地としているようです)。  

本山北町

本山北町、市街地を俯瞰
(東灘区本山北町四丁目、2007.12.15撮影)
本山北町

本山北町の景観
(東灘区本山北町四丁目、2007.12.15撮影)
本山北町

本山北町の路地
(東灘区本山北町四丁目、2007.12.15撮影)
小路八幡宮

小路八幡宮神社
(東灘区本山北町五丁目、2007.12.15撮影)

 阪急線をくぐって国道2号・籾取交差点方面へ下っていく道路から離れ、真光寺の前の細道を分け入りますと、住居表示は森北町四丁目から本山北町四丁目へと移り変わります。緩やかな道路が貫通していた森北町での風景とは打って変わって、自動車も侵入できないような路地が家々の間を縫うようにある景観へと変化していきます。住宅の敷地の中には土蔵が見えたり、家々の間に野菜が植えられた畑が点在していたりと、現代の住宅地に混じって、一部に昔ながらの街並みが残されているようすが確認できます。もちろん、現代のライフスタイルにも適応し、自動車が通れる道幅の道路もつくられています。しかし、それらの道路は集落内の道路の広い部分を連結しながら半ば強引に進むことが多いためか坂道となっていることが多く、歩くにはけっこうきつい場面にもしばしば遭遇しました。小豆色の車体の列車が軽快に行き過ぎる阪急線に並行するように道を選んで西へ進むと、自然に高台に導かれて、気がつきますと眼下は家々の屋根が見えるようになり、沿岸部への視界も利くようになっていきました。中低層のマンションが低層の住宅地の中に屹立する景観の彼方には、東神戸大橋の斜張橋の姿が爽快に眺められます。

 坂道を下ったり、上ったりしながら、緑に溢れる住宅地の間を抜け、先に紹介した要玄寺川の上流に当たる小川を渡って(「臼井橋」という名前の橋で、橋には「風呂の川」という文字が刻まれていました)、落ち葉が軽やかに舞い降りる小道を進んだ先に、小路(しょうじ)八幡宮神社の小ぢんまりとしたお社が佇んでいました。境内には「尼崎領」と刻まれた石碑がありました(後日ネット上を検索しますと、江戸中期に建てられた尼崎藩による領界標石と推定するサイトがありました)。「小路」とは、このあたりが「本山北町」の住居表示によって統一される前に存在した集落名のようで、住居表示の範囲から外れた山間部に地名が残る「中野」や「北畑」、「田辺」とともに、保久良神社をだんじりの鎮座地とするグループを構成しています。ただし、「灘の一灯」で知られる保久良神社は金鳥山の中腹に存在することから、4地区のだんじりはその御旅所である鷺宮八幡神社の境内に納められているようです。東灘区内では、これらの他にも、旧来からの集落を基礎にした自治会が構成され、だんじりを保有するなど、活力のある地域コミュニティが根づいているようです。

東神戸大橋

東神戸大橋を望む
(東灘区本山北町四丁目、2007.12.15撮影)
山手幹線

山手幹線・JR摂津本山駅入口付近
(東灘区本山北町三丁目、2007.12.15撮影)
摂津本山駅

JR摂津本山駅
(東灘区岡本一丁目、2007.12.15撮影)


JR摂津本山駅前
(東灘区岡本一丁目、2007.12.15撮影)

 鷺宮八幡手前で阪急線を渡り、山手幹線に出ました。ここまで来ますと、穏やかな住宅街から中低層のマンションや商業系の建物が立ち並ぶ、都市近郊の幹線道路沿いのやや密度の高い景観となります。山手幹線は長田区の長田交差点から東へ、芦屋市、西宮市を経て尼崎市の大阪府境まで繋がる道路で、現在は芦屋川を挟んだ区間を未開通区間として残すのみとなっているようです。神戸市内、特に東灘区周辺ではその名のとおり山手と平坦部とを分ける視覚的象徴性を持ったパスとして受け止められ得る存在であり、高い建物が多くなって六甲や海岸方面への視界が利きにくい現代にあってはその性質がいっそう強いものになっている印象です。そんな山手幹線の歩道を西へ、駅の方向へ進みました。

 阪急岡本駅とJR摂津本山駅が近接するエリアは、都市的な属性が強い山手幹線沿線にあってさらに中枢的な性格が濃厚な駅前の商業地を構成していました。人の流れも格段に多く、活気に満ちています。中層の商業ビル群がまとまった駅前は、色とりどりの花が並べられた花屋があったり、飲食店が集まっていたりして、郊外における中心的な商店街としての色彩が目に映る一方、寄棟造の駅舎の小ぢんまりとした佇まいが実に奥ゆかしく感じられました。

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