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神戸メモリーズ・アンド・メロディーズ

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V.神戸市東部の山手を歩く

(11)岡本から御影、六甲駅へ 〜阪急沿線、多様な町並み〜

 JR摂津本山駅を出て、再び阪急線方面へと進みました。阪急岡本駅とJR摂津本山駅の間の市街地は、鉄道駅が近接している立地条件もあって商店街としてまとまった市街地が形成されていて、人の流れもちょっとした中小都市の中心駅前を思わせるほどの雰囲気です。店舗のラインアップも、昔ながらの雰囲気の商店から趣向を凝らした今風のショップ、そしてチェーン店などが入り混じる構成となっており、商店街として新陳代謝がうまくいっているといった印象を受けました。山手幹線からひとつ北に入った「フェスティバル通り(水道みち)」と名づけられた街路の一角に設置された「岡本駅南都市景観形成地域」なる表示が目に留まりました。この地域では「岡本地区まちづくり協定」が地元街づくり協議会と市長との間で締結され、店舗の出店制限や用途地域制限など、都市景観を維持するための都市計画上の取り決めがなされ、地域の特色ある景観づくりへの取り組みがなされているとのことでいた。

 まちづくり協定を説明した掲示板の文章を引用しますと、ここに言う「岡本駅南地区」は、阪急駅とJR駅とが近接しているという交通の利便性や六甲南麓の恵まれた自然条件を背景に阪神間の良好な住宅地として発展してきたといいます。これに加え、周辺には甲南大学をはじめ、神戸薬科大学、甲南女子大学が立地していることから学生街としての性格も帯びて、幅広い年齢層の人々が集う現代的な町並みが形づくられるようになったとのことです。フェスティバル通りは果たして多くの人々が歩いておりまして、道が狭いなど開放的な空間がやや不足気味であることは否めないものの、大都市圏内における近隣商店街としてのびやかに現在を過ごしている姿が好印象なエリアであるように思いました。阪急岡本駅まで緩やかに続く「岡本坂」を歩き、岡本駅前から西へ、「キャンパス通り」と呼ばれる街路を進みました。

岡本

岡本の景観
(東灘区岡本一丁目、2007.12.15撮影)
岡本

“岡本坂”の景観
(東灘区岡本一丁目、2007.12.15撮影)
岡本

岡本、“キャンパス通り”の景観
(東灘区岡本一丁目、2007.12.15撮影)
天上川

天上川の景観
(東灘区岡本一/二丁目、2007.12.15撮影)

 天上川を渡る橋上からは、緩やかに下る流れの向こうに穏やかな表情を見せる六甲の山並みが本当に美しく眺められます。時代が変わり、大都市圏の只中となって、住宅地によって充填されるようになった現代においても、六甲の山々がこの地域にとって変わらぬ心のふるさとであり、地域にとって欠くことのできない景観的・心情的な要素となっていることが改めて理解されるような気がいたしました。森から本山と歩いて、ここ岡本あたりまで来ますと地形はだんだんと平坦になって、町並みもゆったりした奥行きが感じられるようになります。南北方向の道路はやはり勾配がついていますけれど、相対的に緩やかなせいか、どことなく空間的な広がりがいっそう印象づけられます。

 銀杏が穏やかに色づいた街路を北へ、阪急線をくぐり、岡本八丁目の交差点を西へ入って、甲南大学のキャンパスの下を歩いていきます。このあたりは閑静な高級住宅街といった雰囲気で、六甲の稜線が庭園における借景のような趣を与えていました。辿り着いた住吉川はこれまで見てきた川とは一回り大きく、このあたりでは堂々たる川幅を持っています。両岸に散策路も整備されて、彼方の山稜からなめらかな河道を中心とした水辺空間が演出されています。住吉川は河口に向かって海に突き出すように扇状地を形成していまして、一帯の平らな地形はまさにこの川の賜物といえるのでしょう。とはいえ、彼方の山の中腹にまで開発された住宅地やマンションの見える風景は、豪雨時にこの川がどのように変貌することになるかを暗に示しているようにも思われました。

岡本八丁目

岡本八丁目東端の景観
(東灘区岡本八丁目、2007.12.15撮影)
甲南大学

甲南大学付近の景観
(東灘区岡本八丁目、2007.12.15撮影)
住宅地

甲南大学付近の住宅地
(東灘区岡本八丁目、2007.12.15撮影)
住吉川

住吉川
(東灘区住吉山手一/西岡本四、2007.12.15撮影)

 住吉川を渡り、阪急線に沿ってさらに西へと進みます。住居表示は「住吉」を冠した名称へと変わります。住吉山手付近を歩いていますと、ゆるやかな斜面を盛土・切土して平坦な土地を造成した住宅街が印象的でした。斜面の出っ張った部分を削り(切土)、土地の低い部分に土を盛って(盛土)、階段状の平坦地が造りだされます。その階段状の土地の土留め部分はコンクリートではなく、石積みとなっていることが印象的で、高級住宅街としての雰囲気が濃厚に感じられました。

 阪急マルーンの落ち着いた風合いの電車が頻繁に行き過ぎる中、線路に沿った街路を進みますと、朝日新聞の創始者・村山龍平のコレクションを収蔵展示している香雪美術館の一角へと至りました。敷地の東側では道路の拡幅工事が行なわれていまして、「御影塀の修復工事を行なっている」旨の表示が目にとまりました。住所表示は「御影町」となり(2008年11月に付近一帯で住居表示が実施され、現在では「御影(1〜3丁目)」「御影郡家(1〜2丁目)」に住居表示が統一されています)、ここが六甲山麓で産する「御影石」のルーツであることに思い至りました。さきほどの住宅街の石積みも、もしかしたら御影石を利用していたのかもしれません。「御影塀」と呼ばれ親しまれた同美術館の石積みは、阪神淡路大震災で崩壊しそのままとなっていたものが、都市計画道路の拡幅に併せて復元が行なわれているものであることは、後に知りました。美術館の豊かな緑の横を歩きながら程なくして到着した阪急御影駅は、住宅街のなかの穏やかな停車場といった印象でした。駅の西側では、山手幹線方面から北上してくる都市計画道路「弓場線」の延伸工事が施工中でした(2008年2月、阪急線の下をくぐり、同時に整備が進められていた北口の駅前広場とともに完成、現在では共用が開始されているようです)。

住吉山手

住吉山手、住宅地と阪急電車
(東灘区住吉山手一丁目、2007.12.15撮影)
香雪美術館

香雪美術館北側の道路
(東灘区御影郡家二丁目、2007.12.15撮影)
御影駅

阪急御影駅
(東灘区御影二丁目、2007.12.15撮影)
御影山手

阪急線を挟んで御影山手を望む
(東灘区御影二丁目、2007.12.15撮影)

 弓場線の脇を線路沿いに進みますと、道路は急に勾配を上げて、海岸方面を軽く眺望できるほどの高さにまでなりました。夕闇が徐々に迫る現代の町並みは軽やかに海辺までを市街地で埋め、猫の額ほどの平地を広く見せているように感じられます。阪急線を挟んで反対側はなめらかさを失わない六甲の山並みが夕日をやわらかに浴びながら、山手の住宅地が展開する急勾配を幾分ゆるやかに見せているようにも感じました。やはり側溝のような新田川の流れのあたりで鉄路を跨ぎ、シックで高級感のある石塀の土台に載った御影山手の住宅街を通りながら、六甲山中から切り出した御影石を商う石屋が流域に集積していたことからその名がついたという石屋川の流れに沿って、再び阪急船の南側へと戻りました。

 石屋川は本来は天井川であり、日本最初の鉄道トンネルも、この石屋川をくぐったものであることが知られています。しかしながら、現在の鉄路は高架となっているため橋梁で川を渡っており、河川改良の結果その他の道路等も橋で川を越えているようで、河床は依然として高いものの、ぱっと見た感じでは天井川であるようには見えない雰囲気です。松並木が美しい石屋川公園を左手に見ながら、阪急電車が頻繁に行過ぎる線路南の道を西へ進みました。行政的には東灘区から灘区となります。穏やかな住宅街が続く一方で、JR六甲道駅から阪急六甲駅あたりまでのエリアを中心とした繁華な市街地としての姿も濃厚になってきます。両駅や山手幹線に見える「六甲口」の交差点名などに見られるように、古くより六甲山中への道が開けていたこの地域は、自然と地域呼称に「六甲」が冠される土壌があったのでしょうか。灘区役所の立地に伴う市街地の稠密化とともに、「六甲」の名前もまた、地域に根付くことになったのでしょう。鉄道交通の地域構造への影響も大きいといえるでしょうか。六甲八幡神社の社叢の慎ましやかさと対照的に、六甲駅周辺は多くの人々の活気に溢れていました。


石屋川

石屋川と阪急線
(東灘区御影山手/灘区高羽町、2007.12.15撮影)
六甲駅

阪急六甲駅前
(灘区八幡町三丁目、2007.12.15撮影)

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